門前の小僧

能狂言・茶道・俳句・武士道・日本庭園・禅・仏教などのブログ

草庵小座敷は、心が無に帰する出世俗の法。『南方録』

2019-12-26 17:39:48 | 茶道

茶の湯の精神をあらわす、代表的な茶書『南方録』。
利休が説く侘び茶の、真の心は、何物にもとらわれぬ格や矩を越えたものでした。
それは無論、茶道が根幹とする禅の悟りから導かれたものですが、
古く中国からもたらされた、陰陽五行思想にも影響を受けています。

冒頭の「覚書」の章は、抄訳や解説書などで広く紹介されています。
それとひきかえ、第六章「墨引」はカネワリをはじめとする茶法の
詳細な解説や、上で述べた禅や陰陽五行思想の論考が深く追及され、
かつ分量も膨大なため、ほとんど取り上げられることがありません。


「くれぐれもいうが、茶の湯の深みは草庵にあるのだ。真の書院台子は、格式、法儀を厳重に調えた、世俗の法である。草の小座敷、露地の一風は、本式の曲尺に基づくとはいえども、ついには曲尺を離れ、技を忘れ、心が無味に帰する世俗を出る法である。」

能文社『南方録 現代語全文完訳』が発刊されて十数年。
http://nobunsha.jp/book/post_8.html
今回、カネワリ論が本格的に展開される「墨引」の冒頭を“立ち読み”ページとして
初公開いたします。


ぜひ深遠なる利休の茶の世界に触れてみてください。

●『南方録』墨引 試し読み
http://nobunsha.jp/img/nanpouroku%20sumibiki19.pdf


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千利休の侘びと数奇を解説する講座。6月13日(水)

2018-06-08 09:36:53 | 茶道
来週、6/13(水)日本文化体験交流塾にて、研修講座「禅と日本文化アドバンス」を
開講します。第三回目は「千利休の侘びと数奇~茶道精神史入門」です。

◆禅と中世日本文化アドバンス 2018年度
https://www.ijcee.jp/culture/mizuno-overview/lec3mizunoadv/
於:日本文化体験交流塾(港区芝) 
日時:6月13日(水) 10:00~12:00
講師:水野聡

今回は、茶道史主要人物の案内として、侘び茶の系譜につながる、
村田珠光、武野紹鷗、千利休にそれぞれスポットライトを当てて、
茶道の歴史と成立をたどっていきます。

珠光の侘び茶のバイブルともよばれる「心の文」をまずは解説。
茶の湯の棚物の嚆矢である、紹鷗の袋棚とは何かを詳細に検証します。
そして、茶の湯の大成者であり、日本茶道の源流である千利休について、
その遺偈「人生七十力囲希咄」を解説し、悲運の最期の真相に迫ります。

第二部では日本文化ミニ講座を実施。
「侘び」と「数奇」の語源、発祥と歴史的変遷をていねいにひも解いていきましょう。
本講座は一般の方の初めてのご参加も大歓迎です。

ぜひご一緒に茶の湯の心、日本の心を学んでいきましょう。


#茶道 #千利休 #研修講座 #カルチャー講座 #日本文化 #禅
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千利休、侘び茶の入門書

2017-11-05 13:29:25 | 茶道
『千利休の名言』水野聡著 能文社2011年。
利休の侘び茶の精神に迫る名言集、利休茶の入門書。

『山上宗二記』『南方録』等から名言の初出原文・現代語訳・解説を網羅しました。
千宗旦が利休賜死の真相を明かした『千利休由緒書』も初の現代語訳で併載。

#千利休の名言
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侘び茶の心をつなぐ。老僧と経営学者の対話。

2016-10-30 19:12:29 | 茶道
「君のおかげでこんなに心がなく、物ばかりのいやな日本になってしまった。君の責任で直してもらわなければならない」

鋭い眼光で相手を見据え、大喝する大徳寺の高僧立花大亀老師。その前で黙ってかしこまるのが経営の神様松下幸之助。
大徳寺派最高顧問で政財界とも幅広い交友がある大亀師の教えを乞うため、幸之助が酒飯を共にした。その場での出来事でした。
http://toyokeizai.net/articles/-/61786

同席した側近の江口克彦氏は心酔する経営の師を一喝されて驚く。しかも幸之助は大亀より5歳年長です。「批判してくれる人を大事にせよ」と幸之助から教えられていたにもかかわらず、やりきれぬ思いに身を固くします。さんざん幸之助を批判し尽した大亀が「まあ、こんなもんやろ」というと幸之助は「いや。もっともっとお聞きしたいんですが」とさらに教えを乞い続けたといいます。
やがて退席する幸之助の背中を見送りながら、大亀は江口にぽつり。
「松下さんは、偉い人やな。あんな偉い人はおらん」。
後に大亀は「松下批判」をふっつりと止め、幸之助は松下政経塾を設立。国のリーダーを育て、経済が人を救う経世済民を実現するのです。

さてまた別の日、大亀老師とある経済学者の出会いが、経世済民と侘び茶をいっそう強く結びつけることとなりました。
ケインズの高弟であり経済学の世界的権威、ロイ・ハロッド。講演のため日本を訪れたハロッド一行は、京都見物の途次大徳寺を訪れます。出迎えたのが大亀老師。一行を一休和尚の真珠庵にある二畳台目の茶室へと案内しました。大亀とあわせハロッド一行の七人が、茶を喫するため、狭い小さな部屋に入る…。

(7年前、【言の葉庵】にて『利休に帰れ』より同段落の骨子概略をお届けしましたが、今回は本文より引用してご紹介しましょう。)



するとハロッド氏は、ここは何をするところかと聞いてきました。ここは茶室といってお茶を
飲むところですよと答えました。ハロッド氏はけげんそうな顔をして、向こうにもっと広くて明るい部屋があるのに、どうしてこんな狭いところで飲むのか、と言います。
それで私は、実は日本には佗びという思想がある。イギリスには、タバコを吸う部屋というものがあって、ソファにすわって葉巻を吸う。タバコの喜びを吸う場所がある。それと同じで、日本人は小さな部屋で茶を飲むのです。この小間の薄暗いところで飲む茶は、私たち日本人には何よりもうまいのです、と答えました。
「その佗びというのは、どんな思想なのか」とハロッド氏はさらに聞いてきました。これには私もちょっと困った。日本人同士でも佗びの説明は困難なのに、相手は外国人である。そこで私は
少し考えて、
「佗びとは詫びるということです。すみませんと謝ることです」
と答えました。
「なぜ詫びなければならないのか。私は何も悪いことをしていないのに、どうして謝らなければならないのか」
そうハロッド氏は申しました。
「いや、ハロッドさん、それは違います。あなたがたご夫妻、ならびにお子さんがたによって、これまで牛を何頓食べましたか、豚を何頭殺しましたか。そのためにあなたがたが今日まで生き長らえることができているのなら、牛や豚に詫びないという法はない。あなたの国にも、六日間悪いことをして、七日目に神様に詫びるという思想があるではないか。そういう考えを持たずに、弱肉強食でいったあなたの国は、確かに一時期七つの海を支配しました。しかしその結果はどうでしょう。あなたの国が支配した国々はすべて独立し、離れていってしまったではありませんか。仏教には因果応報という考え方があるが、まさにあなたの国はそうなった。むろん、人であるから、弱肉強食からのがれられる人はいない。生きていくためには、生きとし生けるものをやむをえず殺害せねばならぬ。しかしたいせつなのは、十頭殺さなければならないところを八頭でがまんすることです。つまり、省くということです。そうすれば二頭が残る。二頭生かすことができる。しかもそれはただ十のものを八に省くというだけではない。八で十の働きをさせる。それが私の言う佗びという考え方なのです」
そういう意味のことを申し上げました。するとハロッド氏は驚いて、
「それはまさに私の研発するケインズ経済学です。そんなすばらしい思想が日本にあるとは知
らなかった」
と言って、非常に感動した。彼が帰国してしばらくして、一枚のパンフレットが送られてきました。「日本を訪れて」という題で、それには、日本を訪問して得たいちばん大きな収穫は、佗びの思想を知ったことだ、と書いてありました。

数年後、ハロッド氏は、みずからの希望で再度来日しました。そして私に会うなり、一枚の紙きれをよこしました。通訳の人に読んでもらうと、それには「ワビの語源はギリシヤ語です。前回の日本訪問以来、私はずっと佗びについて研究してきました」と書いてあるではありませんか。それを聞いて、私はハッとしました。
以前から、人類発生の地は、私はギリシヤから中近東あたりだと思っておりました。原始時代の人間にとって、何がいちばん恐怖であったか。それは言うまでもなく、他生物です。とりわけ巨大生物から身を守るためには、海へ逃げても、山へ逃げても無駄です。最も安全なのは、山の斜面に横穴を掘って、そこへ逃げ込むことです。この、生き延びるための穴居生活、それこそが佗びということであったのではありますまいか。ワビの語源がギリシヤ語だということは、そういう意味ではなかったかと私は解釈しているのです。
苦しいけれども、なんとかして命を全うすること、それが佗びです。「鉢木」の佐野源左衛門常世は、極貧の中で命を全うしました。「松風」の行平の中納言は、三年に及ぶ須磨浦での佗び住まいに耐えて、やはり命を全うしました。では、利休もまた、おのが命を全うするために茶をやったのでしょうか。
前にも申しましたように、利休の形姿上のお茶には佗びなどありません。そんな貧困なものではない。利休の「百会記」などを見ると、あるときは太閤秀吉をよび、またあるときには徳川家康をよび、それはそれは絢爛憂華なお茶をやっている。一椀の鶴の扱い物を出すために、鶴一羽を殺しています。園悟の墨蹟、喜左衛門井戸、そういった当時の第一級品を平気で取り扱っている。どこにも佗びらしきものはない。
しかし、もし佗びが生き延びるための道だとするなら、まさしく利休の茶は佗びでした。つまり堺を救うために、自分の命を全うするために、太閤秀吉の茶くみ男となった。
その屈辱に耐え、小間の穴居生活に耐えた。それが利休の佗びであったとするのです。
自刃を命じられたとき、周囲の者は利休に、政所に命乞いをすることをすすめました。しかし利休は、この七十の白髪頭が、あえて女の力で生き残ろうとは思わない、といって拒否した。そしてあの有名な辞世の偈を残して死んでおります。


(『利休に帰れ―いま茶の心を問う』立花大亀 里文出版2010/2/15)



●立花大亀(たちばな だいき)
明治32(1899)年、大阪堺市生まれ
大正10(1921)年、堺市南宗寺にて得度。
昭和6(1931)年、大徳寺塔頭徳禅寺住職。
昭和28(1953)年より34年まで大徳寺宗務総長、のち顧問、管長代務。
昭和43(1968)年5月、大徳寺511世住持となる。以後、大徳寺最高顧問。
昭和47(1972)年、大徳寺山内に如意庵再興。
昭和54(1979)年、奈良大宇陀に松源院再建。
昭和57(1982)年より昭和61年まで花園大学学長。
平成17(2005)年8月25日、107歳にて遷化。
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樂美術館「三代 樂 道入・ノンカウ展」

2016-09-11 11:03:01 | 茶道
茶碗の最高峰、樂焼。初代長次郎から三代目が、道入、通称ノンコウ。
その作、「青山」が重文に指定されました。
9/10より、これを記念して道入の作品が一堂に公開されます。

◆秋期特別展 重要文化財指定記念
三代 樂 道入・ノンカウ展
2016年9月10日(土)~11月27日(日)
http://raku-yaki.or.jp/museum/exhibition/index.html

ぼくも来週末見に行く予定。関西の方は必見です。
すぐ近くに金剛能楽堂、晴明神社もありますね。
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