油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

生まれついてのせっかち者で。

2024-06-01 08:34:26 | 随筆
 いつの間にか古希を過ぎ、喜寿に近づくきょう
この頃である。

 もはや若くはないなと感じるのは、どんな時だ
ろう。

 つい最近、こんなことがあった。
 一反に満たない田んぼを耕そうとした。
 八馬力の耕運機をつかい、表面をならそうとこ
ころみた。

 その機械、なんと昭和四十五年製。
 爪をひんぱんにまわすと、どこからかオイルが
滴ってくる。

 おそらく機械内部の小さな鋼鉄の球がすりきれ、
その隙間からオイルがにじみだしてきているのだ
ろう。

 購入した機械屋さんに問いあわせると、
 「もう、部品がないんですよ」
 その一言でかたづけられた。

 広い田んぼの耕すのに、躊躇せざるをえないよう
なご老体である。

 「この機械、おらに似てるな、まあなんとか共に
がんばってくれやな」
 と声をかけ、ハンドルあたりをなでさすった。

 我が家には息子が数人いるが、だれひとり、 
「おれがやるから、父さんはやすんでいなさい」
 間違っても、そうは言わない。
 「おれ、やらないかんね」
 と、ぷいとあらぬ方を向く。

 当然、老いたる馬どうようの、わたしの出番とあ
いなる。

 田んぼや畑に出て、ほぼ五十年。
 むかしとった杵柄とばかりに、ジーゼルエンジン
をかける。

 小さな取っ手に左手をかけ、右手でクランクの形
をした金属製のパイプの穴を、エンジン部分のでっ
ぱりに差し入れる。
 力強く、右手を、時計と同じ方向にまわす。
 一度ではエンジンがかからない。

 燃料は軽油。ガソリンより火がつきにくいのだ。

 二度、三度、四度、……。
 ころがらないよう、両脚を、コンクリートの床に
踏みしめた。

 (もうこれくらいで点火するだろう)
 クランク型のパイプをまわすのをやめた。
 だが、機械はプスッと煙をひと息吐いたのみ。

 もう一度やり直しである。
 ボンッとエンジンがかかった時が、ほっとする瞬
間である。

 この田んぼまで出向いて来るのにも、ひと苦労。
 タイヤの空気圧の違いで、右に行ったり、左に行っ
たり。
 なんとかなだめながら、片道、五六分かけこの田
んぼまでやってきた。

 爪も摩耗している。
 大きな石をひっかいたりすれば、おっかけないと
も限らない。

 耕す前の準備段階で、ビニル袋をたくさん持って
きて、そこに川原石をひろって入れた。

 この辺りはむかしむかし、大川が流れていた。

 「さあ、やっとくれ」
 と、機械に声をかける。

 きつい段差だと、機械が前のめりになってしまう。
 バックで田んぼに入るのが鉄則である。

 と、そこまでは良かった。
 縦五十メートル、横十メートル。
 どのように耕すか。
 ここでかんがえあぐねてしまった。

 前進で動かせば良いところを、短い距離で耕そうと、
先ずはバックで動かしてしまった。
 それがいけなかった。

 爪の動きをオンにしたまま、後ろに進んだ。
 何かの拍子で、わたしが転んだ。

 機械は当然ながら、そのことを一切、とんちゃくし
ない。

 バックしたまま、わたしの体に、のしかかってくる
形になった。

 (このままじゃ、大けがしてしまう)
 そう思ったわたしは、なんとかして、身に迫った危
険から逃げることができないものかと考えた。

 爪が足をひっかく寸前で、わたしは起き上がった。

 先ずは、爪の動きをとめた。
 つづいて、機械自体の動きをとめた。

 八馬力の耕運機はとても重い。
 前のめりになったかと思うと、たちまち逆立ちして
しまった。

 「勝ってにしやがれ」
 である。

 「先祖さまが、守護神どうよう、おらの肩にのっかっ
ていてくださった」
 見えないものの力を感じた瞬間だった。

 昨年は、この田んぼが荒れてしまい、冬場には全面、
枯れ草だらけになってしまった。
 鹿やイノシシが入った。

 この耕運機と十六馬力のトラクターの調子がわるく、
農地なみに保全することがかなわなかった。

 ちょっと逡巡しているうちに、田んぼに雑草が生い
茂った。

 最近はゲリラ豪雨とやらで雨が多く、田んぼを保全
するのがほんとうに困難である。
 
 この人生、何が起きるか知れない。

 こうしてまた、記事を書き、読んでくださる諸氏と
相まみえることができるのはたまさかの僥倖ではある。
コメント (3)
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