現代は高い効率性を求め、便利な方に走るが何かを忘れて走っている。徒歩や自転車で行ける所へ自動車で行き、代わりにスポーツジムで走ったりしている。私の実家でも風呂場が母屋から離れた場所にあり、母が年老いたので便利なように母屋の一部を改築して風呂場を作った。それが、本当に良かったのかと今では思う。病院と同じで外に出ることが最小限になった。病院の中は快適で何となく一色で色の変化もなく、気温も一定である。雨の日に傘をさして風呂場に行くことも、洗濯に外へ、風呂を焚くのに外へとつっかけをいちいち履いて出ることもなくなった。肌に暑さや寒さを感じることも、目に山の景色や風になびく木の葉も見ることも、車の音や鳥、虫の鳴き声も聞くことも減り、感じることが少なくなった。果たしてどちらが母の身体に良かったのだろうか。すべてホームの人がやってくれる有料老人ホームから自分が出来ることは自分でする老人のシェアーハウスに移った老婦人は人として今は生きている感じがすると話された表情をTVで見て不便な方が良かったのではと感じた。
今日の夕食は、
◆三色ご飯(鯛そぼろ・卵・さやいんげん) ◆肉の野菜巻き ◆スモークサーモンのマリネ ◆のっぺい汁
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追記: 不便な方が感じることも、考えることも、思うことも多いように思う。私について言えば、同じように優秀でない方がいろいろと悩んだり、泣いたり、苦しんだり、多くの異なる経験を体感出来ているのではと自身を慰めた。