今日は京都の東山にある『養源院』に行きました。
この間、卓球の練習ばかりで、お寺巡りに行ったのは、久しぶりでした。
この養源院は、ずっと行きたかったお寺で、三十三間堂や法住寺のすぐ隣にある寺院です。
この寺院は、豊臣秀吉の側室だった淀君が、父の浅井長政の供養のために二十一回忌の際に、建てられたものです。
浅井長政と言えば、織田信長に滅ぼされた人物です。。。
その供養のために、滅ぼした側の豊臣が建てるとは、不思議なことですが、不思議なことは、それだけではありませんでした。
その後、豊臣が滅んで、徳川の世の中になります。。。
その際、火災にあって焼失した寺院を再建したのは、淀君の妹であるお江でした。
お江は徳川秀忠に嫁いでいましたが、今度は豊臣を滅ぼした徳川がこの寺院を再建したのです。
おそらく、お江が姉の淀君の思いを受け継いで、何とか再建させたいと願ったのではないかと思われます。
立派な徳川の葵の紋が飾られていました。
徳川としては、豊臣が建てた寺院を再建するにあたり、いろいろと条件を考えたようです。
それは、関ケ原の戦いの前哨戦ともいわれた伏見城で自決した鳥居元忠たちを称えて、供養するという名目だったようです。
伏見城に残された、血に染まった廊下をそのまま持ってきて、天井に貼り付けてあります。
よく「血天井」と呼ばれるものです。
この「血天井」というのは、よく聞く言葉で、いくつかの寺院で見かけます。
そうやって、徳川の家来たちを供養して、いつの間にか徳川の菩提寺となったようです。
そんなすごい歴史があったとは、想像もできません。。。
たしかに、天井には黒くなったシミが多数のこさえていました。
さすがに400年たってしまったので、DNA鑑定はできないみたいです。
外には、アジサイが綺麗に咲いていました。
浅井~豊臣~徳川・・・と時代の流れを象徴するような寺院でした。。。
これで、行きたいと思っていた寺院にまた一つ行くことができました。
まだまだ、行きたいところはあるのですが、ぼちぼちと回りたいと思っています。。。
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