油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

忘却。

2024-04-04 09:39:48 | 小説
 シュバッ。
 不意にスマホが音を立てた。

 誰かがメールを寄こしたらしい。
 しかし、ラインのトーク印が朱色に染
 着信の形跡がない。

 それじゃメッセージだろうと思い、ア
プリをタップし中身を調べた。

 あった。
 発信者の苗字がおかだとある。
 「おれだよ、おれ。どう、元気?」
 言葉に親しみがこもっている。

 おかだ、おかだ、おかだ……。
 こころの中でそう言ってみるが、その
苗字についての記憶の糸が、容易に見つ
からない。

 (ああ、とうとう、おれも……)

 急降下していくエレベーターに乗って
いるような気がして、意識が遠のく。

 やっと自分らしくなり、ああでもない
こうでもないと、返信をためらっている
うちに、ふたたびメッセージが届いた。

 「ほら、高校時代のおかだだぜ。わか
んないのか。かわいそうにその歳でな」
 ぼけ老人にされてしまった。

 そんなひどいことを言うんじゃ、ビデ
オ電話を使うとか、ダイレクトで声を聞
かせてくれるとか。
 もっとほかに親切なやり方があるだろ
うにと、くやしくなる。

 「ちょっと待ってください」
 そう返信しておき、押し入れの中にし
まいこんである小さな本棚をさがす。

 アルバム、アルバムと、つぶやきなが
ら、高校の記念アルバムのページをめく
りだした。

 (おかだくんはふたりいたが、そのうち
のひとりは小学生からの友だちだったけ
ど、メッセージをやりとりするような間
柄じゃなかったし……)

 アルバムを両手で持ち上げると、一枚
の紙切れがひらひらと舞い、畳の上に落
ちた。

 鉛筆で書かれた文字を目で追う。
 まぎれもなく、わたしの字である。

 確かに以前、おかだくんに、こちらの
携帯番号を教えていた。

 だが、まったく覚えがない。
 唐突にめまいを感じ、わたしはベッド
の上にすわりこんだ。

 どれくらいベッドの上で、横たわって
いただろう。

 バサッバサッ。
 着信音ではない。それよりもずっと大
きい音だ。
 どうやら外らしい。

 何事が起きたか確認しようと、ヴェラ
ンダに通じる障子とガラス戸を開けた。

 自らの体重が六十キロはある。
 その持ち主が数歩分、動いているわけ
である。
 しかし、その感覚が不明瞭なのが気に
なった。

 ぐるりと首をまわす。
 幅一メートルに満たない床の上には何
も見当たらない。

 それじゃと、落下防止の頑丈な手すり
の上のこげ茶のカバートタンに両肘をつ
き、身をのり出した。

 お寺の手洗い場でしばしば見かける龍
の彫り物らしきものがうごめいていた。
 うそっと思い、自らの右ほほをつねる。

 それがじわじわとはいあがって来るう
ちに、それは次第に大きくなった。

 わにのごとき牙がいくつも並んだ口が
目の前でぐわっと開くのを、見たのまで
は憶えていた。
 
 
 
  

 
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2 コメント

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Unknown (marusan_slate)
2024-04-04 15:08:55
こんにちは🌞
古い友達と
思いが蘇りますね(*^▽^*)
お互いステキな一日に
なりますように☆★☆
テル
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Unknown (sunnylake279)
2024-04-04 18:49:12
こんばんは。
ちょっと不思議なお話ですね。
私の実家が昨日ですべてのものが撤去され、今日はその確認で行ってきました。
諦めていた卒業アルバムが幼稚園から高校まですべて見つかっていて、とてもうれしかったです。
返信する

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