『くいーん』には「くいーんひろば」という読者欄があり、全国各地から女装愛好者が思い思いに女装ライフや女装への想いを書かれて投稿されています。
永田町の国会図書館で『くいーん』のバックナンバーを読んでいると、一部上場の役員だった男性の女装ライフの投稿が目に留まりました。
一部上場の役員、そして子会社の社長という地位にあるこの方はしかし休日は女装して静子となり奥様に仕えているのです。
今日から何回かに分けてご紹介します。
静子さんのこと
私は現在68歳、数年前に一部上場の会社の役員を退き、関連する子会社の社長に就任し、いねば人生における黄金の収穫期を楽しんでいるものです。子供は男二人に女一人。おのおの一家をなして家を出ており、いずれも都内の一流会社に勤めていよす。孫は高校生を筆頭に四人。皆、元気です。
従って現在は、子供達がいないガランとした広い家に妻とふたりで住んでいることになります。
私の日常は、毎日適当に勤めに出かけて、休日にはゴルフ、或いは孫達を訪ねて遊ぶという誠に結構な次第になっていよす。
ところが、老妻とふたリ住まいの我家に、月に二、三回。天候、その他孫達の都合によっても変わりますが、もう一人、女性が現れます。いや、居ますといったほうが良いかもしれませんが、とにかく、もう一人女性が存在します。
この女性は、来客があったり、私がゴルフにでかけると現れません。そうして、彼女は私が家にいるときち現れません。
彼女は先妻と終日つまらぬ話をしたり、掃除や洗濯などの家事の手伝いをしたり、居なくなった娘の部屋に落ちつき、大きな顔をして私の書斎に入り込み、大きな顔をしてステレオを聞いたり本を読んだりしています。
妻も彼女がいるとたのしそうで、つまらぬ家事や雑用をいいつけたり、いなくなった私のことを「彼」と呼んだり、「静二郎さん」と呼んだりなどして噂話をしています。
私も妻と同様、彼女を「静子さん」と呼んで大切にしていよす。
彼女がきれいにお化粧して、可愛らしい着物に帯を牛チッと締めている姿は、年のころ30~40位。色が白く、目はパッチリしていて、妻に対しては目上の人と接するように、そのいいつけに従っているせいか、そんな彼女を妻はとても可愛がっています。
静子嬢は私とは裏返しの人間です。彼女が現れてから、もう大分だちましたが、静子嬢と私とはその肉体を共有しているものの、一人、一人別々の人格としてでき上っています。つより、平たくいえば静子は私の女装です。
どうしてこのような静子嬢が生まれたのかを思いおこしてみましょう。
私達が結婚して一家を編成したのは戦争が始まって間もない昭和十七年。未曽有の大戦の最中を、また戦後の大混乱期を無我夢中で過し、色々なことがありましたが、家族共々、なんとか今日の生活があります。連日、夜遅くまで働きに働いた戦後の日々……。
私は夢中で仕事に専念し、妻は育児と食料、家計のやりくりに追われている時に、静子嬢が芽を出し始めたのです。
一般に夫婦生活というものは、初めの間こそ、熱心につとめるものかと思いますが、年月が経ち、子供が育ち始めると間遠くなり、疎遠になるものかと思います。ことに私は性生活について、より淡白な嫌いがあります。
そのようなころ、今から三十年も前のことになりましょうか、例によって妻のご要望に応えない私が、湯上リだったでしょうか、なにかの偶然と思いますが、たまたま妻のピンクのお腰を身につけたことがありました。
すると、どうでしょう!!生気のない私のジュニアが元気に立ち上ったのです。考えてみれば、赤いものを見て興奮するのは牛だけでなく、男性一般の通例でしょうか。
妻のお腰を見ているだけでは反応の鈍かった私のジュニアは、自分自身が身につけてみれば、その肌ざわりと共に何かを感じたのでしょう。私はなんなく勤めを果たすことができました。
永田町の国会図書館で『くいーん』のバックナンバーを読んでいると、一部上場の役員だった男性の女装ライフの投稿が目に留まりました。
一部上場の役員、そして子会社の社長という地位にあるこの方はしかし休日は女装して静子となり奥様に仕えているのです。
今日から何回かに分けてご紹介します。
静子さんのこと
私は現在68歳、数年前に一部上場の会社の役員を退き、関連する子会社の社長に就任し、いねば人生における黄金の収穫期を楽しんでいるものです。子供は男二人に女一人。おのおの一家をなして家を出ており、いずれも都内の一流会社に勤めていよす。孫は高校生を筆頭に四人。皆、元気です。
従って現在は、子供達がいないガランとした広い家に妻とふたりで住んでいることになります。
私の日常は、毎日適当に勤めに出かけて、休日にはゴルフ、或いは孫達を訪ねて遊ぶという誠に結構な次第になっていよす。
ところが、老妻とふたリ住まいの我家に、月に二、三回。天候、その他孫達の都合によっても変わりますが、もう一人、女性が現れます。いや、居ますといったほうが良いかもしれませんが、とにかく、もう一人女性が存在します。
この女性は、来客があったり、私がゴルフにでかけると現れません。そうして、彼女は私が家にいるときち現れません。
彼女は先妻と終日つまらぬ話をしたり、掃除や洗濯などの家事の手伝いをしたり、居なくなった娘の部屋に落ちつき、大きな顔をして私の書斎に入り込み、大きな顔をしてステレオを聞いたり本を読んだりしています。
妻も彼女がいるとたのしそうで、つまらぬ家事や雑用をいいつけたり、いなくなった私のことを「彼」と呼んだり、「静二郎さん」と呼んだりなどして噂話をしています。
私も妻と同様、彼女を「静子さん」と呼んで大切にしていよす。
彼女がきれいにお化粧して、可愛らしい着物に帯を牛チッと締めている姿は、年のころ30~40位。色が白く、目はパッチリしていて、妻に対しては目上の人と接するように、そのいいつけに従っているせいか、そんな彼女を妻はとても可愛がっています。
静子嬢は私とは裏返しの人間です。彼女が現れてから、もう大分だちましたが、静子嬢と私とはその肉体を共有しているものの、一人、一人別々の人格としてでき上っています。つより、平たくいえば静子は私の女装です。
どうしてこのような静子嬢が生まれたのかを思いおこしてみましょう。
私達が結婚して一家を編成したのは戦争が始まって間もない昭和十七年。未曽有の大戦の最中を、また戦後の大混乱期を無我夢中で過し、色々なことがありましたが、家族共々、なんとか今日の生活があります。連日、夜遅くまで働きに働いた戦後の日々……。
私は夢中で仕事に専念し、妻は育児と食料、家計のやりくりに追われている時に、静子嬢が芽を出し始めたのです。
一般に夫婦生活というものは、初めの間こそ、熱心につとめるものかと思いますが、年月が経ち、子供が育ち始めると間遠くなり、疎遠になるものかと思います。ことに私は性生活について、より淡白な嫌いがあります。
そのようなころ、今から三十年も前のことになりましょうか、例によって妻のご要望に応えない私が、湯上リだったでしょうか、なにかの偶然と思いますが、たまたま妻のピンクのお腰を身につけたことがありました。
すると、どうでしょう!!生気のない私のジュニアが元気に立ち上ったのです。考えてみれば、赤いものを見て興奮するのは牛だけでなく、男性一般の通例でしょうか。
妻のお腰を見ているだけでは反応の鈍かった私のジュニアは、自分自身が身につけてみれば、その肌ざわりと共に何かを感じたのでしょう。私はなんなく勤めを果たすことができました。