小彼岸桜のズクなし写真ブログ

デジタタルカメラで小旅行や近場の被写体を自分流で写し止めたものを不定期に更新していきます。

薄っすら雪の城址公園(10/01/05 火 曇 撮影)

2010年01月05日 | EF24-105mmF4 IS L
   


     突然ですが、高遠も雪が何回か降りました。
     昨夜から少し積もり始めていたので、雪かきになるかなと
       覚悟を決めていたが、今日になって雨が降り積もった雪を
         すっかり消えさせてしまった。
          其の後再び雪が降ったが僅かに積もっただけだった。


全て EOS7D EF24-105mmF4 IS L                         
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 高遠閣。高遠閣の建設については昭和8年当時、高遠城址公園内に会館を建て、
        町民の集会や観光客の便に供することが町の発展のため
        有意義ではないかという愛町の思いの強い人達が居た。

     









        東京高遠会の有志の発案により、日本画家池上秀畝( いけがみ しゅうほ )氏、
        出版業矢島一三氏、鉱山業廣瀬省三郎氏、弁護士小松伝一郎氏の         
         4名の寄付によったものだった。

     




     この建物は長野県天然記念物桜樹林の中に高くそびえる赤い屋根の偉容は、
      遠方からも眺められ史跡高遠城跡のシンボルとなっています。


     




      問屋門。この門は高遠城下、本町の問屋役所にあった問屋門である。
     




      江戸時代、主な街道には宿駅が定められ、問屋と称する紅葉の公用の荷物の継ぎ送り、
       また、旅人の宿泊、運輸を取り扱う町役人を置いていた。

     




      昭和20年代、問屋役所建物取り壊しの際、他に売却されていたが、
      歴史ある門が高遠から失われることを惜しんだ町の有志が買い戻し、
       募金を集めて現在地に移築したものである。

        




             現在では、手前の桜雲橋(おううんきょう)とともに、
      城跡には欠かすことが出来ない景観シンボルとなっている。








        堀。
         





        





     



     1582年当城に於、織田の大群と戦った仁科五郎盛信の霊を
     五郎山より城内に迎えて「新城神」と称して祀り崇拝した。
      以前より城内には「藤原社」があったため
       このじんじゃを「新城神」と合祀して今日に至っている。

      


     太鼓楼。
        








     














コメント (8)
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