それからしばらく、根本洋子は西端修の視
線を努めてさけるようになった。
豹がえものをとらえるとき、いくたびも態
度を変えると言われるが、洋子の修に対する
態度も、それに似たもの。一種、野性味さえ
感じられた。
若い女性なんだし、いろんなことに左右さ
れるのはしょうがない。男のようになんだっ
て、頭で理解しようとしても、女は無理とい
うものだ。
修はそうじぶんを納得させようとするが、い
まひとつ合点がいかない。
ふだんはめったに本など読まない修が、な
んとしても女ごころをつかみたい一心で、手
あたり次第、本屋に飛び込んでは、情報を得
ようとこころみた。
そんなとき、修ははっと気づいた。
四十過ぎても、おれは独り身なんだし、女
ごころがわからないのは当たりまえだ。
それからは会社の既婚者から、それとなく
女の人の本性について、聞かせてもらおうと
した。
だが、本気でつきあってくれそうな同僚は
ほとんどいない。
ふんふんと相槌をうってはくれるが、正直
なところ、
「いつまでもおめえは独身貴族じゃねえか。
いいご身分だぜ」
腹の底でそういわれているのが見え見え。
修は、日々、ストレスをつのらせた。
なんとかして、洋子の口から、じぶんを無
視する原因をしゃべってもらいたい。
そう思い、ある日の朝、思い切って、従業
員専用の出入り口になっているビルの裏口付
近で、洋子を待ち伏せした。
しかし、洋子に警戒心を抱かせただけだっ
た。洋子は修の姿を認めるや否や、たちまち
のうちに建物のかげに身を隠した。
お茶当番になった洋子が、たっぷり茶湯の
入った修の湯呑を、トレーにのせて修の机上
のすみに置くことがある。
ここが勝負と、修は口もとにほほえみをた
たえ、洋子の表情をとらえようとするのだが、
洋子はそっぽを向いたままだった。
修はほとほと困り果てた。
「ちょっとちょっと西端くん」
石塚課長の目に留まってしまい、廊下に呼
び出され、
「もういい加減にしてくれますか。どうし
て根本にそんなに気を遣うの」
と注意された。
なんで、なんでや、どないして、こんなあ
ほらしいことになってしもたんやと、お得意
の関西弁を、頭の中でくり返すばかりである。
洋子に何かあったとすれば、いっしょにジャ
ズバーを訪ねた、あの日の夜以外にないんだ
がと、店の内外のことを、牛が反芻するごと
くあれこれと思いだそうとした。
洋子が酔ってじぶんにからんできたことを
思いだした。
そのとき、修はトイレのなかに逃げこんだ。
そのあとのことを、修は知りようがない。
その後、洋子に何が起きたのか。
修には知る由もなかった。
むろん、仕事は仕事である。
社内での上役と部下のかかわり程度ことは、
いつだって担保されていた。
(もう一切、洋子のことについて、個人的
にかかわらないようにしよう)
修はそう心を決めた。するとすうっと気が
楽になった。
「お、おはよう、根本くん……」
やっとの思いで、修は、洋子の出張先のス
ーパーの店内で出くわしたとき、そう洋子に
声をかけた。
「あっ、係長、きょうはどんなご用件でこ
ちらに?」
洋子の放つ言葉は事務的そのもの。
「あっいやなにね、ちょっとした調べもの
でね」
「そうなんですか。わかりましたわ。これ
からお客様が大勢いらしゃる時間です。わた
しの持ち場は食料品売り場ですのでこれで失
礼します」
そう言うなり、洋子はきびすを返した。
まるで矢じりを向けられたように思える。
修は背筋にひんやりしたものを感じた。
「根本くん、忙しいところ、すまないけれ
どね、この間のことでちょっと話があるんだ」
洋子の背中に、思いつめた言葉を投げかけ
たが、彼女はふりかえらない。
わざとヒールの音を高くし、歩き去ってし
まった。
そうこうするうち、突然、根本洋子が会社
に退職願を提出した。
線を努めてさけるようになった。
豹がえものをとらえるとき、いくたびも態
度を変えると言われるが、洋子の修に対する
態度も、それに似たもの。一種、野性味さえ
感じられた。
若い女性なんだし、いろんなことに左右さ
れるのはしょうがない。男のようになんだっ
て、頭で理解しようとしても、女は無理とい
うものだ。
修はそうじぶんを納得させようとするが、い
まひとつ合点がいかない。
ふだんはめったに本など読まない修が、な
んとしても女ごころをつかみたい一心で、手
あたり次第、本屋に飛び込んでは、情報を得
ようとこころみた。
そんなとき、修ははっと気づいた。
四十過ぎても、おれは独り身なんだし、女
ごころがわからないのは当たりまえだ。
それからは会社の既婚者から、それとなく
女の人の本性について、聞かせてもらおうと
した。
だが、本気でつきあってくれそうな同僚は
ほとんどいない。
ふんふんと相槌をうってはくれるが、正直
なところ、
「いつまでもおめえは独身貴族じゃねえか。
いいご身分だぜ」
腹の底でそういわれているのが見え見え。
修は、日々、ストレスをつのらせた。
なんとかして、洋子の口から、じぶんを無
視する原因をしゃべってもらいたい。
そう思い、ある日の朝、思い切って、従業
員専用の出入り口になっているビルの裏口付
近で、洋子を待ち伏せした。
しかし、洋子に警戒心を抱かせただけだっ
た。洋子は修の姿を認めるや否や、たちまち
のうちに建物のかげに身を隠した。
お茶当番になった洋子が、たっぷり茶湯の
入った修の湯呑を、トレーにのせて修の机上
のすみに置くことがある。
ここが勝負と、修は口もとにほほえみをた
たえ、洋子の表情をとらえようとするのだが、
洋子はそっぽを向いたままだった。
修はほとほと困り果てた。
「ちょっとちょっと西端くん」
石塚課長の目に留まってしまい、廊下に呼
び出され、
「もういい加減にしてくれますか。どうし
て根本にそんなに気を遣うの」
と注意された。
なんで、なんでや、どないして、こんなあ
ほらしいことになってしもたんやと、お得意
の関西弁を、頭の中でくり返すばかりである。
洋子に何かあったとすれば、いっしょにジャ
ズバーを訪ねた、あの日の夜以外にないんだ
がと、店の内外のことを、牛が反芻するごと
くあれこれと思いだそうとした。
洋子が酔ってじぶんにからんできたことを
思いだした。
そのとき、修はトイレのなかに逃げこんだ。
そのあとのことを、修は知りようがない。
その後、洋子に何が起きたのか。
修には知る由もなかった。
むろん、仕事は仕事である。
社内での上役と部下のかかわり程度ことは、
いつだって担保されていた。
(もう一切、洋子のことについて、個人的
にかかわらないようにしよう)
修はそう心を決めた。するとすうっと気が
楽になった。
「お、おはよう、根本くん……」
やっとの思いで、修は、洋子の出張先のス
ーパーの店内で出くわしたとき、そう洋子に
声をかけた。
「あっ、係長、きょうはどんなご用件でこ
ちらに?」
洋子の放つ言葉は事務的そのもの。
「あっいやなにね、ちょっとした調べもの
でね」
「そうなんですか。わかりましたわ。これ
からお客様が大勢いらしゃる時間です。わた
しの持ち場は食料品売り場ですのでこれで失
礼します」
そう言うなり、洋子はきびすを返した。
まるで矢じりを向けられたように思える。
修は背筋にひんやりしたものを感じた。
「根本くん、忙しいところ、すまないけれ
どね、この間のことでちょっと話があるんだ」
洋子の背中に、思いつめた言葉を投げかけ
たが、彼女はふりかえらない。
わざとヒールの音を高くし、歩き去ってし
まった。
そうこうするうち、突然、根本洋子が会社
に退職願を提出した。