門前の小僧

能狂言・茶道・俳句・武士道・日本庭園・禅・仏教などのブログ

『今昔物語』家で読む名作古典(現代語訳)シリーズ

2020-05-21 19:01:08 | 音楽
【言の葉庵】家で読む名作古典シリーズ、今回は『今昔物語』より
本朝部 巻十九第十四「讃岐国多度郡五位聞法即出家語」をご紹介します。

人や獣の殺生をなんとも思わぬ極悪人の源大夫が、ふとしたきっかけから
仏教信仰と出会い、改心して感動の奇跡を起こす物語。
まずはこのような書き出しから、長い魂の遍歴が始まるのです。


 今は昔。讃岐の国多度の郡○○郷に、名は知れぬが源大夫という者がおった。
はなはだ気性が荒く、殺生も平気である。日夜明け暮れ、
山や野で鹿や鳥を狩り、海川にのぞんでは魚を獲った。
また人の首を切り、手足を折るようなことも日常茶飯である。
 源大夫、因果を悟らずして三宝を信じぬ。
むろんのこと法師などという者をことさら嫌い、
側に寄ることもなかったのだ。

このように極悪非道の悪人ゆえ、村人はみな恐れをなしておった。

……続きはこちらから↓
http://nobunsha.jp/blog/post_239.html

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これはどなたにお返しすればよろしいですか?

2015-08-10 21:03:10 | 音楽
8/9(日)、城南海「ウタアシビ2015夏」に参加しました!
ライブハウスなんて25年ぶり、しかも渋谷。

開場の45分前頃、会場に到着したところ、エントランスには
予想通り数十人のお客さんがいます。

会場エントランスの真ん中には仕切りがあり、右側に城南海さんあての
花がならび、ライブの看板がある。
そしてこちら側には人があまりいない。扉はあるが出口のようです。

向かって左側にも、花がならび、こちらにはいっぱい人が集まり、警備員が
「道にはみださないで!」と声をからしている。
2階への階段があり、入場口は2階との案内が。

「こっちに待機するんだな」と、エントランス左側に入り、
人ごみにまもれているとどんどん人が増えてきます。

意外に若い人が多く、中高年はあまり見かけない。
南海さん、カラバトのおかげでファン層が広がったな…と喜んでいると、
スキンヘッド、短パン、大きなリュックの大柄な男性が
なにやらまわりにさけびながら、ぼくのすぐ近くに寄ってきたのです。

「○○○ありますか!」と、見たことのない透明のスティックをぼくに差し出します。
よく聞き取れず、聞き返すと「サイリウムありますか」と聞いているようです。
「ありません」と答えると、一本くれました。


「ああ。コンサート最終曲で、観客が右左に振る、ぴかぴか光る棒がこれか」
と受け取ると、彼は去り際に、

「制服シンデレラでお願いしますっ!」

と一言。

その瞬間、ぼくの頭はめまぐるしく回りだす。

「制服シンデレラ」?

『伽奈』? 『綾蝶』?
それとも、シングルにそんな曲あったけ?

次の瞬間、稲妻に貫かれたように悟りました。

「ここは違う…」

どんどん詰めかける数百人の人波をかきわけ、ほうほうの体で
道路まで脱出し、間仕切りの反対側へとようやくたどり着いたのでした。


この建物には2つのライブ会場があり、左側では某アイドルグループ、
右側では城南海さんのライブが、同じ時間に開催されていることを
知ったのは帰宅してからのことでした。

ごめんなさい。アイドルグループ ファンクラブの世話人さん。
このサイリウム、どうすればよろしいですか?
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伝説のハワイアンシンガー“イズラエル”

2015-05-14 10:55:05 | 音楽
38歳で早世した、天才ハワイアンシンガー、イズラエル・カマカヴィヴォオレ。
通称IZ(イズ)。

340kgの巨体ながら、信じられない美声でハワイの人はもちろん、
全世界のあらゆるポピュラーミュージックファンに愛された。
1997年彼の訃報に接し、早すぎる天才シンガーの旅立ちに哀しみ、
ハワイ州は国葬で見送ったと伝えている。

ぼくがハワイアンミュージックに接するきっかけとなった芸術家である。
どこか日本語と近い音をもつハワイ語の歌声が耳にとても心地よい。
ぜひ、一度イズの音楽に接してみてください。

IZ in Concert Full Live Album YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lLEFp38iWiY
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してみて良きにつくべし。【言の葉庵】メルマガ72号発刊

2015-03-24 11:36:03 | 音楽
言の葉庵メールマガジン今号のCONTENTS

【1】名言名句第五十回           してみて良きにつくべし。
【2】貞観政要を読む            第二回 古代より蘇る賢者
【3】カルチャー情報           4月期【言の葉庵】新講座一覧


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【1】名言名句第五十回           してみて良きにつくべし。
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してみて良きにつくべし。せずば善悪定め難し
~世阿弥『申楽談議』よろづの物まねは心根


『申楽談議』にある、世阿弥晩年の至言です。

「舞台で実際に演じてみて、結果の良かった方法を採用せよ。演じてもみぬ内
からいずれがよしともいえまい」。

長男元雅の新作能、〈隅田川〉。舞台のクライマックスに、子方を出すか、出
さぬか、の演出をめぐり、父子の間で意見が戦わされます。その中で、世阿弥
が断じた結論の語です。
まずは、当段落を現代語訳でご紹介しましょう。


■よろづの物まねは心根

 すべての演技の根本には心根がある。まず詞章の心根をよくよくわきまえれ
ば、所作・かかり※1を表すことができるのだ。

 人は、息をつめ食い入るように能を見ることがある。または、ただ漫然と能
の雰囲気を楽しむ時もあろう。
 息をつめ、「ああ。とめるぞ、とめるぞ」とすべての観客が集中して見る時
は、ふととめるべし。かたや観客の大方がのんびり楽しんでいる時は、きっと
気を引き締め、突如とめるべし。眼前の観客の期待とまったく違うとめ方をす
れば、さだめて面白いはず。人の心を化かすのだ。このことを固く秘して、観
客には決して知られてはならない。

 近頃「化かす」ということについて、「ようよう化けの皮がはがれてきた」
などという。これはそのようにいう人の目が利かぬ証拠である。少年の可憐な
芸を上手だと思い込み、真実の上手との見分けがつかない。「化かす」は、上
手だけのもの。年の功により悪い芸であることは充分承知の上で行うものだ。
世阿弥は出家の後、座敷芸で観客をそっと化かしたことがある。これが本物の
「化かす」である。「下手な役者の化けの皮をはがす」などは、ただの目利か
ずの戯言といえよう。

 〈浮船の能〉の「この浮船ぞ寄辺知られぬ」というところが肝要である。こ
こだけを一日、二日がかりでやりおおせるほどの気持ちで、根を詰めて演じ納
めよ。

〈経盛の能〉 では、ツレの女を思い入れ深く演じるべきである。しかしみな
浅く扱っている。シテの謡の間、俯いて聞き入っているが、その途中より思い
があふれるように謡い出すべし。そうじて女の能姿では、始終面を伏せ、時折
ふっと顔を見上げるものだ。

〈隅田川の能〉で、
「塚の中の子供はいないほうがより面白く演じられよう。この能では生きている
子供は見つからず、亡霊である。とくにその本意を手がかりにせよ」
と父世阿弥はいったが、元雅※2は
「とても私にはできません」
 と答えたのである。これに世阿弥は、
「かようなことは、してみて良きにつくべし。せずば善悪定め難し」
 と諭したものだ。


注※1 かかり
芸の風情、情趣。
※2 元雅
世阿弥の長子とされる。能〈隅田川〉の作者。

(『申楽談議』現代語訳水野聡 2015年)


現代の能〈隅田川〉では、ほとんどの場合、シテの母が探す子は最後に“亡霊
”となって舞台に姿を現します。子方のあわれな姿に、思わず涙を誘われる、
定型の演出です。しかし元雅による初演時、実際に子を出すか、出さぬかは、
いまだ決せられていなかった。



◆メルマガ72号の続きはこちら↓
http://archive.mag2.com/0000281486/index.html
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ハイレゾ音源は脳に「快感」を与える

2014-09-23 20:13:12 | 音楽
電通サイエンスジャムと長岡技術科学大学が、ハイレゾ音源をヘッドフォンで聞くと、脳が「快感」を覚えるという研究結果を発表した。

■ハイレゾ音源を聴くと、脳は“快感”に包まれる?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140923-00010009-dime-sci

ぼくたちが若かりし日、家電量販店に行くとテレビコーナーより大きく立派なスペースで「オーディオ売り場」があった。
しかし今や電気店には専用売り場はいうまでもなく、「オーディオ」という言葉すら見当たらない。携帯売り場の横に「スマホ付属品」としてちゃちなUSBスピーカーがあるだけである。

思えばここ数十年、アナログレコード→CD→MD→MP3(iPod)と、音源記録媒体の音質は坂を転がり落ちるように悪くなっていったのだ。(カセットテープはヒスノイズとワウフラがきついのでここでは除外)

「便利であれば音なんかどうでもいい」。

日本人が、はじめて音質を犠牲にしたのは、カセットテープとウォークマンの二人三脚での大ブームが決定的要因であった。

・青年は外に出てアクティブに音楽を楽しむもの。
・音楽を聴いて踊りながら街を闊歩するのが、かっこいい。
・高いオーディオセットをもち、家でクラシックなどの音楽鑑賞をするのは「オタク」。

などという社会風潮も手伝い、「オーディオ」は完全に息の根を止められた。
しかし、しかーし!
大画面高精細TVや3D映像では、びっくりするけど、心から感動はしないものなんです、人間は。 音楽やストーリーには感動するけれど、ただの画像や絵だけを見て、泣いている人は見たことがない。

よい音、よい音楽の復権。
ハイレゾ音源は今、大いに歓迎すべき文化現象ではありませんか。同年代のみなさま。

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