かんりにんのひとりごと

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土方歳三最後の地・・・

2022-06-19 | 観光・旅行・京都検定

 

私の家から少し離れた場所に、「伏見口の戦い(鳥羽伏見の戦い)」激戦地跡という石碑があります。

 

 

なんでも、幕末から維新にかけて起こった戊辰戦争の始まり「鳥羽伏見の戦い」がこのあたりで繰り広げられたとのことです。

 

 

 

何が書いてあるかというと、1868年の1月2日「鳥羽伏見の戦い」が始まる前日の夕方に、会津藩の兵士が200名大阪から船でやってきて、この地に上陸し、近所の「伏見御堂」という藩邸(現在は伏見幼児園)を拠点に戦ったと書かれています。

 

この時、土方歳三さんをはじめ新選組の人たちは、「伏見奉行所」(現在は桃陵団地・桃陵保育園)にいて、一緒に戦ったとされています。

 

 

 

よく通る場所ですが、こんな戦闘が繰り広げられていたとは、思いもよらぬことでした。

 

わずか150年ほど前のことです。

 

この後、幕府軍は敗走を重ねて北上し、函館の五稜郭にたどり着くわけですね。

 

司馬遼太郎さんの「燃えよ剣」には、そのことが詳しく描かれています。

 

そして、函館が最後の地となったわけです。

 

そんな、最後の地を確かめてみようと、土方歳三最後の地を訪れてみました。

 

 

 

 

大きな石碑があり、花やお酒などがたくさんお供えされていました。

 

「燃えよ剣」によると、土方さんが五稜郭を出たのは、明治2年5月11日のまだ暗い時間帯。

 

榎本武揚と大鳥圭介は五稜郭への籠城を主張したけれども、土方歳三はそれを無視する形で、函館へ向かったと書かれています。

 

「俺は函館に行く、おそらく再び五稜郭にはもどならい・・・」という言葉を残して・・・。

 

 

 

 

せっかくなので、土方歳三記念館にも行ってみました。

 

小説とほぼ同様の内容が館内の説明にもありました。

 

すぐ近くにはきれいな海がありました。

 

 

 

土方さんも随分と遠くまで来たもんですね。。。

 

生涯、戦闘の連続だったわけですね。。。

 

 

飛行機が着陸態勢に入りました。

 

 

今日は、再び幕末に戻って、『新選組血風録」を読んでいます。

 

 

しばらくは、幕末の物語を読んでみようかと思っています。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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