油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

うぐいす塚伝  (29)

2022-07-26 23:20:46 | 小説
 三条通りの両脇に今にも通りにこぼれ落ち
そうに群がった人々の視線が、いっせいに春
日大社のある方に向けられた。
 人の背丈の二倍はあるだろう。
 黒や白の飾りをたくさん付けた数本の槍の
穂先が、生きのいい男のかけ声とともに空に
むかって突き上げられる。
 そのたびに、人々がどよめく。
 通りはすでに人でいっぱいである。
 となりの人の肩がふれるほど窮屈な思いで
いた修と洋子だったが、すでにまわりに人が
少ない。
 道の両脇で高みの見物としゃれこんでいた
人々が、行列が近づくにつれ、少しでも近く
でそれを見ようと願った。
 いやも応もない。
 ふたりも彼らに押されるようにして、大通
りへとよろけながら歩いた。
 「あっ、足もとに気をつけて」
 洋子が最後の石の階段を踏み外してしまい
そうになった。
 すかさず、修の左手がのびる。
 「ありがとう。こういうの、黒山の人だか
りっていうのかしら。たこ焼き屋さんやお好
み焼き屋さん、ほかにもいろんなお店があっ
て、あら、苗木も売ってるわ」
 洋子が歩くたびに人にぶつかる。
 修は彼女を見失うまいと、夢中だ。
 「ほらほらしっかり歩かんと。根本さんっ
てほんとに知らないんだね。このたいそうな
行列を?」
 「ええ、初めて」
 「そうなんや。けっこう奈良について知っ
てると思ってたけど……、ぼくがそれを教え
てしまうとつまらんから、じぶんで考えると
いいね」
 「そうね、そのとおり」
 修のひたいが汗でびっしょり。
 洋子がハンカチを差し出すと、修は、
 「おおきに、ありがとさん」
 と言い、真剣な表情をくずした。
 勾配が決してゆるやかとはいえない坂道を、
何かがかっぽかっぽとゆったりした足音を立
てながら下りてくる。
 洋子はつま先だって、
 「ひょっとして、お馬さん?」
 幼児めいた言葉づかいに、修がほほ笑む。
 彼らの目の前を黒装束の一団が、ぞろぞろ
と通り過ぎていく。
 「なんていうか、武者行列にしては、ちょ
っとちがう。なんていうか古めかしいわ。弓
矢を背中にしょってる姿にしても、見かけた
ことないもの。いつの時代のものかしら?戦
国時代のものなら鎧兜で勇ましくって、とこ
ろだけど……。知ってるのは東照宮の行列く
らい、あんまり見かけない黒い帽子みたいな
ものをかぶってるし」
 「うん、そうそう、それから……」
 修が子どもをあやすように言う。
 「あんまり、わたしをばかにしないでね。
しまいに怒るから」
 「あっ、根本さんもずいぶん訛った」
 「しかたないでしょ、ここで仕事について
るんだから」
 次にお姫様らしき女性が、こしに乗ってやっ
てきた。
 両手に特大の飾り付きの扇子を持っている。
 頭のてっぺんには、藤の花に似たかざりを
付け、着物も数枚、身につけている。
 「まあすごい、なんてきれい。十二単かし
らね」
 洋子が息をもらした。
 姫がのっている台を幾人もの男たちが、肩
でかついでいるのが洋子の目を引いた。
 洋子の脳裏に、ふいに行列らしき幾多の映
像が浮かび上がる。
 あわてて打ち消そうとするが、それらは洋
子の制止を受け入れない。
 とめどなくわいた。
 「ちょっと頭がいたくなる。もうかんべん
して」
 洋子の独り言に、修が驚き、
 「大丈夫かい?どうかした」
 と訊いた。
 「うん、ちょっと目がまわるの」
 洋子が右手で、じぶんのひたいにふれた。
 「どこかで休んだほうがいい」
 修が洋子の手をとり、露地へと向かおうと
した。だが、その露地は、洋子のアパートへ
通じている。
 「いいわよ。大丈夫」
 洋子は修の手を振りはらった。
 「困ったな、言うことをきかないんだ。案
外頑固なんだ」
 「頑固だから、奈良まで来たの」
 修はもう一度、行列を見つめた。
 「みきもとさん、こっちを向いて」
 行列を追いかけるようにして走り出した修
が、突然、お姫様に声をかけた。
 妙になれなれない。
 (どうして、あの人の名前知ってるのよっ)
 洋子は不愉快に感じ、修の視線をわざとは
ずした。
 (このまま群衆の中に、わたし消えちゃえ
ば、修さんったらどんな顔をするだろ)
 だが、洋子はうすく笑っただけで、事の成
り行きを見守ることにした。
 「ほらね、あの人、映画スターさんなんだ
よ。ぼくをちらと見て、笑ったろ」
 「ふん、知りませんわよお、だ。じゃあ、わ
たしこれで。せいぜいあの人と仲良くね。楽
しんでくださいな」
 洋子は人をかき分けかき分け、前に進んで
行く。
 決して、後ろを振り向かない。
 まったく人気のないところまで来て、気が
済んだのか洋子は歩みをとめた。
 必死であとを追い、息を切らした修の声が
した。
 「何もおいてけぼりにすることはないでしょ
うが。ようやく、あなたを見つけたんや」
 「いいのよ、いいの。別に、探してくださ
いって西端さんに頼まなくてよ」
 「それはそうやけど……」
 いつの間にか、修は奈良の人になっている。
 洋子は修に背を向けたまま、猿沢の池のお
もてを眺めた。
 風がでてきた。
 とてもひんやりしている。
 灰色の雲が空をおおいだすと間もなく、白
いものがちらちらと舞いだした。

 
  
 
 
 
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うぐいす塚伝  (28)

2022-07-17 08:33:33 | 小説
 修が先に立って、南円堂に通じる小路を
歩いて行く。
 松の木がまばらに生える砂利道がつづく。
 「あっ、西端さん。どこへ行かれるんで
すか。そっちは……」
 がけっぷちになってますと言おうとして
洋子は口ごもった。
 「ちょっとね、猿沢の池が見たくなった
んですよ。わたしも久しぶりですし」
 「ええ、ええ、わかります。私だって」
 洋子は遅れまいと、速足になったとたん、
小石につまずき、あっと声をあげ、ひっく
り返りそうになった。
 修の対応はすばやかった。
 洋子が地面に倒れる寸前にかけより、両
腕で、彼女のからだを支えた。
 修の両腕に力がこもる。
 じわりとあたたかいものが、洋子の胸の
奥からわいてくる。
 宇都宮の会社をやめてからこれまでの葛
藤がうそのよう。
 太陽をおおっていた灰色の雲が風に吹か
れて流れ去っていくようであった。
 「西端さん……、ありがとう」
 洋子はそうつぶやき、近寄ると両の眼を
とじた。
 修の愛を受け入れるつもりだったが、唐
突に修は立ち上がってしまった。
 洋子はいくらか残念な面持ちで起き上が
り、身づくろいに専念するふりをしながら、
そんなじぶんをなだめようとした。
 手袋をはめた両手で、腰のあたりを、ポ
ンポンとかるくたたく。
 「けがせえへんかったか?」
 「ちっとも、大丈夫ですよ……」
 修の口から、この土地のなまりが出た。
 (案外と、この人って女の気持ちがわか
らないんだ。もっとわたしのこと心配して
るといいわ)
 洋子はからだをくるりと回し、あらぬ方
に視線を向けた。
 陽だまりで、大小の鹿が二頭すわりこん
でいる。親子らしい。
 洋子はほほ笑んで、彼らのしぐさを観た。
 「なんだかごめんな。気持ちはありがた
いけどちょっとね。あのう……、なんてい
うか、ぼくのほうこそここであなたに会え
てうれしい。とっても感謝してます」
 洋子は応えない。
 「あの、根本さん。やっぱりここまで追
いかけてきたのは、まずかったかな」
 修の声が耳に届いたのか、洋子は修のほ
うにきびすを返し、戸惑った表情をした。
 「やっぱりね。ほんまにわるかったです」
 「どういうこと?何がわるかった、なの
かしらね」
 「ふいにぼくが現れても、あなたは逃げ
ていかないでいてくれて……」
 洋子はふふと笑った。
 「ほら、西端さん、そんなことよりあれ
をごらんになって。親子の鹿がねそべって
るわ。とってもかわいい」
 「し、かですか」
 「そうですよ」
 ふいにふたりの周囲が騒がしくなった。
 いつの間にか、何人もの人が、彼らと同
じ方向に歩いている。
 家族連れらしい人の群れも……。 
 「どうしたのかな、こんなに人が?何か
あるのかしら」
 修が眉間にしわを寄せ、ちょっとの間考
え込んだ。
 「きょうは、十二月十七日でしたね」
 「ええ、でも、それがどうしたのでしょ
う。何かあるのかしら」
 「さっきからちょっと人出が多くなって
きたと思ってたんですが、やっぱり……」
 洋子は合点がいかない。
 「やっぱり、やっぱりって?もっと私が
わかるように話してください」
 洋子の言葉が、やわらかな怒りを含んだ。
 突然、修が洋子の左手をとろうと、右手
をのばしてきた。
 「放して。いやっ、何するんです」
 洋子が修の手を振り払おうとしたが、無
駄だった。
 しかたなく、彼女は修のあとに続いた。
 彼女は両目をつむった。
 人々のざわめきが、大波のように、寄せ
ては返す。
 洋子は、この街に来て以来、これほどに
ぎやかな場面に遭遇したことがなかった。
 「ほら、しっかり目を見開いて。でない
とあぶないから」
 修の言葉は優しかった。
 「まあ、こんなにたくさんな人が集まっ
て。いったいどうしたのでしょう」
 三条通りの道わきに、人々がひしめいて
いた。
 
  
 
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うぐいす塚伝  (27)

2022-07-13 19:15:13 | 小説
 それから、三か月。
 洋子は仕事にも人にも馴れ、生活するには
ひととおり困らないようになった。
 しかし話がちょっと込み入ってくると、ぬ
るぬるしてつかみにくいウナギのようなもの。
 相手の本心がとらえきれない。
 本音で話してもらえず、いらいらすること
が増えた。
 言行一致の関東の言葉になれた洋子だった
から当たり前といえた。
 その日の午後、洋子は師走の買い物客でに
ぎわう通りを歩いてみる気になった。
 近鉄奈良駅で降り、エスカレーターで地上
に上がると、噴水の中に行基像がある。
 北側の四車線の道路は、車でいっぱい。
 両手で耳をおさえるようにして、いそいで
東向きの通りに入る。
 しばらく南にくだるように歩いて行くとほ
どなく三条通りにでる。
 そこを横ぎり、ねじり鉢巻きで、威勢よく
餅をつく男の人や物見客の群れのわきをすり
ぬけるようにして、もちいどの通りに入る。
 なおも五分くらい南に向かうと、洋子が居
を定めたアパートへの路地に行き当たる。
 洋子は近鉄奈良駅に向かうことにし、件の
路地を右に曲がった。 
 何度か、宇都宮の従姉と旅して歩いた道で
もあり、安心感も手伝って、洋子はぶ用心に
なった。
 クリスマスソングに誘われるように、洋子
はあっちの店こっちの店にと、ふらふらさま
よい歩いた。
 欲しかった厚手の上着とマフラー、それに
手袋をようやく買い求めると、あまりに人の
多い通りに嫌気がさしてしまう。
 きれいな空気を吸おうと、興福寺の境内に
つづく坂道をのぼりだした。
 坂がけっこう急である。
 洋子は地面ばかり見て歩いた。
 突然、秋刀魚を焼く匂いがした。
 洋子は口もとに笑みをたたえ、顔を上げた。
 生垣の上にちょっと首をのばせば、庭先が
見えた。
 老婆がひとり、庭に七輪をもちだし、網の
上に秋刀魚を一匹のせている。
 (いまどき、こんな風景に出会うなんて)
 大昔にタイムスリップした気になり、洋子
はあたりを見まわした。
 老婆はすぐに物陰に隠れるようにいなくな
り、秋刀魚は捨ておかれた。
 生垣の中から、体じゅう薄汚れた白猫が忍
び足であらわれ、彼のえさになるのに時間が
かからなかった。
 ふいに洋子の右肩がたたかれ、彼女はぎく
りとした。
 痛くもなんともない、やわらかな触れ方に
洋子は怖さを感じない。
 しぜんとふりかえった。
 見たことのある男だった。
 「どうして……、あなたがここに……?」
 洋子は両手で顔をおおった。
 足もとがふらつき、倒れそうになった。
 男は洋子のからだを支えた。
 「さわがないでください。いろいろ手を尽
くしましてね、あなたを探しました」
 「はあ、もうなんと言っていいやら……」
 洋子は男の歩みにまかせた。
 そして思いだしたように立ちどまり、背後
を見た。
 「いま、面白いものを見ましたよ。おばあ
さんが庭先で秋刀魚を焼いてらして……」
 男もふりかえった。
 「どこですか。中庭がのぞけるような家は
どこにもありませんよ。高い塀ばかりで、な
にか白昼夢を見られたんですね」
 真面目な顔で男がいった。
 「はくちゅうむ?」
 「そうです。この辺りじゃ、昔からよくあ
る現象みたいでね、ほんまに古いみやこやか
らしょうがないやろうけど……」
 いくらか額にしわの増えた西端修が、今に
も笑いだしそうな洋子の顔を、横目で見なが
ら言った。
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
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うぐいす塚伝  (26)

2022-07-03 23:38:43 | 小説
 いざとなりゃ自力で身を守らないとと、洋
子は右手に持った手ぼうきの柄を、ぎゅっと
にぎりしめた。
 語気強く、はいっ、と応じ、左手に持った
ドアの取っ手を、廊下側に、ほんの少し押し
出してみた。
 だが、目の前に人影がない。
 廊下の右側と左側。
 起きがけでうすぼんやりした頭で、くまな
く視線をさまよわせた。
 しかし、猫一匹発見できない。
 (この分じゃ、あいつはもう、この階には
いないかも)
 洋子は一階につづく階段の様子を、頭の中
に思い描いてみた。
 わずかに階段がきしむ。
 (やはり、来たんだ)
 洋子は追いかけたくなったが、恐怖心が先
に立つ。
 脚がすくんだ。
 お昼にはまだ間がある。
 ふいに、いくらかひんやりした空気が、洋
子の右ほほに触れた。
 二階の部屋に住む誰かさんが、ドアをふわ
りと開いたのだ。
 「根本さんか?どうしたん。あんまりうる
さくしないで」
 二階の監督さんと、みなに呼ばれる鈴木貞
子さんだった。
 「えっ、ああ、すみません。お騒がせしま
して。たった今、誰かが戸をたたいたもので
すから」
 「戸をたたいたって、ほんまか?よその人
とちがうか」
 貞子のまなざしに、不審の念がまじる。
 「嘘じゃないですよ。ほんと、ほんとに部
屋のドアをトントンやったんですってば」
 どういうわけか、鈴木は、洋子の言うこと
を信じようとしない。
 話のわかるいい人ばかりだと、洋子は思っ
たが、実際はそうでもないようだ。
 「来訪者ならあわてて逃げ出すような真似
はせえへんよ。あんたもよう知ってると思う
けど、ここはな、おとこを引っぱりこむのは
禁止やで」
 「そんなこと……」
 知ってます、と言おうとして、その言葉が
洋子の喉の奥にひっかかった。
 「とにかくね、気をつけて、ね」
 「はい」
 洋子の返事を待ちかねたように、鈴木貞子
は勢いよく、じぶんの部屋のドアをしめた。
 入居そうそう、思わぬ失態を演じてしまっ
てと洋子は悔やむが、彼女のせいではない。
 侵入者がわるいのだ。
 五分くらい経っただろう。
 ちょっとでもいい、犯人の様子を見なくて
はと洋子はしずかに階下に降りた。
 アパートの玄関の引き戸を用心深く開ける
と、秋の陽射しが差しこんできた。
 色づいた葉をいっぱい付けた木々が、その
枝を、塀の上にまで広げている。
 それが露地をより暗くしている。
 誰かがその影に身をひそめているように思
え、洋子は歩みを止めた。
 「お、おれな。あんたが好きやねん」
 あまりに率直な言い方に、洋子はふきだし
そうになるのをこらえ、
 「ど、どなたですのん?」
 覚えたての関西弁で訊いた。
 「声でわかりそうなもんや」
 「わかりません」
 洋子はあとずさった。
 「こわがらんといて、おれ、おれか?ほら
あんたが勤めてる居酒屋みえちゃんの常連客
やんか」
 聞いたことのあるしわがれ声だった。
 だが、洋子はわざと素知らぬふりをした。
 「よう知りません。お客様かどうか知りま
せんけどね。あんまし私を脅かさないでくだ
さいね。お店に勤めたばかりですし、これ以
上しつこくしやはると、私にも考えがありま
すさかいに」
 覚えたての関西弁をまじえて、洋子は啖呵
を切った。
 「えらい遠くから来やはったみたいで」
 「どうしてあなたが、そんなこと……?」
 「そんなこと、みんな、知ってますよ」
 洋子はうろたえた。
 しかし、狼狽する気持ちを、じぶんの声に
含めるわけにいかなかった。
 「とにかくね。下宿にまで来ないでくださ
い。絶対に」
 洋子の声は、相手の勢いを防ぐ、じゅうぶ
んな役割を果たした。
 
 
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