オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

認知症と癌患者、みな同じ顔だな

2018-11-23 10:55:50 | オストメイト

 

 

 日産はとうとうフランスに乗っ取られてしまったのか? ご~んが登場したころに、ブログで書いたことがあったが、今回のご~ん排除のやり方の稚拙さは、恥ずかしいのを通り越していつの時代のやり方だ? と眺めてる。

 グローバルを叫んで、外資の参入をこぞって喜んで、世界の投資金を集めることを国策としてやってた割に、怖ろしくなるとこの調子、欲に目がくらんでベットまでは入ったが、いざ鎌倉で怖気づいて大騒ぎ。

 ・・・無理やり関係を迫られた~~ って大騒ぎしてるのとナニも変わらない。

 人間ってさ、悪いとこばかりかき集めて構成されると、俺なんざ古今東西無比の、極悪人にもなることだろう。

 美人局が被害者ぶるのはさ、退屈で見飽きたよ。

 太鼓持ちメディアも正当化する記事ばかりで、アクビが出るわい。

 

 3年前、癌の大病院で1か月半入院・手術して思ったことは、みな同じような顔になってることだった。

 なんで癌だと言われただけで、みな同じような顔になっておるのか? 身内ですらおなじテイタラク。

 可笑しかった、可哀相だとは想わなくって、みな洗脳された新興宗教の信者のようだった。

 だからみな同じような治療を三つの選択肢の中から選ばされて、それ以外は考えもしないで良い子になってる。

 抗ガン剤治療か、放射線治療か、手術して取り除くか・・・しかない。

 新種の免疫療法たって、中身はスピリチュアルの殻を破れてない。

 コンビニで棚にあるものを選ぶだけの消費生活とおんなじだ。

 先月、90歳になる爺様が直腸がんで人工肛門にするしかないと言われたというので、わざわざ広島まで2週続けて戻って、一緒に大病院のベテラン外科医んとこに行ったけんども、外科医としては失敗はしないと余裕をこいて言うのに対して、その後のことはテメ~らの責任だと言ってるだけじゃんか? と返してやった。

 WOCの看護師も同席して、オストメイトの日常やケアについての話があったが、そのすべての話が俺の経験談で粉々になっておった。

 途中からは俺の独演会みたいになって、逆に質問攻めにあっておった。

 キチンとすべてに応えてあげたがね、驚いて聞いてる場合じゃ~ね~だろ。

 ・・・内科医なんてさ、話術を磨かなければ意味がない仕事だろう?  笑ってクスクス頷きながら小声で・・・後ろの通路の向こうは内科なんですよ・・・と。

 ・・・なんのために生まれ、死ぬ? なんの為にまだそこまでして生きる? そういう自問自答がある。

 爺様ともいろいろ話をした。

 ・・・わしゃ~もう充分に生きたで、これからまたそんな大変な生活を送るのはもう嫌じゃの

 高齢になると癌の進行はあるかないかだ。

 医者は2カ月生きれるかどうか? と最初に本人に言っておったことが、俺が登場したことで様子を見て行きましょうに変わり、次は年明けにでも見ましょうか・・・に変わって来た。

 余命というものは医者が決める訳ではない。

 そのマニュアルの医療行為をすることによっての余命、そういう認識も必要だ。

 なにもしなければもっと別の結果があるかも知れない。

 癌の治療は行き詰ってると言っても良い。

 商業行為としても、行き詰っている。

 痛感したもんだ。

 

 俺は若い頃はギャンブルすべてにのめり込んでおって、家の2軒くらいは蒸発してるだろう。

 それが40歳の頃、ある事情があってから、いっぺんに止めてしまった。

 なんだ、生きることが究極のギャンブルじゃ~ないか・・・それに気がついた。

 命を賭けるいじょうの愉しみはない。

 そうして借金・負債をキレイにして、親の借金・負債もキレイにしてやって、身軽になった。

 必死になって寝る間も無い日々をその為に費やした。

 そうすることによって、生きてること自体が愉しいギャンブルに変わってきた。

 半端なくなった。

 あちこちに子供が出来、みな養って育てて、忙しくなった。

 悪いが俺は命を賭けてる・・・その辺の悪ガキがテストの点が悪くて親の前でよくいう台詞とは違う。

 常識だの、道徳だの、曖昧なものにはいっさい振り回されなくなった。

 怖いモノや遠慮するものが完全になくなった。

 身近な者らの通夜や葬式でも、笑っておれるようになった。

 たかだか一度の命、安全や、平穏なんて抜かして居っても、結局はギャンブルでしかない。

 なのにまだ皆とおなじ? エエ歳こいた大人が、おかしいだろう。

 まわりばかりキョロキョロして生きてんじゃ~ね~の。

 

 ・・・この日曜日のお休みに、お部屋を見に行きたいんですが・・・

 ・・・あ~あ~、その日は新潟の山の上にいるから、無理だな~・・・

 そんなことをヌケヌケと言い放って営業してる店は、銀座でなくとも俺んとこくらいだろう。

 仮に日曜日の山を無しにして、わざわざ付き合ってあげたとして、決まるという確証などない。

 不動産はご縁ものだからね~・・・今この時に見に行かなくって、縁などは逃げてゆくよ。

 男女の仲だってそうだろう、とっかかりは今だ、なのに今動かないで、縁など言うな。

 銀座の近所の人気の飲食店のオーナーたちでさえ、社員宅の案内は日曜日を避けて言ってくるさ。

 売買でも、平日にすべて動くのが当たり前になっておる。

 そもそも公共機関が休んでる日に、大事な財産の話など進めること自体、おかしいだろう。

 そういうスタンスで30年近く自営をやっておるから、長い顧客はまた人間として濃い人たちが多い。

 ・・・一番おかしいのは、おめ~だろうよ

 よく大笑いしながら言われるが、オツムが呆けておるからじぇんじぇん気にならない。

 もうね、時代の最先端を行ってる銀座の周旋屋は、そんな場所までやってきてる。

 


山に行けない・・本当に、あ~あ

2018-11-22 09:53:23 | オストメイト

 

 今週末は野暮用が入りそうで、山には行けなくなりそう・・・これが俺には一番の辛いことだ。

 売買や賃貸の内見とて、わざわざ日をずらしてもらってるくらいで、契約日もそこは避けてもらってるような横柄な周旋屋なのに、それが叶わないこと、これは万死に等しい。

 ・・・あ~あ

 

 軍茶利だとか金剛夜叉だとか、五大明王の名前がそのまんま山の地名についてる場所は日本中にある。

 その中でも不動明王の名前がついてる山に関する地名が一番多いのではないかというほどに、お不動さんはあちこちに登場して来る。

 これらは我が国の原始宗教・修験道や山伏が修業を行った山々に、たくさん地名として遺されている。

 山の名前だけでなく、谷や川や峠やにもたくさん遺っている。

 古い苔むした石に刻まれた不動明王は、どの顔も忿怒をあらわす怖い顔で刻まれている。

 背には燃え上がる炎を焚き上げて、右手にはおどろしい宝剣を持ち、左手には柔い羂索を持ち、睨み上げるような鋭いまなざしを向けている。

 煩悩を断ち、迷いも断ち、叱咤激励して生きようとする者に手を差し伸べる・・・そんなことだろう。

 奥秩父から上州・佐久にかけての里山には不動明王の刻まれた古い石がたくさんある。

 錆びついた刀剣が飾られているものもある。

 いまは熊公が棲みついておるような閑散とした奥山になっておるが、昔は賑やかに参拝するものもおった。

 神は高い見晴らしの良い山の頂に降り立ち、死者は高い山の頂から天に還る、その後はナニも無い。

 考えて見ればわかりやすいし、それで良いのだと納得できることでもある。

 これだけ人工のモノが溢れ、生活は楽が出来るような時代になってはおっても、人間が背負っていることの肝要なる部分は、ナニも変わってはいない。

 

 こないだの週末は高速も下道も空いておった。

 今週が三連休だからというのと、給料前だったからというのと、まわりでは色々と言って居るが、秋と冬の狭間だからというのが、俺の受け答え。

 干し柿が今年はよく出来そうだとか、干し芋が甘くなりそうだとか、そういう話が愉しい。

 オツムが単純になってきてるということは、終わりが近いということでもある。

 

 山に行けない、これは本当に あ~あ だ。

 どっか別の日の平日に、なんとか時間を作って行くしかないか・・・。


いかんわいかんわ、まだ元気だわ

2018-11-21 10:12:43 | オストメイト

 

 サウジアラビアの皇太子は孤立させられて、暴発させられる流れに嵌ってしまってる。

 窮鼠は猫を噛むのとおり、中東でサウジが暴発してしまうと、これは喜ぶ連中は多いことだろう。

 

 師走の年の瀬にはまだ早いのに、除夜の鐘の音がやかましい・・・ご~んご~ん。

 日産のご~んは、登場した時から思ってるけんども、欧米の漫画で出て来る悪者の顔、それも解りやすい悪者の顔であって、最後には滑稽な自滅で笑いを誘うよくある顔。

 なのになんで今? 今頃になって突然にひとり悪者にされているのか? は笑えない。

 他の取締役は知らなかった? 司法取引? 見ないフリしておれば罪はないと? サラリーマン経営陣らしい。

 竹中平蔵が絶対大丈夫だとアドバイスしておったものなのかどうか・・・じゃ~次は甘平の番か?

 フランスに日産・三菱自動車を盗まれずに済んだのかどうか、まだまだわかりゃ~せんよ。

 ご~んが家族とよく行ってた焼き肉屋は俺も良く知ってるが、俺よりも背丈の小さいのが普通の客に交じって行儀よく行列に並んでた。

 そんなこんなを眺めながら・・・この世も末じゃ~・・・って言ったって、現代は情報が漏れやすくなっておるからそう見えてるだけのことで、昔から世の中社会なんざそんなものさ。

 漏れた情報やら、作られた情報やら、嘘の情報やら、ワザと錯綜させてるのはナニかのメクラマシでしかない。

 エエ歳こいて、厭世気分に浸ってる、そこのあんたも笑われてる。

 ・・・リストラで会社を辞めて行く人たちのために、トップは清廉潔白でなければいけない・・・。

 ならばそれぞれが自営を始める以外に、それを実行する手立てはない。

 だいたい公務員だとかサラリーマンがそんな夢物語を語ってる。

 俺は10代の頃には、そんなことは見抜いておったがな。

 まず自分で独り立ちして、そん時に言う台詞だ。

 俺は黙ってコツコツやって来て、だから今は言いたい放題さ。

 大人は誰しもキレイゴトをほざくだけで、餌を貰う生活からは抜け出ない。

 ペット同士が、飼い主の悪口をヒソヒソ言い合ってるのと、ナニが違うの?

 まだ幼い子供らでも、そんな光景はジッと見ておるんやで。

 

 不動産業のプロのことを周旋屋と俺は言っているが、昔の先輩連中には山好き・山馬鹿が多かった。

 いわゆる雇われブローカーとして不動産業のナンデモ屋でもあり、稼ぎになる話ならナンデモ喰らいついて行き、アガリの半分を貰うとか、そういうことを生業にしておった。

 やばい仕事も多かったから、決して本名では営業はせず、持ってる名刺の名前には・・・北峰 登・・・とか、ふざけた名前を刷って営業をやっておった。

 そんな昭和の良き時代が、30数年前の不動産バブルの頃まで続いておった。

 飲み屋では不動産の話などまるでせず、山の話ばかりだった。

 喰う為にブローカーを続けてるだけの話で、儲かればそれを使い果たすまでは山屋になっておった。

 澄まして山岳ガイドだとほざいておったり、森林監視員だとか・・・おめ~らエエ加減にせいよ、だった。

 自由気ままな連中だった。

 ・・・不動産屋が、山で道に迷うわけがないだろ・・・みな、酔うと当たり前のように言っておった。

 そんな飲んべ~の中でも、俺は浮いておった。

 夏山は登らない・・・そう、海で遠泳するからだった。

 ・・・山屋なのか、海屋なのか、はっきりしろ!・・・

 よく言われておったが、いまでも解らない。

 

 治安悪化から日本に海外逃亡してきてる中国や韓国の財産家から、ときどきオモシロイ品物をもらうこともあるが、漢方の食い物・飲み物なんかは役に立つこともある。

 これもたまに摂るから効果があるだけのことで、人間の身体はすぐに慣れてしまい、排出してしまう性質がある。

 ・・・よかったら、また差し上げますよ

 ・・・いやいや、忘れた頃で良いよ

 歌舞伎座の近くの銀座で仕事を長くやってると、歌舞伎の良い席のチケットなんてものは年中あちこちから頂くけんども、俺が興味ないからみなさんにばら撒いて終わってる。

 不動産バブルの頃は車を頂いたり、いろんな桁違いの頂きモノがあったけんども、いまは昔、可愛くなった。

 今じゃ別にナニが欲しいはなくなってるが、しいていえば優しい愛が欲しい・・・張り倒されて終わりか・・・。

 

 先日の山行は急登がけっこうあったのに筋肉痛すらならなかった。

 いかんいかんわ、また元気になっておるがな・・・。


土産はそこで俺の腹に入れておく

2018-11-20 11:04:12 | 地球と生きる

 

 年中、毎週、山を歩く生活を続けていると、足の指の爪がよく伸びるから、メンテナンスも忙しい。

 人間60歳過ぎたら身体は劣化するだけだから、爪も伸びるのを止めてくれれば楽なんだが、使ってるうちは元気なようで、なかなか伸びる速度が遅くならない。

 左膝を傷めておっても歩くことで治すようなことだから、その間は左の足の爪の伸びる速度は遅くなってた。

 自己治癒能力という、現代医学でも敵わない力が、懸命に治療にあたっておった証拠だろう。

 足の爪は長いまんまで山に登ると、下りにテキメンその影響が出て来る。

 すでに潰れてしまってる指ばかりでも、爪の塊は大きくなる。

 それを切るというよりも削っているのが本当だが、爪の塊が肉に食い込んでくると痛くなる。

 だから足の爪のメンテナンスは大事なんだ。

 若い頃は不動産の訪問販売で日本中、仕事でも田舎の村をよく歩いたもんだった。

 重い部材を背負って、ひたすら歩き回っておった。

 剣道やラグビーをやっておった身体だから、基本的に強いんだろう。

 腹に肛門がやってきても、いまでは普通の健常者とおなじ日常に戻ってしまってる。

 やってることはすべて同じでも、ガス抜きと排便と4日に一度のパウチの交換とメンテナンスだけが違う。

 体重は2キロ増えて75キロ、176cmで75キロだと、山を歩くにはチョいと重い。

 牝馬は寒くなると太るが、俺はオスなのに寒くなると太る。

 

 一昨日、山を降りて地元で買ったクルミゆべし、一個がデカくて、ひとつ喰らうだけで腹がずっしり重くなるような、そんな美味い昔ながらのゆべしだった。

 土産物のゆべしとは、ぜんぜん別物だった。

 先週の妙義山の帰りに買った山ぶどうは、不味かった。

 ・・・土産は、いま自分の腹に・・・

 当たり前のことだが、それを勘違いしてる観光客は、誰かのためにと買っている。

 毎週あちこちに出掛けておれば、俺みたいになるわな。

 いつもどこぞの遠方の山に登ってる、これが日常になれば、いちいち土産など言わんだろう。

 なんでもトコトン生きておれば、半端な詐欺にはひっかからない。

 昔は富士山詣でだとか大山詣でだとか、御岳山詣でだとかの講が栄えた時代、その詐欺はピークだったろうが、いまではその辺の観光地に行けば、講の証しではなくって土産という名で人に消費させている。

 講は代表団が山にある奥の院に登り、そこでお守りやらナニやらを買いこんで、資金を出して待っている村人たちにそれを配った。

 今は東京に居れば誰でも日本中の土産は手に入る時代なのにね。

 いつの時代も、自分では動かない人、これは詐欺の被害者の最たる上客。

 都会で蠢き回るのではなく、日本の山や海へと出掛けて行く、これ大事。

 

 銀座は相変わらず、のほほんだ。

 メンドクサイ仕事ばかり、溜まってきてる。

 北岳に登ってきたという周旋屋が遊びに来てたが、俺よりも6つ年長者なのに元気なもんだ。

 勃起した男根の硬さは、俺の方が硬いだろうが・・・。

 すでに高い山は真冬と呼んでも良い。

 それでも登山者は多かったらしい。

 初詣に行列を為すのとおなじで、良いことは分母の数字に反比例する。

 俺は人のいない里山歩きに、いまは精を出している。


冬桜と、西上州の古い山並み歩き

2018-11-19 10:37:19 | 地球と生きる

 

 今年は、冬に咲くサクラの当たり年か・・・。

 先日に歩き登った妙義山でも、冬桜がけっこう咲いておった。

 神流の城峰公園や桜山公園では居並ぶ冬桜のライトアップもやっているが、この時期の奥山では、いがいにあちこちで冬桜は気持ち良く咲いている。

 稜線で咲く小さな冬桜をマメザクラと呼んだり、山の中腹でポツンと咲いてる冬桜はヤマザクラと呼んだり、いろいろだけんども、総称して冬桜と呼ぶ。

 葉がそろうまえに、小さく引き締まった花が咲く。

 この時期に開花し、また来年の春に開花する。

 なかにはずっと小出しに咲いてるサクラもいる。

 欲張りなサクラではある。

 ・・・敷島の、大和心を人問わば、朝日に匂う、ヤマザクラ花・・・

 我が国の奥山で、この時期の冬桜を見て読んだ句でもある。

 春に咲くサクラではなくって、冬に咲くサクラをわざわざ大和心と言う、その意味は深い・・・。

 この時期に早起きして奥山に咲くヤマザクラを見ておれば、その意味の一端でも解るだろう。

 日の出前から、見て居れば良い。

 

 ・・・ということで、西上州は御荷鉾山流れの、1000mチョイの山々を静かに堪能してきた。

 古い信仰の山々が連なっておって、山頂だけでなく、山腹にも朽ちた祠があちこちに佇んでいるような、そんな素敵で閑散とした山ばかりだった。

 登山口まで登る道も悪路で、崖上から覗いている鹿の夫婦にしか会わず、歩いてるときでも人間とは会うことも無く、猪と熊と、そんな匂いだけの奥山歩きだった。

 高速も珍しく空いておったから、帰りはライトアップされた城峰山と桜山に寄って夜桜見物も考えておった。

 だから昼前までゆっくりしておいて、のんびり出掛けたわけだが、下道・裏道を使うこともなく、のんびり悠々だった。

 熊出没注意ではなくって、熊が今でも棲んでいる山、そういう山は良い。

 熊公が暮らす山は、実りがあり、静かで人間も近寄らず、忘れ去られたような時間がそこにはある。

 先週に登った妙義山と違って、道も不明瞭な箇所が多く、積もった落ち葉に踏み跡も消され、のんびり歩くには道探しの愉しみもある。

 道がなくとも、山はのんびりと上を目指す、楽しようと思えば地獄、あえて苦を選んで遠回りしておれば、思わぬ絶景がある。

 遭難する奴らは、あえて苦を選ばず、楽してピークを往復しようとするからこそ、行き詰まる。

 山や海で遊ぶときには、時間は考えないことが一番。

 なにかに急かされたり、なにかに遠慮したり気を使ったり、これが一番おっかない。

 人や獣が作る道は、不条理そのもの、だけんどもその山では意味がある、そう考えて歩けば尾根に出る。

 そんなことをブツブツ独り言しながら、二・三度道に迷った。

 葉の落ちた木々には熊棚が残ってるものもあって、熊公がそこでムシャムシャ実を喰った形跡があった。

 ・・・どれどれそんなに美味いなら、俺にも少しは残しておけよ・・・

 1500m以下の低い山でも、360度の展望がある山への急登は大汗をかき、しばし呼吸を整えて山頂で温かいコーヒーを沸かして飲んでいると、下界から雲がモクモクと沸き上がってきて、急に風が出て冷え込んできたから、ダウンのベストを着こんで急いで片付けして歩き出した。

 夕暮れ時の山は一気に冷える。

 この頃はどんな山でも雪山装備をいつも担いでるから、別に雪になろうとも日が暮れようとも困らないけんども、それでも冷えるのは嫌だった。

 痛めていた左膝はなんの違和感も無くなってた。

 治ったかな・・・と油断するとまた痛みだすから、治ってはいないと想いながら丁寧に歩いた。

 人の居ない山ばかり好んで登り歩いてると、無謀だとか怖いとか言われることが多いけんども、誰よりも慎重に丁寧に歩いてるのも、俺かも知れない。

 その気が失せたら、山には入れないだろう。

 いろんな山々の景色を眺めながら、今週末に行きたい山がまた浮かんできた。

 

 帰路、予定通り城峰山と桜山に寄ってライトアップの下の冬桜を見て歩いたけんども、普通に奥山で見掛ける天然の冬桜のほうが、はるかに綺麗だと想ったのは、当たり前と言えば当たり前のことだったろう。