門前の小僧

能狂言・茶道・俳句・武士道・日本庭園・禅・仏教などのブログ

日本語ジャングル。“笑う村”言の葉庵 笑話ベストセレクション

2020-03-10 18:18:12 | 文化・芸術
日本昔話を代表とする、日本の民話。
長者(お金持ち)ものや、仏教奇譚、愚か聟・愚か嫁、動物の恩返しなど、
国々村々のあらゆる言い伝えや古伝承が語り継がれてきました。
なかでもひときわ親しみやすいのが、「笑話」とよばれる、滑稽話の一群。


落語や狂言の母型となった、様々な人たちの面白い話、おかしな話は、
一服の清涼剤となって長年民衆に愛されてきたのです。
今回、日本語ジャングルでは代表的な笑話をピックアップし、昔の日本人の
秀逸なユーモアセンスを再発見したいと思います。
「笑う村」でごゆるりとおくつろぎくだされ。
※以下6話は、(『日本の民話400選』永田義直著 金園社 昭和53年8月)
より引用しました。

1.茶の実
 郡代様が村へまわって来て、庄屋の家に泊まった。
「茶の実がほしいから、村で一ばんの茶の実を持ってまいれ」
 という御沙汰があった。村の人たちはこれを聞いて、
「さて、村で一ばんの茶飲みといったら、誰だろうかしら」
 と、相談をはじめた。そして、村でも指折りの茶飲み婆さんを、
篭に入れてみんなでかついで連れてきた。
「茶の実を持って参ったか」
 と、郡代様がたずねるので、
「はい。さっそく探し出して持ってきました」
 と答えた。
「では、ここへ持ってこい」
 というので、婆さんを郡代様の前へ連れていって、
「これが村で一ばんの茶飲みでございます」。
 これには郡代様も腹を立てて、
「これが生えるか」
 といって叱ると、婆さんは篭から出てきて、
「はいはい、ごそりごそりと這えまする」
 といった。
 (福岡県)

2.閻魔の失敗
 鍛冶屋は疝気で、軽業師は赤痢で、歯医者は卒中で、山伏は脚気で死んだ。
 そしてみんな揃って、閻魔の前へ出た。
型の通り前世の身分・職業・病気をたずねられた末に、地獄の針の山へ
送られたが、鍛冶屋は金のわらじを作って、軽業師が三人を肩に乗せて登っていった。
 これを見て、閻魔は怒って、地獄の釜の中へ投げ込むと、山伏は祈祷をして
熱湯を水にしてしまい、
「三助ぬるいからもっとわかせ」
 といってさわいだ。
 閻魔は仕方がないので、今度は鬼に食わせると、歯医者は鬼の歯を
みんな抜いてしまったので、腹の中に入り、泣き笑いをする筋を引っ張ったので、
鬼は泣き笑いをし、吐き出す筋を引いたので外へ吐き出された。
 これには閻魔も始末に困って、
「ここに来るのはまだ早い。さっさと娑婆へ帰れ」
 といったので、みんな生き返った。
 (秋田県)

3.福禄神(福禄寿)の頭
 福禄神が旅に出て、日が暮れたので一軒の百姓家に泊めてもらった。
ところが、福禄神の頭が長すぎて、あちらこちらにつかえたので、
壁に大きな穴をあけて、そこから外へ頭を出して寝た。
 すると、近所の者が通りがかって、
「おや、これはめずらしく長い、大きな冬瓜だ。わしに売ってはくれまいか」
 というので、福禄神は、
「これは冬瓜じゃないぞ。福禄神だ」
 といった。
 ところが、これを聞き違えて、
「百六十文だって?それは高すぎる。もっと負からんか」
 というのを聞いて、福禄神は
「曲からんから、こうやって頭を出して寝ているんだ」。
 (長野県)


☆続きはこちら 【言の葉庵】⇓
http://nobunsha.jp/blog/post_238.html
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花の秘伝―他の人の得意技も、いいな、と感動すること【言の葉庵】No.112

2019-08-15 19:19:16 | 文化・芸術
言の葉庵メルマガ発刊しました!

0000281486 ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫ 名言名句マガジン【言の葉庵】
┓┏ ┏┳┓
┣┫OW┃O  あの子はなぜ、クラス1の人気ものなんだろう 2019/8/15
┛┗━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

誰でもはじめてのことにチャレンジする時は、不安やとまどいがあるのではないでしょうか。あたらしいことを始めるきっかけと成功の鍵をまなぶ、『こどもふうしかでん』第三章を読み進めます。言の葉庵メルマガ新コンテンツ「言の葉草紙」。第一回は、幻の剣豪同士の夢の対決を再現してみました。

…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】電子ブック           『こども ふうしかでん』第五回
【2】NEW!言の葉草紙        第一回 幻の剣豪対決 武蔵vs.卜伝

編集後記…
……………………………………………………………………………………………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【1】電子ブック           『こども ふうしかでん』第五回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

〔言の葉庵メールマガジン限定コンテンツ〕

電子ブック『こども ふうしかでん』
~子供の才能を伸ばす、六百年の秘伝書

水野聡著 2018年8月13日 初版 能文社


だい三しょう あたらしいことをはじめる


あの子はなぜ、クラス1の人気ものなんだろう



・『ふうしかでん』って、どういういみ?

ふうしかでんは、いまから600年いじょうもまえにかかれた「おのう」の本だよ。
いまのおのうをつくったのが、ぜあみという人。
そう。ふうしかでんをかいた、ぜあみじーじのことです。

ふうしかでんをかんじでかくと、『風姿花伝』。よめるかな。
なんとなくきれいなことばみたいだね。
「風」は、ふく風のほかに、きちんとしたものをつたえていく、「でんとう」といういみもあります。
「花」は、きれいだな、おもしろい、すごい、とかんどうしたときに、かんじるぼくたちのうれしいきもちをあらわしているんだ。
ふうしかでんは、でんとうをたいせつにしながら、みんなのこころに「花」をつたえていく、といういみの本のなまえ。

この『ふうしかでん』を大じに、大じにつたえてきたから、おのうは600年いじょうもながもちしているんです。
ちいさな子には、ちょっとむずかしいかな。おとうさん、おかあさんにきいてみよう。


・とくいわざは、1コだけでいいの?

「とくいわざのたねを、いっぱいあつめよう」と、ぜあみじーじはおしえてくれました。
でも、とくいわざはほんとにそれ1コだけでいいのかな。

しょうたくんとエリナちゃんは、ぼくのクラスの人気ものだ。
サッカークラブのしょうたくんは、いつもおもしろいことをいってみんなをわらわせる子。
コーラスぶのエリナちゃんは、やさしいけどとってもしっかりもののおんなの子。
かわいそうな子をたすけてあげて、せんせいにはじぶんのいけんをハッキリいえる。

二人のまわりには、いつもクラスのみんながあつまっているんだ。
しょうたくんのとくいわざはサッカー、エリナちゃんのとくいわざはうたをうたうこと。二人とも学年でいちばんじょうずだよ。


・ほかの子のとくいわざも「いいな」とかんじること

まわりのみんなから、二人はライバルどうしのように見られている。
だけど、ほくはしっている。二人がとてもなかよしなことを。

しょうたくんのへやからときどきギターのおとがきこえてくること。
エリナちゃんちのにわに、さいきんサッカーボールがころがっていることを。

二人とも、あいてのとくいわざを「かっこいいな」「すてきだな」とおもって、サッカーとギターをこっそりはじめたようなんだ。
学校でいちばんサッカーがうまくても、小さな子をばかにしたり、じぶんのできないことを「あんなものつまらない」というような子は、人気ものにはなれない。



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10/14 NHK〔美の壺〕にて言の葉庵「佐渡状 現代語訳」を放映!

2016-10-09 18:17:30 | 文化・芸術
NHK BSプレミアム〔美の壺〕にて、【言の葉庵】の世阿弥「佐渡状 現代語訳」が紹介されます。

佐渡正法寺蔵、世阿弥鬼の面(雨乞の面)とあわせて、世阿弥の絶筆とされる、
佐渡でしたためた金春禅竹宛書簡、通称「世阿弥 佐渡状」の映像が放映される予定です。

この手紙の中で世阿弥は、大和猿楽の根本たる鬼の芸について、
〔砕動風の鬼〕〔力動風の鬼〕の違いをひきながら、禅竹に能芸の秘奥を指南。
該当部分を正法寺の原文写しと、言の葉庵HP現代語訳によって案内していきます。

今回同番組は「鬼」にまつわる伝統文化に光を当てて、工芸・建築・祭り、
3つの切り口から様々な日本の美を通覧する企画です。

日本文化と造形美にご興味がありましたら、ぜひご覧ください。


■NHK BSプレミアム〔美の壺〕テーマ:鬼
http://www4.nhk.or.jp/tsubo/x/2016-10-14/10/567/2418203/
放送日 2016年10月14日(金) 19:30~20:00
案内人 草刈正雄、ナレーション 木村多江

(再放送 10月18日(火)11:00~、10月20日(木)6:30~)
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太鼓は、神に向かって打つ。〔芸術文化はなぜあるのか 2.〕

2016-03-18 17:14:56 | 文化・芸術
小寺佐七氏(観世流太鼓方)は、祖父より「なぜ太鼓を打つのか」という問いに対して、次のように教えられたと述懐します。

「能の舞台で太鼓を打つのはお金のためじゃなくて、神様に向かって打ってるんだ」
(『能楽タイムズ』2016年3月号 能楽対談第五七三回)

【言の葉庵】でも以前、能という芸道はそもそも何のためにあるのか、という点について考察しました。

◆文化芸術は何のためにあるのか
http://nobunsha.jp/blog/post_111.html


『風姿花伝』より、世阿弥の言葉を再録してみましょう。

「そもそも芸能とは諸人の心を和らげて、上下の感を為さん事、寿福増長の基、仮齢延年の法なるべし。極め極めては諸道悉く寿福増長ならん」

「寿福増長の嗜みと申せばとて、ひたすら世間の理にかかりて、もし欲心に住せばこれ第一道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには寿福増長あるべし。寿福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば寿福おのづから滅すべし。」
(『風姿花伝』第五奥儀讃嘆云)

「すべての芸術文化は、人類の幸せと長寿を招くためのもの」と、世阿弥は父観阿弥より、その本質を学びました。金儲けやただ己の名声を目指した芸は、それらが手に入らないどころか、やがて身の破滅を招くばかり、と肝に銘じたのです。

この教えは、六百年余の時を超え、今日の能の世界にしっかりと受け継がれました。上のように家訓として代々伝え、実践する能の家が多いのです。


音楽を“神への捧げもの”と考えた、若き日のバッハに以下の言葉があります。

「私がつね日ごろ究極目的といたしておりますのは、ほかでもありません、神の栄光のために、かつまたその御意思にそわんがために、整った教会音楽を上演いたしたい」
(J.S.バッハ/ミュールハウゼン 1708.)

天高く静止する、指揮者のタクトも、太鼓方の撥も、そこに音楽の神が宿る瞬間を待ち受けているのです。ただ、己を虚しくして。

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