木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

レンゲ草の世界

2023年04月12日 05時32分10秒 | 耕作放棄地

赤い絨毯を敷き詰めたような田圃の中を、習い立ての唱歌を歌いながら走り回る・・・・・・とくれば、もはや郷愁の世界だろう。何がって、いわゆるレンゲ草の群落だ。正式には「ゲンゲ」と呼ぶ野草らしいが、一般的には「レンゲ草」の名称の方がとおりが早いだろう。かっては何処でも見られる農村の姿であった。未だ化成肥料など入手し難い頃の稲作はレンゲ草に頼りきりだったのだ。それに家畜の飼料としても重宝され、一面のレンゲ草畑となった次第、いわゆる緑肥と呼ばれた時代、「窒素肥料」の重要な資源だったのだろう。

お手軽で使用が簡単な化成肥料が出回ってくると、レンゲ草の栽培は徐々に廃れていった。最近はむしろレンゲ草が栽培される田圃は稀な存在となってしまったようだ。農村地帯を歩かれても、ほぼ見かけないでしょう。子ども達がレンゲを摘んで遊ぶ情景も無くなってしまった模様だ。こうした時代背景に危機感を持ったのか、「師匠」がレンゲ草栽培にチャレンジされた模様、僅か数ヶ所の田圃だが一面のレンゲ草が出現した。幹線道路沿いの田圃だけだから、或いは観光客を意識した存在なのかも知れない。僅か数枚の田圃とはいえ、一面の赤い絨毯は久々の世界を思い出させる。生憎ミツバチ達の飛翔は見かけないようだが。かってはレンゲ草畑を飛び回るミツバチ達で賑やかな世界だったのだが、養蜂家達も消え去った模様だ。

我々が稲作に従事していた頃も、レンゲ草の栽培にはチャレンジしなかった。裏作としての栽培は不可能では無かったが、手間暇よりも冬場の休耕に走ったのは時代の流れか。無論、稲作には化成肥料の採用だった。バケツに入れて歩きながらまき散らすだけ、その手軽さは何とも軽快で手放せない手法だったのだ。SDGsの世界観はあっても、効率性に負けてしまった。

今、再びレンゲ草の世界を眺められるのが無性に嬉しい。師匠は腰を痛められた状態、手間暇の掛かる栽培は避けたい心境だろうと推測する。にも関わらず、あえて挑戦されるのは、後輩達に何事かを伝えておきたい心根だろうか。心中深いところは覗けぬが、あえて手間暇の掛かる栽培への挑戦に、考えさせられる側面の存在が。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする