木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

山の清水は蕩々と

2025年02月23日 05時23分38秒 | 耕作放棄地

普段はあまり気にも止めないのだが、水のありがたさを実感する時がある。農作業に従事する農耕者、つまり百姓である我々などその最たるものであろう。何せ作物は水無しでは育ってくれない。天水が基本だが不足の折には河川水を流用した用水路のお世話になっている。維持管理するのが水利組合、農村共同体の核となる組織だ。何処も同じかと思うが、定期的に用水路の補修や清掃を行い流路の円滑な流れを確保している。

こう記すとあたかも組合が主体であるかのような雰囲気だが、さにあらず。骨格となるのはあくまでも水なのだ。幸いにして当地は金剛山、葛城山の西山麓に位置している。山に降った降水、湧き出る清水・・・・・そうした諸々が長い年月を経て当地の田畑へと流れてくる。有り難く拝借して作物を育て、再び元の流路へと戻していく。稲作が始まったのは縄文時代とも言われるが、2000年からの歴史ともなるのだろう。水との共生の歴史でもある。

当地にも大小様々な流路が存在する。溝とも水路とも河川とも呼ばれるが、大小の相違ぐらいで働きは同一だ。まさに水無くして人間の生活は成り立たないだろう。聞くところによると、人間の体は60~70パーセントが水分で構成されてるそうな。ドクターの助言にもあるように、日常生活でも1日2リットル以上の水分が必要だとか。まさに水無くしては人間は生存不可能であろう・・・・・・と思う。

当地は恵まれた地域のようだ。金剛山、葛城山、岩湧山、の綺麗な水が蕩々と流れだしてくれる。水には困らない地域、幸いなことに滝畑ダムという巨大な水瓶も存在する。水の恩恵を見失いがちな我々だが、時として思い返し感謝の念を忘れないことだろう。

 

 

 

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