三条通りの両脇に今にも通りにこぼれ落ち
そうに群がった人々の視線が、いっせいに春
日大社のある方に向けられた。
人の背丈の二倍はあるだろう。
黒や白の飾りをたくさん付けた数本の槍の
穂先が、生きのいい男のかけ声とともに空に
むかって突き上げられる。
そのたびに、人々がどよめく。
通りはすでに人でいっぱいである。
となりの人の肩がふれるほど窮屈な思いで
いた修と洋子だったが、すでにまわりに人が
少ない。
道の両脇で高みの見物としゃれこんでいた
人々が、行列が近づくにつれ、少しでも近く
でそれを見ようと願った。
いやも応もない。
ふたりも彼らに押されるようにして、大通
りへとよろけながら歩いた。
「あっ、足もとに気をつけて」
洋子が最後の石の階段を踏み外してしまい
そうになった。
すかさず、修の左手がのびる。
「ありがとう。こういうの、黒山の人だか
りっていうのかしら。たこ焼き屋さんやお好
み焼き屋さん、ほかにもいろんなお店があっ
て、あら、苗木も売ってるわ」
洋子が歩くたびに人にぶつかる。
修は彼女を見失うまいと、夢中だ。
「ほらほらしっかり歩かんと。根本さんっ
てほんとに知らないんだね。このたいそうな
行列を?」
「ええ、初めて」
「そうなんや。けっこう奈良について知っ
てると思ってたけど……、ぼくがそれを教え
てしまうとつまらんから、じぶんで考えると
いいね」
「そうね、そのとおり」
修のひたいが汗でびっしょり。
洋子がハンカチを差し出すと、修は、
「おおきに、ありがとさん」
と言い、真剣な表情をくずした。
勾配が決してゆるやかとはいえない坂道を、
何かがかっぽかっぽとゆったりした足音を立
てながら下りてくる。
洋子はつま先だって、
「ひょっとして、お馬さん?」
幼児めいた言葉づかいに、修がほほ笑む。
彼らの目の前を黒装束の一団が、ぞろぞろ
と通り過ぎていく。
「なんていうか、武者行列にしては、ちょ
っとちがう。なんていうか古めかしいわ。弓
矢を背中にしょってる姿にしても、見かけた
ことないもの。いつの時代のものかしら?戦
国時代のものなら鎧兜で勇ましくって、とこ
ろだけど……。知ってるのは東照宮の行列く
らい、あんまり見かけない黒い帽子みたいな
ものをかぶってるし」
「うん、そうそう、それから……」
修が子どもをあやすように言う。
「あんまり、わたしをばかにしないでね。
しまいに怒るから」
「あっ、根本さんもずいぶん訛った」
「しかたないでしょ、ここで仕事について
るんだから」
次にお姫様らしき女性が、こしに乗ってやっ
てきた。
両手に特大の飾り付きの扇子を持っている。
頭のてっぺんには、藤の花に似たかざりを
付け、着物も数枚、身につけている。
「まあすごい、なんてきれい。十二単かし
らね」
洋子が息をもらした。
姫がのっている台を幾人もの男たちが、肩
でかついでいるのが洋子の目を引いた。
洋子の脳裏に、ふいに行列らしき幾多の映
像が浮かび上がる。
あわてて打ち消そうとするが、それらは洋
子の制止を受け入れない。
とめどなくわいた。
「ちょっと頭がいたくなる。もうかんべん
して」
洋子の独り言に、修が驚き、
「大丈夫かい?どうかした」
と訊いた。
「うん、ちょっと目がまわるの」
洋子が右手で、じぶんのひたいにふれた。
「どこかで休んだほうがいい」
修が洋子の手をとり、露地へと向かおうと
した。だが、その露地は、洋子のアパートへ
通じている。
「いいわよ。大丈夫」
洋子は修の手を振りはらった。
「困ったな、言うことをきかないんだ。案
外頑固なんだ」
「頑固だから、奈良まで来たの」
修はもう一度、行列を見つめた。
「みきもとさん、こっちを向いて」
行列を追いかけるようにして走り出した修
が、突然、お姫様に声をかけた。
妙になれなれない。
(どうして、あの人の名前知ってるのよっ)
洋子は不愉快に感じ、修の視線をわざとは
ずした。
(このまま群衆の中に、わたし消えちゃえ
ば、修さんったらどんな顔をするだろ)
だが、洋子はうすく笑っただけで、事の成
り行きを見守ることにした。
「ほらね、あの人、映画スターさんなんだ
よ。ぼくをちらと見て、笑ったろ」
「ふん、知りませんわよお、だ。じゃあ、わ
たしこれで。せいぜいあの人と仲良くね。楽
しんでくださいな」
洋子は人をかき分けかき分け、前に進んで
行く。
決して、後ろを振り向かない。
まったく人気のないところまで来て、気が
済んだのか洋子は歩みをとめた。
必死であとを追い、息を切らした修の声が
した。
「何もおいてけぼりにすることはないでしょ
うが。ようやく、あなたを見つけたんや」
「いいのよ、いいの。別に、探してくださ
いって西端さんに頼まなくてよ」
「それはそうやけど……」
いつの間にか、修は奈良の人になっている。
洋子は修に背を向けたまま、猿沢の池のお
もてを眺めた。
風がでてきた。
とてもひんやりしている。
灰色の雲が空をおおいだすと間もなく、白
いものがちらちらと舞いだした。
そうに群がった人々の視線が、いっせいに春
日大社のある方に向けられた。
人の背丈の二倍はあるだろう。
黒や白の飾りをたくさん付けた数本の槍の
穂先が、生きのいい男のかけ声とともに空に
むかって突き上げられる。
そのたびに、人々がどよめく。
通りはすでに人でいっぱいである。
となりの人の肩がふれるほど窮屈な思いで
いた修と洋子だったが、すでにまわりに人が
少ない。
道の両脇で高みの見物としゃれこんでいた
人々が、行列が近づくにつれ、少しでも近く
でそれを見ようと願った。
いやも応もない。
ふたりも彼らに押されるようにして、大通
りへとよろけながら歩いた。
「あっ、足もとに気をつけて」
洋子が最後の石の階段を踏み外してしまい
そうになった。
すかさず、修の左手がのびる。
「ありがとう。こういうの、黒山の人だか
りっていうのかしら。たこ焼き屋さんやお好
み焼き屋さん、ほかにもいろんなお店があっ
て、あら、苗木も売ってるわ」
洋子が歩くたびに人にぶつかる。
修は彼女を見失うまいと、夢中だ。
「ほらほらしっかり歩かんと。根本さんっ
てほんとに知らないんだね。このたいそうな
行列を?」
「ええ、初めて」
「そうなんや。けっこう奈良について知っ
てると思ってたけど……、ぼくがそれを教え
てしまうとつまらんから、じぶんで考えると
いいね」
「そうね、そのとおり」
修のひたいが汗でびっしょり。
洋子がハンカチを差し出すと、修は、
「おおきに、ありがとさん」
と言い、真剣な表情をくずした。
勾配が決してゆるやかとはいえない坂道を、
何かがかっぽかっぽとゆったりした足音を立
てながら下りてくる。
洋子はつま先だって、
「ひょっとして、お馬さん?」
幼児めいた言葉づかいに、修がほほ笑む。
彼らの目の前を黒装束の一団が、ぞろぞろ
と通り過ぎていく。
「なんていうか、武者行列にしては、ちょ
っとちがう。なんていうか古めかしいわ。弓
矢を背中にしょってる姿にしても、見かけた
ことないもの。いつの時代のものかしら?戦
国時代のものなら鎧兜で勇ましくって、とこ
ろだけど……。知ってるのは東照宮の行列く
らい、あんまり見かけない黒い帽子みたいな
ものをかぶってるし」
「うん、そうそう、それから……」
修が子どもをあやすように言う。
「あんまり、わたしをばかにしないでね。
しまいに怒るから」
「あっ、根本さんもずいぶん訛った」
「しかたないでしょ、ここで仕事について
るんだから」
次にお姫様らしき女性が、こしに乗ってやっ
てきた。
両手に特大の飾り付きの扇子を持っている。
頭のてっぺんには、藤の花に似たかざりを
付け、着物も数枚、身につけている。
「まあすごい、なんてきれい。十二単かし
らね」
洋子が息をもらした。
姫がのっている台を幾人もの男たちが、肩
でかついでいるのが洋子の目を引いた。
洋子の脳裏に、ふいに行列らしき幾多の映
像が浮かび上がる。
あわてて打ち消そうとするが、それらは洋
子の制止を受け入れない。
とめどなくわいた。
「ちょっと頭がいたくなる。もうかんべん
して」
洋子の独り言に、修が驚き、
「大丈夫かい?どうかした」
と訊いた。
「うん、ちょっと目がまわるの」
洋子が右手で、じぶんのひたいにふれた。
「どこかで休んだほうがいい」
修が洋子の手をとり、露地へと向かおうと
した。だが、その露地は、洋子のアパートへ
通じている。
「いいわよ。大丈夫」
洋子は修の手を振りはらった。
「困ったな、言うことをきかないんだ。案
外頑固なんだ」
「頑固だから、奈良まで来たの」
修はもう一度、行列を見つめた。
「みきもとさん、こっちを向いて」
行列を追いかけるようにして走り出した修
が、突然、お姫様に声をかけた。
妙になれなれない。
(どうして、あの人の名前知ってるのよっ)
洋子は不愉快に感じ、修の視線をわざとは
ずした。
(このまま群衆の中に、わたし消えちゃえ
ば、修さんったらどんな顔をするだろ)
だが、洋子はうすく笑っただけで、事の成
り行きを見守ることにした。
「ほらね、あの人、映画スターさんなんだ
よ。ぼくをちらと見て、笑ったろ」
「ふん、知りませんわよお、だ。じゃあ、わ
たしこれで。せいぜいあの人と仲良くね。楽
しんでくださいな」
洋子は人をかき分けかき分け、前に進んで
行く。
決して、後ろを振り向かない。
まったく人気のないところまで来て、気が
済んだのか洋子は歩みをとめた。
必死であとを追い、息を切らした修の声が
した。
「何もおいてけぼりにすることはないでしょ
うが。ようやく、あなたを見つけたんや」
「いいのよ、いいの。別に、探してくださ
いって西端さんに頼まなくてよ」
「それはそうやけど……」
いつの間にか、修は奈良の人になっている。
洋子は修に背を向けたまま、猿沢の池のお
もてを眺めた。
風がでてきた。
とてもひんやりしている。
灰色の雲が空をおおいだすと間もなく、白
いものがちらちらと舞いだした。