郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

楽しむ

2020年07月17日 | 日記

 朝から一日、栄養教室の献立試作会でした。今年度の新しい献立レシピは作成したものの、時間が掛けられないので昨年度までの献立レシピを少しアレンジしたものを使うことになりました。試作した後食べてレビュー(Review 批評しあって見直す)しました。その後、別の件でお友達と打ち合わせをしましたから帰るのが少し遅くなりましたが、お昼頃から晴天になりました。  昼前は小雨が降っていたがテニスをやりますと言うので家人はコートに行ったようです。久しぶりのテニスで良かったですねと言いましたが家人がボールを打とうする直前に、出足が遅い、ラケットの構えが悪いとかのアドバイスをいろいろ言われるのでその言葉の方に自分の注意がいってうまく打てない。それみたことかとまた言われる。パートナーから付ききりで言われると答え(結果)を早く出さないといけないようで何か急〔せ〕かされていて心がドンドンと狭くなる。 私はパートナーの人形じゃない。自分は自分のペースで打ちたいのだと思ったらしい。パートナーは悪気があって言っているのではないが、途中からアドバイスを無視して自分流(自分の考え)を通そうと決めたと家人は怒っていた。歯痒いのは分かるけれど黙って見守って欲しい。急がば廻れである。それが能力のあるパートナーには分からない。過干渉が善意で行われるから始末が悪い。家人が下手だから言われるのは当然なのだけど楽しくなかったようだ。

 今日の夕食は、


 ◆鯛の西京焼き ◆炊き合わせ ◆ツルムラサキの納豆和え ◆ゴーヤの当座煮 ◆きのこ味噌汁 ◆ご飯
   ~ ゴーヤ はお友だちからのお裾分けの頂き物 ~

  追記: 子どもの教育でも過干渉はいけないと言う。自立が出来ない。自分で考える力を奪ってしまうから。親は見守るだけが最高の教育だと思い、口出しを如何に慎むか、耐えるかが試される。それが出来なければその責めを負い、一生、子どもを背負って生きなければならない。教育とは道筋をつけるだけだのに、最近の教育はすべてを教え込もうとする。間違っている(親の方に教育が必要だ)。この蝶々だって親から何も教えられていない。でも生きる知恵は知っている。人も同じ。子どもの力を信じなければならない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする