昨日は大手町で仕事が16:30に終わりました。
永田町の国会図書館は19:30まで開館してます。
「では、くいーんのバックナンバーでも読もうか」と丸の内線に乗りかけましたが、国会図書館HPで確認してみると、閉架式書棚からの借り出しが18:00まで。同じくコピー依頼も18:00まで。
すると、とんでもなく慌ただしいことになります。
「まあ、国会図書館は逃げないから.....」と当たり前のことを呟いて早めに帰宅しました。
では悠々自適の元会社役員のお宅に現れる静子さんの続きです。
この事件を出発点として、次第にコトはエスカレートしてゆきました。お腰の次は赤い長瑞祥……そして化粧。
初めて化粧をした私の顔はとても可愛らしく、私白身大変驚き、妻も美人だわとはやしにたてくれました。
あの時の驚きと息はずむ思い、気持の高揚は今でも忘れられません。
いつとはなしに妻は私に化粧を促すようになり、私も変身ということに興味を覚えて、さらに着物まで完全にきせられました。髪にはかもじとつけ毛でごまかしてかんざしを差し、幅の広い帯でキュッと胴のあたりをしめつけられると、とても気持良く、私は大喜びでした。
その夜の夫婦生活は二人共大ハッスルし、大変満足しました。
そして、忙しい私の仕事の合間に、子供達が寝てしまったあと、時折、夫婦の寝室に静子らしい影が現れました。
私は今、静子の世界にいます。
ここまでの手記は彼が会社で書きました。このあとを彼にバトンタッチされた私は今、彼の書斎の机でこれを書いています。
私か誕生した後のご夫妻は、夫婦仲もむつまじく、よく一諸にデパートヘ買物に行っては、アクセサリーや化粧品、ネグリジェ、着物、と私と奥様で共有できるものを買っていらっしゃいました。
けれど、或る日、旦那様に地方支社への栄転が決まり、単身のマンション住いとなりました。奥様は一カ月ごとに一週間の予定で、旦那様のもとへおいでになり、そのたびに私の出番が回ってきたわけです。
結局、5年の後、旦那様は本社にお戻りになりましたが、その間に私、静子は、女らしい仕草や言葉づかい等を奥様よリ習い、着物も一人で着られるようになりました。
しかし、それからはお仕事も一層忙しくなり、家へ戻っても静子はお払い箱。
やがて、夫妻も「老」という字がつく年齢になり、子供達も家を出て、旦那様も現在の地位につかれました。
家庭での二人だけの生活は、彼を最近流行の粗大ゴミにしそうなようすでした。
先日、あるTV番組で定年で退職して家庭に帰ってきた夫に対して、妻も定年を要求し、独立して別居。老いての独り暮しに耐えかねた夫が、別居の妻を訪ねて絞め殺すという深刻なドラマがありました。
しかし、奥様も旦那様にこれ同様のことを提案したのです。
「これからは、あなただけが現役を引退したといって、多くなった休日を家でゴロゴロして、仕事をいいつけられては困る。私だってあなたのお仕事に協力して、家を守り、子供を育だてたのだから、これからは自分の自由な時間が欲しい」
聞いてみると奥様のおっしゃることも最もだと旦那様は納得し、彼の亭主としての権限は封ぜられ、休日にはお互いに迷惑をかけずに同格でいることが決まりました。
くいーん 21号は昭和58年発行です。
携帯もパソコンもない時代です。
しかし、世の中はバブルに向かっていくよい時期でした。
そんななか、静子さんはシニア夫婦のなかに現れて平穏をつくりだしたのかもしれません。
永田町の国会図書館は19:30まで開館してます。
「では、くいーんのバックナンバーでも読もうか」と丸の内線に乗りかけましたが、国会図書館HPで確認してみると、閉架式書棚からの借り出しが18:00まで。同じくコピー依頼も18:00まで。
すると、とんでもなく慌ただしいことになります。
「まあ、国会図書館は逃げないから.....」と当たり前のことを呟いて早めに帰宅しました。
では悠々自適の元会社役員のお宅に現れる静子さんの続きです。
この事件を出発点として、次第にコトはエスカレートしてゆきました。お腰の次は赤い長瑞祥……そして化粧。
初めて化粧をした私の顔はとても可愛らしく、私白身大変驚き、妻も美人だわとはやしにたてくれました。
あの時の驚きと息はずむ思い、気持の高揚は今でも忘れられません。
いつとはなしに妻は私に化粧を促すようになり、私も変身ということに興味を覚えて、さらに着物まで完全にきせられました。髪にはかもじとつけ毛でごまかしてかんざしを差し、幅の広い帯でキュッと胴のあたりをしめつけられると、とても気持良く、私は大喜びでした。
その夜の夫婦生活は二人共大ハッスルし、大変満足しました。
そして、忙しい私の仕事の合間に、子供達が寝てしまったあと、時折、夫婦の寝室に静子らしい影が現れました。
私は今、静子の世界にいます。
ここまでの手記は彼が会社で書きました。このあとを彼にバトンタッチされた私は今、彼の書斎の机でこれを書いています。
私か誕生した後のご夫妻は、夫婦仲もむつまじく、よく一諸にデパートヘ買物に行っては、アクセサリーや化粧品、ネグリジェ、着物、と私と奥様で共有できるものを買っていらっしゃいました。
けれど、或る日、旦那様に地方支社への栄転が決まり、単身のマンション住いとなりました。奥様は一カ月ごとに一週間の予定で、旦那様のもとへおいでになり、そのたびに私の出番が回ってきたわけです。
結局、5年の後、旦那様は本社にお戻りになりましたが、その間に私、静子は、女らしい仕草や言葉づかい等を奥様よリ習い、着物も一人で着られるようになりました。
しかし、それからはお仕事も一層忙しくなり、家へ戻っても静子はお払い箱。
やがて、夫妻も「老」という字がつく年齢になり、子供達も家を出て、旦那様も現在の地位につかれました。
家庭での二人だけの生活は、彼を最近流行の粗大ゴミにしそうなようすでした。
先日、あるTV番組で定年で退職して家庭に帰ってきた夫に対して、妻も定年を要求し、独立して別居。老いての独り暮しに耐えかねた夫が、別居の妻を訪ねて絞め殺すという深刻なドラマがありました。
しかし、奥様も旦那様にこれ同様のことを提案したのです。
「これからは、あなただけが現役を引退したといって、多くなった休日を家でゴロゴロして、仕事をいいつけられては困る。私だってあなたのお仕事に協力して、家を守り、子供を育だてたのだから、これからは自分の自由な時間が欲しい」
聞いてみると奥様のおっしゃることも最もだと旦那様は納得し、彼の亭主としての権限は封ぜられ、休日にはお互いに迷惑をかけずに同格でいることが決まりました。
くいーん 21号は昭和58年発行です。
携帯もパソコンもない時代です。
しかし、世の中はバブルに向かっていくよい時期でした。
そんななか、静子さんはシニア夫婦のなかに現れて平穏をつくりだしたのかもしれません。