門前の小僧

能狂言・茶道・俳句・武士道・日本庭園・禅・仏教などのブログ

失せ物は、奇想天外な場所から出てくる

2013-08-30 19:34:31 | 日記
財布、定期、携帯、めがねケース…。

外出しようと思ったら、何か必要なものが身の回りから
忽然と消え失せて、あせりまくった経験ありませんか?

認知症の足音が聞こえてきますが、ぼくも年に一度か二度、そういう経験があります。

今日、午前1箇所、午後3箇所へ、外出の予定がありました。
午前中の用事を済ませ、午後外出しようとするとタバコがない…。

…あれれ、どこいったかなあ?

しょうがなく新しい封の切っていないタバコをもって出かけました。

いまだ、そのタバコは出てこないのですが、過去の経験によると、
明日かあさって、あるいは1週間後、半年後に、

1.冷蔵庫のチルドルーム
2.観葉植物の鉢の中
3.クロゼットのタオルの間
4.下駄箱
5.郵便受け
6.カーテンレールの上

など、思いも寄らない場所からひょっこり姿をあらわすのです。

「う~~む、ここにあったか。でもなんで、ここなんだ?」

探し物は、天才的な隠れ上手。
なかなかてごわい相手ですね。

9/5(木)中日文化センター「禅と日本建築・庭」

2013-08-30 11:05:50 | 茶道
来週9/5(木)は、栄中日文化センターにて「禅と日本文化」、「千利休日本の美の原点」の2講座開講!禅と日本文化は、禅と日本建築・庭がテーマ。寝殿造・書院造、浄土式庭園、枯山水など、神仙思想や仏教、禅とのかかわりをふんだんに画像を使用してご案内します。

「千利休日本の美の原点」では、利休茶の継承者、古田織部と織田有楽に焦点をあて、今日に続く茶道の美の系譜を解説します。国宝茶室如庵と織部茶碗の画像も鑑賞します!



■名古屋栄中日文化センター 2013年4月期定期講座
http://nobunsha.jp/img/kozalist.pdf

1.禅と日本文化 〔第六回 禅と日本建築・庭〕 毎月第一木曜日 13:00-
2.千利休日本の美の原点 〔第六回 美の継承 織部・有楽〕 毎月第一木曜日 15:30-


美しく、優雅に歌う秘訣。

2013-08-22 21:18:25 | 能狂言
珍しく、謡のお稽古の話題です。

当方の能の地謡のレッスンでは、どんな曲のどんな段落であれ、
いつも必ず、師匠に「早い」「遅い」「早い」「遅い」…
と叱られ続ける。

どうしていいかわからず、途方にくれていたところ、世阿弥『申楽談儀』にその理由を発見し、すとんと心に落ちたものです。
上手な謡は決して“早さ・遅さ”のスピードではなく、拍子のノリなのでした。


漫然と美しく謡おうとするだけでは、留めがしまらぬ。機を読んできっと留めれば急の位となり、よろしい。さもなくば、破の位のままでしまりなく終わってしまうのだ。
 拍子一つ一つに緩急をつけ、たっぷり優雅に謡い続けることがよい、と謡うゆえ、拍子が間延びしてしまうのだ。たとえば水鳥が、水面下では懸命に水をかき、進んでいるように、謡の上手は心の中で拍子の乗りをもちながらも、ゆったり美しく謡っているのだ。
 下手はここに至らずして、上辺だけを真似るとみえる。「とかや」を上手が引いて謡うと、下手はその謡い方がよいと思い、「とうかや」などと引きずってしまうのである。

(世阿弥『申楽談儀』十二.謡の心根 2013年8月能文社)

死者を迎える「お盆」とは

2013-08-13 20:18:23 | 仏教
「ほんとうに、死ぬことは死ぬ本人の問題であるよりも、むしろ、あとにのこる人々の問題である。私たちが生きているあいだは死は私たちにとって存在しないし、死んでしまえば私たちが存在しないのだから、私たちと死とのあいだには実際的なつながりはすこしもなく、死は私たちにとってだいたいなにも関係のない現象で、せいぜい宇宙と自然とにいくぶんかかわりがあるといえるだけである。」(『魔の山』トーマス・マン)

エピクロス-ディオゲネス-ショーペンハウアーへと続く弁証法的死生観vs.彼岸-此岸ひと続き、死生一如をもととする私たち日本人の仏教的死生観。死者を迎えるお盆に考えてみました。

本日のYahoo News、
「臨死体験の科学的解明に前進、心停止後に「脳が活発化」 米研究 http://p.tl/Xk2a 」

その時いったい“何のために”脳がそうするのか。たぶん科学には永遠に解明できない、と思います。