門前の小僧

能狂言・茶道・俳句・武士道・日本庭園・禅・仏教などのブログ

うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ。(良寛)

2022-11-06 17:59:20 | 名言名句
うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ。 良寛~『蓮の露』貞心尼


良寛の最期をみとった愛弟子、貞心尼の良寛歌集、『はちすの露』に収められた良寛の辞世の句です。

良寛の最晩年の法弟が、三十歳の美しい尼、貞心尼。二人の出会いから、良寛遷化までの四年余り、師と弟子は深く心を通わせた歌を互いに贈りあいました。
良寛と貞心尼、そしてその歌集『はちすの露』について、詳しくは下記リンクをご参照ください。


1. 良寛落葉の句碑 野島出版


2. 蓮の露(はちすのつゆ)


3. 良寛さんと貞心尼さんの師弟愛


4. 良寛さん から 貞心尼さん への手紙


5. 名言名句 第五十六回 良寛 死ぬ時節には死ぬがよく候



さて、良寛の病いよいよ篤く、危篤の床にあるわが師を悲しんだ、貞心尼の詞書と歌です。


 かかれば昼夜御かたはらにありて、御ありさま見奉りぬるに、ただ日にそへてよわりによわり行き給ひぬれば、いかにせん、とてもかくても遠からずかくれさせ給ふらめと思ふにいとかなしくて

 生き死にの境はなれて住む身にも さらぬ別れのあるぞ悲しき  貞

これに返した良寛の句が実質の辞世となりました。

 御かへし
 うらを見せおもてを見せて散るもみぢ  師

 こは御みづからのにはあらねど、時にとりあへのたまふいとたふとし

(『はちすの露を読む』喜多上 春秋社 1997)


人は臨終に当たって、何を隠し、何を取り繕う必要があるのでしょうか。
童と無心にまりをつき、在郷すべての人に慕われ、愛された良寛の<裏の顔>とはいったいどのようなものでしょうか。病の苦しさからついもらした弱音なのか。あるいは、決して人にはいえぬ隠し事でもあったのか。

良寛末期の記ともいえる、貞心尼の『はちすの露』には、そんなものは影すらもありません。
「おもての顔もうらの顔もぜんぶよく見ておくれ。良寛はみんなと同じ、弱くちっぽけな人間だけど、お前がいてくれて本当にしあわせだった」
と、尼の手を弱々しくにぎりかえしただけなのでしょう。


 焚くほどは風がもてくる落ち葉かな

一方、これは良寛、還暦の歳の句です。長岡藩主が、良寛を自らの菩提寺の住持に迎えようと庵を訪れた時、返事の代わりに差し出した句とされます。

「ありがたい仰せです。が、一日の煮炊きや暖をとるだけの落ち葉は、『それ良寛。今日の分じゃ』と、風が門前へ吹き運んでくれます。よって、朝夕せっせと庭掃きもせず、菜は近在の百姓がざるに入れて持ってきてくれる。托鉢にもずいぶんと前から立っておりませぬ。
年寄りで怠け者の良寛に、大寺のさばきは勤まりますまい。この儀はご放念くださいますよう」。
この良寛の句を見た藩主は、無言で庵を辞したといいます。

風の施しを受け、太陽の恩を受け、まさに自然のままで自ら足りる老僧の姿。
そして、この人は最期にあたって、生の枝からはらりと解き放たれ、うらを見せ、おもてを見せながら、本住である大地へと還っていきます。
やがて風がその落ち葉を運び、誰かの助けとなることを願って。
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逆もまた真なり。【逆説名言辞典】

2022-07-14 18:27:23 | 名言名句

【言の葉庵】ホームページは名言名句をご紹介するサイトです。

千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社 (nobunsha.jp)

中世日本を中心に、世界中からこれまで多くの偉人の格言をご案内してきました。

今振り返ってふと気づいたのが、本来の意味と真逆の言い回しを意図的に使用する“逆説的”な名言が多いことです。

「急がば回れ」などのように、ストレートに表現しないことで、注意を呼び、深く意味を考えさせる逆説表現。一瞬、誤りのようですが、立ち止まって思いを巡らすと偉人の深い意図に至り、長く心に刻まれるものです。

【言の葉庵】HP過去掲載分も含め、いくつかの味わい深い逆説的名言をご紹介しましょう。







【逆説名言辞典】



『風姿花伝』世阿弥



・上手は下手の手本、下手は上手の手本。

上手が下手の手本になるのは当たり前。だが、下手を見て、上手が「あんな下手から何を学ぶのだ」という自身の慢心に気づかせてくれるから先生となりお手本となる。



・秘すれば花なり。

本当の秘伝は、いままで誰も気づかなかったからこそ秘となり、絶大な効を発する。その内容ではない。



・初心忘るべからず。

初志貫徹という意味ではない。その時々、年代のもっとも得意であったもの(芸や考え)を「あれはもう幼い、古い」と捨てず、自分の中に保ち続け、必要に応じて取り出して応用する。





『歎異抄』親鸞



・善人なをもて往生す、いわんや悪人をや。

浄土宗の教えでは、自らを救済できる善人でも亡くなれば往生できる。ましてや自らを救うすべのない極悪人こそ、阿弥陀様がもっとも哀れに思い救ってくださるのだ。





『源平盛衰記』平敦盛



・仇をば恩で報うなり。

人と人とは前世の縁で導かれるもの。もともと敵同士であったわけではないので、仏の慈悲で敵にも報うのだ。





『葉隠』鍋島直茂



・わが気に入らぬことが、わがためになるなり。

良薬口に苦し、のたとえの通り。トップの耳に入るのは追従の言葉が多く、忠義無私の諫言は、受け入れ難いもの。



・大事な思案は、軽くすべし。

重要な議案は会議のメンバーすべて、日頃から熟慮に熟慮を重ねているはず。提議されれば、すばやく一決し、実行に移されるような意思決定システムを作っておくこと。



・耄碌は、得意な分野から進んでくる。

人は加齢とともに記憶力が衰えても、自負心だけが強いままである。





『紹鷗遺文』武野紹鷗



・すべての芸に、下手の名をとるべし。

一芸の名人になるためには、他芸に目移りしてはならない。





『山上宗二記』千利休



・上を粗相に、下を律儀に。

賓客には飾らず接し、並みの客は丁寧にもてなすべし。





『貞観政要』唐の太宗



・楽しみは極むべからず。楽しみを極めれば悲しみを生ず。





『スッタニパータ』釈迦



・人々が安楽と称するものを、聖者は苦しみであるという。





『道徳経』老子



・知る者は言わず、言う者は知らず。 第五十六章

高い見識のある者は誤りを恐れて無口となり、

浅薄無知なものほど聞きかじったことを得意げにぺらぺらしゃべるものだ。



・学を絶てば憂い無し。

学ぶことによって、かえって苦悩が深くなる。 第二十章



・曲なれば則ち全し、枉がれば則ち直し。第二十二章

まっすぐな木よりも、曲がっている木こそ、その天寿を全うできる。



・道は常に無為にして、而も為さざるは無し 第三十七章

道は常に何事もなさないが、それでいて全てを成し遂げている。



・知りて知らずとするは上なり。 第七十一章

知っていても知らないとするのが最上である。
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名言名句第七十二回 君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。

2022-02-20 11:03:24 | 名言名句
君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。 ~出典不詳。『槐安国語』に白隠の句あり


江戸中期の禅の高僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)の名句です。
臨済宗大徳寺派の祖、大燈国師の語録に、白隠が評語と下語を付した、『槐安国語』に収められています。(ただし白隠のこの句の出典は不詳とされています。くわしくは下記リンクを参照してください。)

◆良寛「君看雙眼色 不語似無憂」の典拠について(ぱぽ書房)
https://bit.ly/3rUbjy5

同書より、大燈国師の元の句(千峯雨霽露光冷から始まる、左の七字四行の句)と、それに付した白隠の句(右の君看雙眼色。不語似無愁以下の四行)をご紹介しましょう。


千峯雨霽露光冷   君看雙眼色。不語似無愁
月落松根蘿屋前   眼中無見刺。耳裏絶聞塵
擬寫等閑此時意   若識琴中趣。何勞絃上聲
一溪雲鎖水潺潺   莫嫌襟上斑斑色。是妾燈前滴涙縫


禅語はそもそも詩や文学ではなく、悟りを開くための修行として唱え、学ぶべきもの。
和歌や漢詩のように、解釈し、観賞するものではありませんが、時としてその語感の美しさに、祖師の深い教えに到達できなくとも、感動し、魂がふるえることがあります。

「君看よ双眼の色」も、禅修行者はもとより、古くから書家や文学者に愛唱され、度々引用されてきました。
もっとも有名なのが、良寛の書であり、二行双幅のものと、一行のものがあります。榊莫山はこの一行ものを良寛の「涅槃の境」と称しています。
芥川龍之介はこの句を好んで自ら色紙に書き、『羅生門』の扉を飾らせ、作中人物にも書かせています。

君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。

人は悲しみや苦悩が深ければ深いほど、静かに澄んだ目をしているように見える。
名句の解釈は、語り手自身の底を見せてしまうものですが、今一度声にも出して味わってみたいものです。

『禅林句集』(岩波文庫)の解説では、禅に傾倒した詩人、高橋元吉の次の詩が、この句を思い起こさせるようだ、としています。


みづのたたえのふかければ おもてにさわぐなみもなし
ひともなげきのふかければ いよよおもてぞしづかなる

(『高橋元吉詩集』昭和37年)



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名言名句 第七十一回 孟子 道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。 

2021-12-14 10:31:30 | 名言名句
道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。 ~『孟子』離婁上 十一


中国戦国時代の儒家、孟軻(孟子)の名言です。
出典は四書の一、『孟子』の離婁上 十一より。
以下、原文、読み下し文、解釈をご紹介しましょう。


【原文】
道在爾而求諸遠
事在易而求諸難
人人親其親
長其長而天下平

【読み下し文】
道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。
事は易きにあり、しかるにこれを難きに求む。
めいめいその親を親とし、
その長を長として、しかるに天下平らかなり

【解釈】
人の道、正しい道は、実はすぐ近くにある。
しかし人は、高遠な理想を追って遠くを見がちだ。
物事のあり方も本体はいたってシンプルなもの。
なのに、もってまわってより複雑に考えたがるのである。
ただ祖先を敬い、年長者を大切にすれば人の道は平らかになる。


人はとかく、遠く高みにあるものに憧れ、ありがたがるものです。
また、頭脳明晰な人ほど選択肢が多いので、物事を分析しすぎ、
かえって複雑にしてしまいがちです。


大切なのは、自分の近くにあることに、今一所懸命に取り組むこと。
より早く、より遠くに行こうと、はるか彼方を見て走ると
足元の小さな石につまずきます。

 看脚下 ―

人生が急に闇に包まれてしまった時、「まず足元を見よ」と禅の公案が教えてくれます。
(『碧巌録』 圜悟克勤)

若い時にはなかなか気づきませんが、自分の為すべきこと、すなわち道は、年を取れば、意識し始める前に「なんだ。もうすでに歩いていた」と悟るはず。

「道」とは何か。
孟子の趣旨から少し離れますが、例えばこの句の「道」を「幸せ」に置き換えてみましょうか。

 幸せは近きにあり、しかるにこれを遠きに求む ―

理想のパートナーを求めて。あるいは、誰も成し遂げられなかった偉大な目標に向け、若者は情熱を傾けることがある。
それがかなえば死んでも悔いはない、と。

歌人、与謝野晶子は、ひたむきに仏の教えを語る、若き出家に恋をする。
そしてこんな歌を贈りました。

 やわ肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君
 (『みだれ髪』)

すぐ近くにある幸せに気づきもせず、人の道から仏の道へと渡ってしまった君。
今も君の肌の下に、あつき血汐が脈々と流れているのではないですか ―

いまだ仏道と人道の間で揺れ動く「君」の本心を見透かすように晶子は高らかに歌います。

煩悩を断ち、難行苦行のすえに高僧となり、衆生を済度する仏の道。
近くの人と結ばれ、子を為し、家族睦みあい、平凡ながら実り豊かに過ごす人の道。

いずれも立派な道です。

愚直に己の業に生涯励み、妻を愛し、子を慈しみ、親へ尽くす。
たとえ偉業を達成できなくとも、それが幸せであり、まごうかたなき人の道です。
道には、小さな道や大きな道などありません。
人の前には、ただ一本の道しかないのですから。

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名言名句第六十九回 大事の思案は軽くすべし。(直茂公壁書)

2021-01-05 16:56:31 | 名言名句

大事の思案は軽くすべし。~鍋島直茂『直茂公壁書二十一箇条』


今回は戦国時代、西国一、二の名将と称された鍋島直茂の名言をご紹介します。

 大事の思案は軽くすべし。

 原典は、佐賀藩に伝わる、直茂の訓戒を箇条書きにした『直茂公壁書二十一箇条』(元禄五年、石田一鼎編)です。
同書の同句は『葉隠』話者、山本常朝の家にも伝えられたようで、『葉隠』本文では次のように取り上げられました。


 直茂公のお壁書に、
「大事な思案は軽くすべし」
とある。一鼎の注には、
「小事の思案は重くすべし」
としている。大事というものは、せいぜい二、三箇条くらいのものであろう。これは普段詮議しているものなので皆よく知っているはず。前もってよくよく思案しておき、いざ大事の時には取り出して素早く軽く一決せよ、との意味と思われる。事前に考えておかなければ、その場に臨んで、軽く分別することも成り難く、図に当たるかどうかおぼつかない。しかれば前もって地盤を据えておくことが
「大事な思案は軽くすべし」
といった箇条の基本だと思われる。

(『葉隠 現代語全文完訳』聞書一/四六 能文社2006)


 一般的に分別や事の大きさ、人の評価などにおいて、「軽さ」は否定的に、「重さ」は肯定的に
比喩されることが多いものです。しかし、軽さはすべて悪で、重さがすべて良いというわけでもありません。文化、思想、芸術の領域では、“重さを突き抜けた軽さ”が最上位をあらわすことが往々にしてあります。偉人の言動や名人芸などには、シンプルで、どことなく飄々とした軽さが感じられるものです。

 とりわけ日本文化の諸相において、「重さ」「軽さ」が修行の指標として示される例が少なくありません。たとえば、茶道では次のような「軽さ」「重さ」の案配を教えています。

◆利休百首、「所作の軽さ」

何にても道具扱ふたびごとに取る手は軽く置く手重かれ

 利休の道歌を茶の湯修業の標語として集めた、とされる「利休百首」。上は道具の扱い、所作の「軽さ」「重さ」について指導したものです。
 これは、たとえば道具をひょいと軽く取る、ということではなく、その後の所作もすべて見通したうえで躊躇なく一直線にまず道具を手にする。そして、床であれ畳であれ、置く場所にて道具のすわりをしかと見届けて、そっと手を放せ、と教えたのです。


◆山上宗二記、「薄茶が真の茶」

一 点前
 薄茶を点てることが、専らの大事となる。これを真の茶という。世間で、真の茶を濃茶としているが、これは誤りである。濃茶の点てようは、点前にも姿勢にもかまわず、茶が固まらぬよう、息の抜けぬようにする。これが習いである。そのほかの点前については、台子四つ組、ならびに小壺・肩衝の扱いの中にある。
(『山上宗二記 現代語全文完訳』追加十体 能文社2006)

 ここは「軽さ」「重さ」の代わりに、芸道でよく用いられる位の概念「真」「行」「草」をあてたもの。真の位がもっとも重く、草の位は軽い。本来、格式の高い濃茶が「真」、侘びの心で茶を喫する薄茶が「草」のはずですが、宗二は、薄茶こそ真の茶であるとしています。これは草庵小座敷では、侘びの心をなによりも尊ぶゆえに、粗茶である薄茶こそ侘び茶の根本であるとする、利休の教えを表したものでしょう。


◆芭蕉の「軽み」讃

    元禄三年のとしの大火に庭の桜もなくなりたるに
    焼けにけりされども花は散り済まし   北枝 (『卯辰集』)
    十銭を得て芹売りの帰りけり      小春 (『卯辰集』)


蕉門金沢俳壇の二人の句です。北枝は芭蕉が『奥の細道』の旅の途次、金沢で出迎えた門人、小春(しょうしゅん)は、同じ時に芭蕉門に弟子入りした地元の薬種商。元禄三年、金沢の大火により北枝の家は燃え、庭の桜木も焼け失せてしまいました。「しかし花も散り失せた後でしたし」と自ら慰める句。そして二句目の小春に対し、芭蕉は書簡を寄せて
「両御句珍重、中にも芹売りの十銭、生涯かろきほど、わが世間に似たれば、感慨少なからず候」
と激賞するのです。
 侘び寂びと評される芭蕉の句風。晩年の芭蕉はさらに句境を進め、「軽み」を追求していきます。古い門人たちに、なかなか理解されなかった芭蕉の「軽み」を入門したばかりの新弟子が巧まず吟じたのです。ちなみに江戸時代の十銭は現代の貨幣価値では約250円。わが世間に似たれば(自分の人生と同じだ)と、芭蕉はこの句に称賛を惜しみません。

 たとえば俳句や文芸では、技術や経験の蓄積に応じて「軽→重→軽」と成長、発展していくのかもしれません。「行商人は今日も250円もらって帰った」には、人のなりわい、人生の歩みが言い尽くされて、初心の「軽」から、究極の「軽」へと一息にはばたく自在の翼があるのです。


大事の思案を「重く」することは、一所を堂々巡りする死に手です。何事にもとらわれぬ自在の境地を先人は「軽み也」と教えてくれました。

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