コミュニティセンターでの卓球が再開でき、家人は久しぶりに張り切って出掛けた。緊急事態宣言での中での再開ですから後ろめたいものがあると思うのですが、この約2ヶ月間、中止であったので、卓球を出来ることが嬉しく後ろめたさ追いやったようだ。そして卓球そのものも楽しいことには違いないが、卓球仲間に会えることも楽しみであるのかも知れない。歳が行くと(行くところがなく)人恋しさが募るからだ。いや、そうではなく、このコロナ禍では誰しも人恋しくなるのだと思う。別に長時間話しをするわけではなくても、顔を見て、挨拶をし二言三言話すだけで心が安定に保たれるものだ。人はそういう風に造られている。そうでなければ集団、大きく言えば社会は成立しない。帰属意識は主観的なものだから意識するときとしないときがあり、人によって違うと思うが、私はコロナ禍のような分散状態になったときの方が強く感じる。そうやって常に自分の居場所を確認しながら生きているのだなと思った。逆に言えば人間の習性をうまく利用して新型コロナウィルスは感染していくから感染症は収束しても終息はしない。





◆鰤のみぞれ煮 ◆三色蒟蒻の味噌田楽 ◆薩摩芋のレモン煮 ◆団子汁 ◆ご飯
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