無知の知。ソクラテス『ソクラテスの弁明(プラトン著)』等より
今回ご紹介する名言は、哲学の創始者とされるソクラテスの「無知の知」です。
ソクラテスのこの思想により、人類の哲学が始まったとされており、人がものに気づき、それが何かを考え、活用し、想像し、創造していく精神活動の源泉となっているのです。
1.ソクラテス「無知の知」
現在、多くの辞典・哲学用語集に記載され、ソクラテス哲学の代名詞ともみなされる「無知の知」が、じつは誤解に基づく慣用句が一人歩きして広まってしまったものだ、と考えられています。
『ソクラテスの弁明』から翻案された「無知の知」は、ソクラテスの言葉に沿うなら「不知の自覚」と訳さねばならない。この思想が形作られた経緯と、解釈を高校生向けに世界史用語を解説するホームページから、以下に引用します。
(田中美知太郎訳『ソクラテスの弁明ほか』、納富信留訳『ソクラテスの弁明』よりの引用文を含む)
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■「無知の知」の誤解
ソクラテスに関して必ず語られるフレーズの一つが「無知の知」であるが、それについては誤解があるので注意を要する。プラトン『ソクラテスの弁明』でソクラテス自身の語るところに依れば、あるとき仲間のカイレポンという者がデルフォイのアポロン神殿で「誰よりもソクラテスより知恵のある者はいない」という神託を受けたことを聞いて、その意味を確かめなければならないと一念発起し、知恵があると思われる人を次々と訪ねていった。しかし、彼が訊ねた政治家、芸術家、職人はいずれも、本人たちは自分は知恵があると思っているが、本当は何も知らないのだとソクラテスは気づいた。
(引用)しかしわたしは、自分一人になったとき、こう考えた。この人間より、わたしは知恵がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしの方が知恵のあることになるらしい。つまりわたしは、知らないことは、知らないと思う。ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。<プラトン/田中美知太郎訳『ソクラテスの弁明ほか』1968 新潮文庫 p.21-22>
つまり、ソクラテスは「知らないことは知らないと思う」と言っているのであり、「知らないことを知っている」と言っているのではない。したがって「無知の知」という言い方は正しくない。「無知の知」とは日本で誤って流布してしまった誤解である。
(引用)ここで大切なのは、ソクラテスが「知らないと思っている」という慎重な言い方をしていて、日本で流布する「無知の知」(無知を知っている)といった表現は用いていない点である。ソクラテスはそんな特別な知者として、人類の「教師」などと崇められる人物ではなく――彼は自分が「教師」であることをくりかえし否定している――あくまで人間が知恵という点でどのように謙虚であるあるべきか、を代表して示している。そこで初めて、哲学が始まるからである。<プラトン/納富信留訳『ソクラテスの弁明』2012 光文社古典文庫 解説 p.129-130>
・「世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント」ホームページ
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-136.html
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さて、ソクラテス哲学発祥のきっかけとなった、当時のギリシャの時代背景と、「無知の知」(不知の自覚)発見に至る道筋を、先生と生徒の問答として、面白くわかりやすく解説するページもあります。
こちらも参照してみてください。
・「TABI LABO ~なぜソクラテスは無知の知に気づいたのか?」
https://tabi-labo.com/282605/zombie-3000-2
2.孔子「知らざるを知らずと為す」
ソクラテスよりも前に、「無知の知」の思想を提唱した東洋の哲人がいました。中国儒教の祖、孔子です。
ソクラテスが紀元前470頃~399、孔子が紀元前552~479。孔子の没後9年目にソクラテスが生まれているため、世界最高峰の哲人が相次いで誕生していたことはとても興味深い事実です。
孔子の思想が著作として成立するのは後世のことですし、遠く国を隔てていることを思えば、ソクラテスが孔子の思想を知り得たとは思えません。
「無知の知」(不知の自覚)と「不知為不知」が、踵を継ぐがごとく近い時期、国も人種も異なるこの二人から生まれ出たことに驚かされます。
孔子の「不知為不知」を出典『論語』の為政第二より、〔白文〕〔訓み下し文〕〔口語訳〕にて、以下ご紹介しましょう。
〔白文〕
子曰、由、誨 女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。
〔訓み下し文〕
子曰く、由よ、女(なんじ)に之を知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
〔口語訳〕
師がこういわれた、「由よ、お前に『知る』ということを教えてみよう。知っていることを知っているとし、知らないことは知らないとする。これが知るということだ」と。
由、すなわち子路は孔子の最初の弟子で、武勇を好む直情径行の人物です。
この率直な性質を愛され、「道が行われないから、いっそ海に向かおうか。ついてくるのは由であろう」(『論語』公冶長篇)、といわれました。すべての門人の中で『論語』に登場する回数がもっとも多いのが子路です。
さて、孔子と子路の関係は、師と弟子という以上に、旧友同士のように近しいものでした。後輩弟子たちが師を恐れ、なかなか口を開くことができないような場面でも子路はずけずけと思うことをいい、孔子を諫めることもありました。時には口がすべり、知ったかぶりをすることもあったのでしょうか。師は「お前に教えよう。知っていることは知っていると思い、知らないことは知らないと認めなさい。それが本当の知ることだ」と教えました。ソクラテスの「無知の知(不知の自覚)」です。子路はここから賢人への第一歩をはじめ、その生の最期まで師の教えを忠実に実行していくのです。
3.世阿弥「上手は下手の手本、下手は上手の手本」
ソクラテスが神託に基づき、智者・賢者の代表とされる政治家・学者・芸術家を訪ね、問いただしたところ、本人たちは「自分は知恵がある」と思っているが、本当は何もしらないのだ、と気づきます。
これが、「無知の知」(不知の自覚)発見の契機でした。
ソクラテスが訪問した識者・賢人たちは、当然当時の各界の第一人者だったろうと思われます。その道については誰よりも豊富な知識と経験をもち、高い見識をもった人々。果たして彼らが本当に「知って」いるのか。ソクラテスの答えは前述通り「否」でした。
なぜ各分野のベテラン・権威とされる人が、実は「知らない」のか。
この「不知」から、本当の「知」へと至る心のプロセスを日本の能楽の大成者、世阿弥と父の観阿弥が、上手(年季を積んだベテラン役者)と下手(初心の役者)の二者に分けて解明しました。
下手はもちろん、名人上手であっても「不知」の暗がりから抜け出せないのは、「慢心」があるからだと看破したのです。
以下、世阿弥『風姿花伝』第三問答條々から、「上手は下手の手本、下手は上手の手本」の段落を現代語訳でご紹介しましょう。
第三 問答條々 ~上手は下手の手本、下手は上手の手本。
(質問者は世阿弥、回答者は観阿弥)
質問 能においても人それぞれ得手不得手というものがある。ことのほか劣ったシテであってもある方面では上手に勝る芸をもつ者がいる。これを上手が真似しないのはできないからであろうか。また、真似してはならないので、しないのであろうか。
回答 一切のことに得手といって、生まれながらにして与えられたよい面があるもの。位は格上ながら、その面についてのみ及ばないということはある。しかしこの場合もまた上手とはいえどもほどほどの上手の範囲ではある。まことに能と工夫を極めつくした上手であれば、どのような芸であろうとできないということなどあろうか。つまりは能と工夫を極めつくした上手が万人に一人もいないということになろうか。いない理由は、工夫がなく慢心のみあるからである。そもそも上手にも悪い面があり、下手にもいい面が必ずあるものだ。ただこれを見分けて指摘する者もなく、本人も自覚していないということか。上手は名を頼み技能にかくされ自分の欠点が見えなくなっている。下手はもとより工夫せず欠点も見えないので、たまたまある長所にも気付かない。されば上手も下手も互いに相手に尋ねるべきだ。反面能と工夫を極めた者はこれを悟るものである。
いかに下手なシテであっても良いところがあると気付けば、上手もこれを学ぶべきだ。これが一番の方法である。もし良いところに気付いても、自分があんな下手から何を学ぶのだと思い上がる。この心にしばられて自身の悪いところをも無視するようになってしまう。これがすなわち極め得ぬ心となる。また下手にも上手の悪いところが見えた場合。あんなに上手なのに欠点があるものだ、ということは初心の自分にはさぞかし欠点も多いはずと悟り、これを恐れ人にも尋ね工夫をする。これが良い勉強良い稽古となって能は早く上達するだろう。かたや自分はあのように悪い芸などするはずがないと慢心を持てば、自分の長所をも全くわきまえないシテとなってしまう。長所を知らねば短所もよしとしてしまうもの。こうなるといくら年季を積んでも、能は上がらない。これすなわち下手の心というものである。さればたとえ上手であっても、思い上がりは能を下げる。いわんや根拠のない思い上がりはなおさらのこと。よくよく公案し考えることだ。上手は下手の手本、下手は上手の手本とわきまえ工夫すべし。下手の良いところを、上手が自分に欠けている芸域に取り入れることはこれ以上ない理想的な方法ではないか。人の悪いところに気付くだけでも自分の勉強になるというのに、ましてや良いところについては、言うまでもない。「稽古は強くあれ、しかし慢心はもつな」とは、まさにこのことである。
(『現代語訳 風姿花伝』水野聡訳 PHP研究所 2005/1/21)