堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

鳥居耀蔵

2011年06月27日 | 日記

 平岩弓枝の「妖怪」を読み始めた。
 主人公は鳥居甲斐守忠耀・耀蔵である。当時、あり得ない筈だが、甲斐守は二人いた。そこで、鳥居忠耀は「耀甲斐」と言われ、その行状から妖怪に変じたとも言われている。
 以前に宮部みゆきの「弧宿の人」を読んだ。
 丸亀藩に幽閉された鳥居耀蔵を思わせる人物が登場する。

 鳥居耀蔵と言えば「妖怪」という言葉に象徴されるように、悪人の印象が強い。特に「蛮社の獄」に代表される強圧的政治が印象に残る。

 宮部みゆきの「弧宿の人」を読んだとき、状況設定から、そこに登場する場所と人物が、丸亀藩と鳥居耀蔵ではないかという感じがした。
 ところが、場所は別にして、登場人物に違和感を感じた。極悪人というふれこみで、作品は始まるが、作品の後半になるにしたがって、主人公の少女「ほう」とのかかわりの中で、今まで抱いていた鳥居耀蔵のイメージとはだいぶ違う。

 平岩弓枝の「妖怪」も、従来の鳥居耀蔵についての解釈、人物像から離れ、別の観点から眺め、新たな鳥居耀蔵を描き出しているものと思われる。
 宮部みゆきの「弧宿の人」では、鳥居耀蔵らしき人物は直接、表に出てきてりるわけではないが、その人物の描き方が、極悪非道の人であり、諸悪の根源であるという噂と、評判に反し、実態は違うという、人間性の豊かさをほうふつとさせる。宮部みゆきが鳥居耀蔵をこのように解釈した理由と経緯を知りたくなった。
 平岩弓枝は正面から鳥居耀蔵と取組んでいると思われる。
 歴史上の人物に対する評価は様々である。
 その人の生きた時代背景や力関係、その人の最後など故意に歪曲されて伝えられる。また、評価される時代も多大な影響を及ぼす。
 足利尊氏などは第2次世界大戦の天皇崇拝の真っただなかでは、時の軍部の都合上、逆臣として、悪人として扱うことが、軍部にとって戦意高揚の上からも必要であったのであろう。

 我々のように、その人物の業績や思想、その時代の流れを明確に知らないものにとって、悪人にも善人にもなる。
 小説の面白さは作者の知識や調査力文章力や物語の展開等でその人物像が出来上がる。既成概念とは違ったイメージが形作られる。それが、作者の力量であろう。

 この種の体験の最初は、山本周五郎の「樅の木は残った」の原田甲斐であろう。NHKの大河ドラマを見るようになったのも、この作品からだったと思う。

 両者に「甲斐」がつくのも面白い。