門前の小僧

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名言名句 第七十八回 ソクラテス「無知の知」

2024-10-25 17:43:19 | 名言名句

無知の知。ソクラテス『ソクラテスの弁明(プラトン著)』等より



今回ご紹介する名言は、哲学の創始者とされるソクラテスの「無知の知」です。
ソクラテスのこの思想により、人類の哲学が始まったとされており、人がものに気づき、それが何かを考え、活用し、想像し、創造していく精神活動の源泉となっているのです。


1.ソクラテス「無知の知」

現在、多くの辞典・哲学用語集に記載され、ソクラテス哲学の代名詞ともみなされる「無知の知」が、じつは誤解に基づく慣用句が一人歩きして広まってしまったものだ、と考えられています。

『ソクラテスの弁明』から翻案された「無知の知」は、ソクラテスの言葉に沿うなら「不知の自覚」と訳さねばならない。この思想が形作られた経緯と、解釈を高校生向けに世界史用語を解説するホームページから、以下に引用します。
(田中美知太郎訳『ソクラテスの弁明ほか』、納富信留訳『ソクラテスの弁明』よりの引用文を含む)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■「無知の知」の誤解

ソクラテスに関して必ず語られるフレーズの一つが「無知の知」であるが、それについては誤解があるので注意を要する。プラトン『ソクラテスの弁明』でソクラテス自身の語るところに依れば、あるとき仲間のカイレポンという者がデルフォイのアポロン神殿で「誰よりもソクラテスより知恵のある者はいない」という神託を受けたことを聞いて、その意味を確かめなければならないと一念発起し、知恵があると思われる人を次々と訪ねていった。しかし、彼が訊ねた政治家、芸術家、職人はいずれも、本人たちは自分は知恵があると思っているが、本当は何も知らないのだとソクラテスは気づいた。

(引用)しかしわたしは、自分一人になったとき、こう考えた。この人間より、わたしは知恵がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしの方が知恵のあることになるらしい。つまりわたしは、知らないことは、知らないと思う。ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。<プラトン/田中美知太郎訳『ソクラテスの弁明ほか』1968 新潮文庫 p.21-22>

つまり、ソクラテスは「知らないことは知らないと思う」と言っているのであり、「知らないことを知っている」と言っているのではない。したがって「無知の知」という言い方は正しくない。「無知の知」とは日本で誤って流布してしまった誤解である。

(引用)ここで大切なのは、ソクラテスが「知らないと思っている」という慎重な言い方をしていて、日本で流布する「無知の知」(無知を知っている)といった表現は用いていない点である。ソクラテスはそんな特別な知者として、人類の「教師」などと崇められる人物ではなく――彼は自分が「教師」であることをくりかえし否定している――あくまで人間が知恵という点でどのように謙虚であるあるべきか、を代表して示している。そこで初めて、哲学が始まるからである。<プラトン/納富信留訳『ソクラテスの弁明』2012 光文社古典文庫 解説 p.129-130>

・「世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント」ホームページ
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-136.html


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

さて、ソクラテス哲学発祥のきっかけとなった、当時のギリシャの時代背景と、「無知の知」(不知の自覚)発見に至る道筋を、先生と生徒の問答として、面白くわかりやすく解説するページもあります。
こちらも参照してみてください。

・「TABI LABO ~なぜソクラテスは無知の知に気づいたのか?」
https://tabi-labo.com/282605/zombie-3000-2



2.孔子「知らざるを知らずと為す」



ソクラテスよりも前に、「無知の知」の思想を提唱した東洋の哲人がいました。中国儒教の祖、孔子です。
ソクラテスが紀元前470頃~399、孔子が紀元前552~479。孔子の没後9年目にソクラテスが生まれているため、世界最高峰の哲人が相次いで誕生していたことはとても興味深い事実です。
孔子の思想が著作として成立するのは後世のことですし、遠く国を隔てていることを思えば、ソクラテスが孔子の思想を知り得たとは思えません。
「無知の知」(不知の自覚)と「不知為不知」が、踵を継ぐがごとく近い時期、国も人種も異なるこの二人から生まれ出たことに驚かされます。

孔子の「不知為不知」を出典『論語』の為政第二より、〔白文〕〔訓み下し文〕〔口語訳〕にて、以下ご紹介しましょう。


〔白文〕
子曰、由、誨 女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。

〔訓み下し文〕
子曰く、由よ、女(なんじ)に之を知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。


〔口語訳〕
師がこういわれた、「由よ、お前に『知る』ということを教えてみよう。知っていることを知っているとし、知らないことは知らないとする。これが知るということだ」と。


由、すなわち子路は孔子の最初の弟子で、武勇を好む直情径行の人物です。
この率直な性質を愛され、「道が行われないから、いっそ海に向かおうか。ついてくるのは由であろう」(『論語』公冶長篇)、といわれました。すべての門人の中で『論語』に登場する回数がもっとも多いのが子路です。

さて、孔子と子路の関係は、師と弟子という以上に、旧友同士のように近しいものでした。後輩弟子たちが師を恐れ、なかなか口を開くことができないような場面でも子路はずけずけと思うことをいい、孔子を諫めることもありました。時には口がすべり、知ったかぶりをすることもあったのでしょうか。師は「お前に教えよう。知っていることは知っていると思い、知らないことは知らないと認めなさい。それが本当の知ることだ」と教えました。ソクラテスの「無知の知(不知の自覚)」です。子路はここから賢人への第一歩をはじめ、その生の最期まで師の教えを忠実に実行していくのです。



3.世阿弥「上手は下手の手本、下手は上手の手本」



ソクラテスが神託に基づき、智者・賢者の代表とされる政治家・学者・芸術家を訪ね、問いただしたところ、本人たちは「自分は知恵がある」と思っているが、本当は何もしらないのだ、と気づきます。
これが、「無知の知」(不知の自覚)発見の契機でした。

ソクラテスが訪問した識者・賢人たちは、当然当時の各界の第一人者だったろうと思われます。その道については誰よりも豊富な知識と経験をもち、高い見識をもった人々。果たして彼らが本当に「知って」いるのか。ソクラテスの答えは前述通り「否」でした。
なぜ各分野のベテラン・権威とされる人が、実は「知らない」のか。

この「不知」から、本当の「知」へと至る心のプロセスを日本の能楽の大成者、世阿弥と父の観阿弥が、上手(年季を積んだベテラン役者)と下手(初心の役者)の二者に分けて解明しました。
下手はもちろん、名人上手であっても「不知」の暗がりから抜け出せないのは、「慢心」があるからだと看破したのです。

以下、世阿弥『風姿花伝』第三問答條々から、「上手は下手の手本、下手は上手の手本」の段落を現代語訳でご紹介しましょう。


第三 問答條々 ~上手は下手の手本、下手は上手の手本。

(質問者は世阿弥、回答者は観阿弥)

質問  能においても人それぞれ得手不得手というものがある。ことのほか劣ったシテであってもある方面では上手に勝る芸をもつ者がいる。これを上手が真似しないのはできないからであろうか。また、真似してはならないので、しないのであろうか。

回答  一切のことに得手といって、生まれながらにして与えられたよい面があるもの。位は格上ながら、その面についてのみ及ばないということはある。しかしこの場合もまた上手とはいえどもほどほどの上手の範囲ではある。まことに能と工夫を極めつくした上手であれば、どのような芸であろうとできないということなどあろうか。つまりは能と工夫を極めつくした上手が万人に一人もいないということになろうか。いない理由は、工夫がなく慢心のみあるからである。そもそも上手にも悪い面があり、下手にもいい面が必ずあるものだ。ただこれを見分けて指摘する者もなく、本人も自覚していないということか。上手は名を頼み技能にかくされ自分の欠点が見えなくなっている。下手はもとより工夫せず欠点も見えないので、たまたまある長所にも気付かない。されば上手も下手も互いに相手に尋ねるべきだ。反面能と工夫を極めた者はこれを悟るものである。

 いかに下手なシテであっても良いところがあると気付けば、上手もこれを学ぶべきだ。これが一番の方法である。もし良いところに気付いても、自分があんな下手から何を学ぶのだと思い上がる。この心にしばられて自身の悪いところをも無視するようになってしまう。これがすなわち極め得ぬ心となる。また下手にも上手の悪いところが見えた場合。あんなに上手なのに欠点があるものだ、ということは初心の自分にはさぞかし欠点も多いはずと悟り、これを恐れ人にも尋ね工夫をする。これが良い勉強良い稽古となって能は早く上達するだろう。かたや自分はあのように悪い芸などするはずがないと慢心を持てば、自分の長所をも全くわきまえないシテとなってしまう。長所を知らねば短所もよしとしてしまうもの。こうなるといくら年季を積んでも、能は上がらない。これすなわち下手の心というものである。さればたとえ上手であっても、思い上がりは能を下げる。いわんや根拠のない思い上がりはなおさらのこと。よくよく公案し考えることだ。上手は下手の手本、下手は上手の手本とわきまえ工夫すべし。下手の良いところを、上手が自分に欠けている芸域に取り入れることはこれ以上ない理想的な方法ではないか。人の悪いところに気付くだけでも自分の勉強になるというのに、ましてや良いところについては、言うまでもない。「稽古は強くあれ、しかし慢心はもつな」とは、まさにこのことである。

(『現代語訳 風姿花伝』水野聡訳 PHP研究所 2005/1/21)


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【日本文化のキーワード】第十一回 読み人知らず

2024-08-13 17:46:40 | 名言名句



 今回のキーワードは、「読み人知らず」。昔も今も、多く見られる無名の人々の名歌や名言・格言をご案内していきましょう。

 名言・名句のホームページ【言の葉庵】では、これまで偉人の言葉や文章を紹介してきました。これらは著名人の名言です。かたや、歴史に名を遺さぬ庶民・一般人にも多くの名歌や名言があり、記録・伝承されてきたのも事実。むしろ無名人の飾らぬ直接的な言葉や言い回しには、はっと胸をつかれるものが多いのではないでしょうか。

「実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな」

 知識や教養が充実した立派な人ほど、他人に対して謙虚になる、というたとえです。『俳諧・毛吹草』に、「ほさつみがいればうつふく にんげんみがいればあをのく」とあります。
 「ほさつ」とは菩薩で、米のこと。稲穂は実れば、重くなって垂れてくることに対して、人間は実(金・地位)が入れば、頭が高くなり、人を上から見下すとの意味です。

 『俳諧・毛吹草』の言い回しが、人から人へと言い伝えられ、やがて同句の形をとるようになったと考えられています。作者不詳句です。

 以下、【古典篇】と【現代篇】の二部にて、〔無名人の名歌・名言〕をご案内していきましょう。


【古典篇】

1.万葉集

 日本最古にして、世界最大規模とされる詩歌集である万葉集。
 全4500首のうち、2100首以上が作者未詳歌(詠み人知らずの歌)です。名もなき人が詠んだ極めつけの名歌を〔挽歌〕の中から一首見てみましょう。

「さきわい(福)のいかなる人か黒髪の白くなるまで妹がこえ(音)を聞く」
(万葉集 1411番 詠み人知らず)

 伴侶に先立たれた夫が詠んだものと思われます。
 ああ。なんと幸せな人々なのだろう。黒い髪が白くなるまで妻の声が聞けるなどとは……。
 歌の修辞ではなく、直接的で切実な言葉が、しみじみと人の心に伝わってきます。もう二度と妻の声を聞くことができないのだ。今目の前を行く、あの老夫婦のようには。
 失くしてしまった人が、いかに自分にとって大切なものか、と気づく瞬間の思いは千年以上の時を経ても、変わらずぼくたちの胸を打ちます。


2.古今和歌集


 古今和歌集も全1100首のうち、約4割が読み人知らずの歌であるとされています。
 もっとも有名なのが、日本の国家「君が代」ではないでしょうか。この歌も読み人知らずで、明治時代にメロディーがつけられました。

 それでは、古今和歌集の中から次の一首を。

「春ごとに花のさかりはありなめど あひ見むことはいのちなりけり」
(古今和歌集 巻第二 春歌下 詠み人知らず)

 毎年春になると花は今を盛りと咲くのだけれど、このように花(あなた)とまた会えたのはお互い命あってこそなのですね。
 歌意はこのようなものですが、一時に満開になり、あっという間もなく散ってしまう桜に、日本人は命のはかなさを歌にたくしてきたのです。
 芭蕉の次の句も旧友との再会を喜び、かつ互いの命のはかなさを嘆じたものでした。

「いのちふたつの中にいきたる桜かな」
(野ざらし紀行 松尾芭蕉)



3.千載和歌集


 勅撰集に入れられた歌のうち、「読み人知らず」の作者には次の3つの分類があります。

(1) 作者不明の歌
(2) 一般人・庶人など身分の低い、無名人物の歌
(3) 世上に記載が憚られる、勅勘の人物の歌

 千載和歌集には上の(3)にあたる〔記載が憚られる〕作者の有名な歌があります。

「さざなみや志賀のみやこはあれにしを 昔ながらの山桜かな」
(千載和歌集 巻第一 春歌上 66 詠み人知らず)

 実は、この歌の作者は当時世上に名高い平家の一門、平忠度その人でした。
撰者である藤原俊成と忠度は和歌の師弟関係。平家が都落ちするに際し、忠度が師に託した自歌の巻物の中から俊成が千載和歌集に入れた一首です。
 しかし世は源氏。滅ぼされた平家一門の名を勅撰集に入れることを憚って、「読み人知らず」として扱われたのでした。

 能<忠度>は、読み人知らずがテーマの名作です。自らの歌が「読み人知らず」とされたことを怨んだ忠度の亡霊が、俊成門の僧の前に姿を現し、自分の名を和歌集に入れてほしい、と嘆願する物語です。「読み人知らず」というより、「読み人いえず」でしょうか。忠度の兄、経盛の歌も同様に「読み人知らず」として入選していました。

 世阿作の多くの名作能は、歴史の闇に葬り去られた〔救われぬ者〕にスポットライトを再び当て、無念の魂を救済しようとしたものなのです。



4.庶民の辞世の歌

 江戸期の無名の人々の秀歌を〔辞世の歌〕から選んで、以下にご紹介しましょう。


●商人の娘(年代不明 享年二十八)
辞世の句、三句
(題:湯灌いや)「おのづから心の水の清ければ いづれの水に身をや清めん」
(題:経かたびらいや)「生まれ来て身には一重も着ざりけり 浮世の垢をぬぎて帰れば」
(題:引導いや)「死ぬる身の教えなきとも迷うまじ 元来し道をすぐに帰れば」

「黒甜瑣語」にのっていた話。丹波の国の商人の娘、二十八歳で死亡したが、上の辞世の句三首を残していました。


●乞食女(一六七二没 享年不明)
辞世の句
「ながらえばありつる程の浮世ぞと 思えば残る言の葉もなし」

寛文12年4月、京都三条橋の下で二十歳あまりの乞食女の遺体が発見されました。自害とみられ、かたわらには上の辞世の句が残されていたのです。これが都で評判となり、ある貴族もこれに対して返歌を詠みました。

「言の葉は長し短し身のほどを 思えば濡るる袖の白妙」(新著聞集)

彼女の意図に反し、三百年以上も「言の葉」は残り、今も聞くものの心を打ちます。



【現代篇】


5.現代の名言


 普段、よい言葉、うまい言い回しを耳にし、目にした時、メモをしたりポストイットを貼ったりすることはありませんか。それが何の役に立つのかわからないまま、しかしどこか心の琴線に触れる文章は記録したくなるものです。

 故永六輔さんは、長年にわたって無名の人々の〔名語録〕を集めてきました。
以下、永六輔さんの『聞いちゃった! 決定版「無名人語録」』(新潮社 2003.1)より、ちょっと笑えて、ほろりと泣けて、パンと膝を打つ、無名の人たちの言葉をいくつかご紹介してみましょう。
 同書は雑誌『話の特集』と『週刊金曜日』に20年間にわたり、連載を続けてきた〈無名人語録〉の編集版です。永さんが自ら〔歩く盗聴器〕となって、全国津々浦々を旅して集めたものです。


◆永六輔の無名人語録 抜粋

「人間が生きていられるのは、地球が生きているからです。
地球が死んだら人間も死にます。
地震も台風も洪水も、あらゆる自然災害は地球が生きている証拠です」


「神さま、どうぞ、娘の生命をお助けください。
私の生命とひきかえにしてくださって結構です。
なんでしたら家にもう一人年寄りがいますので、この二人の生命で、娘の生命とひきかえにしてください」


「鉛筆のような人になりなさい。
芯がチャンとあって、まわりに気(木)をつかいなさい。
……うまいでしょ……?」


「無理させておいてよ、
無理するなよっていう奴、
いるよ」


「世の中、何を知っているかじゃありません。
……誰を知っているかです」


「二番目に好きなものを生業におしよ、
一番目は遊びで楽しむもんだ」


「もっと寝てたらどうなの。
今日から会社に行かなくていいのよ。
もっと、寝てなさいよ」


「お金は淋しがりやなんですよ。
だから、お金はお金のあるところに行くんですね」


「運命っていうけどさ、
運と命は違うものです。
命は決められたものです。
運は自分で決めることができます」


「愛することの反対は、憎みあうことではありません。
無関心になることです」


「日本は子供の国だ!
そう思うと納得のいくことが沢山ありますね」


「天才といわれる人は病気なんですよ。
でも、それを治すと、普通の人になっちゃいますからね」


「死んで貰いたい人は……死なんなァ」


「死ぬ前になりますと、人間は炭酸ガスが増えるんです。
この炭酸ガスに麻酔性がありますから、最後はそれほど苦しまずに終わるように出来ているんです」


「人間、息を引きとっても、暫くは耳が聞こえているんです。
だから通夜で偲んであげるんです。
ちゃんと聞いているそうですよ」


「読経でなくても、故人の好きな音楽でも音響でもいいんです。
故人を偲ぶのに手助けになればいいんです」

■言の葉庵HP【日本文化のキーワード】バックナンバーリンク

第十回 鬼
https://blog.goo.ne.jp/kotonoha-anshu/e/56b63fb1822682dcb79c04bc6c67803c
2023-11-05

第九回 歌 ~古今和歌集 仮名序にみる和歌の世界
http://nobunsha.jp/blog/post_233.html

第八回 仕舞い
http://nobunsha.jp/blog/post_224.html

第七回 間
http://nobunsha.jp/blog/post_206.html
2017年02月25日

第六回 切腹
http://nobunsha.jp/blog/post_135.html
2013年01月21日 16:00

第五回 位
http://nobunsha.jp/blog/post_122.html

第四回 さび
http://nobunsha.jp/blog/post_92.html

第三回 幽玄
http://nobunsha.jp/blog/post_50.html

第二回 風狂
http://nobunsha.jp/blog/post_46.html

第一回 もののあはれ
http://nobunsha.jp/blog/post_42.html


※「侘び」については以下別稿参照

[目利きと目利かず 第三回]
http://nobunsha.jp/blog/post_25.html

[目利きと目利かず 第四回]
http://nobunsha.jp/blog/post_28.html

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名言名句 第七十七回 岡倉天心 「茶道は、生きる術を授ける宗教なのである」。

2024-03-16 10:14:51 | 名言名句

茶道は、生きる術を授ける宗教なのである。 岡倉天心『茶の本』


 今回の名言は、そもそも「茶道とはいったい何か」を解き明かそうとするものです。
明治期の世界的名著である『茶の本』で、岡倉天心は「生きる術(すべ)を授ける宗教」である、と看破しました。
まずは、現代語訳角川文庫版から同句を含む第二章 茶の流派の一節をご紹介します。



【訳文】
『茶の本』第二章 茶の流派

茶の理想の頂点はこの日本の茶の湯にこそ見出される。一二八一年のモンゴル襲来を見事に阻んだことによって、日本は、中国本国では異民族支配によって無残に断絶してしまった宋の文化を継承することができたのである。 
私たち日本人にとって茶道は単に茶の飲み方の極意というだけのものではない。それは、生きる術を授ける宗教なのである。茶という飲み物が昇華されて、純粋と洗練に対する崇拝の念を具体化する、日に見える形式となったのであり、その機会に応じて主人と客が集い、この世の究極の至福を共に創り出すという神聖な役割を果たすことになる。茶室は、索漠とした日々の暮らしに潤いをもたらすオアシスであり、そこに会した旅人たちは、共に、芸術鑑賞の泉を分かち合って疲れを癒すのである。茶の湯は、茶、花、絵などをモチーフとして織り成される即興劇である。部屋の色調を乱すような色、動作のリズムを損なうような音、調和を壊すような仕草、あたりの統一を破るような言葉といったものは一切なく、すべての動きは単純かつ自然になされる――
茶の湯が目指したのはこのようなものである。そして、この企ては不思議にも成就されたのである。そのすべての背景には微妙に哲学が働いている。茶道は姿を変えた道教なのである。

(『新訳 茶の本 ビギナーズ 日本の思想』 角川ソフィア文庫 2005/1/25岡倉 天心 著,大久保 喬樹 翻訳)


 「私たち日本人にとって茶道は単に茶の飲み方の極意というだけのものではない。それは、生きる術を授ける宗教なのである」は、天心の英語原文では下の一節となっています。

Tea with us became more than an idealisation of the form of drinking; it is a religion of the art of life.


 角川文庫版の訳文「生きる術を授ける宗教」は、原文の“a religion of the art of life”の部分です。現在日本では一般に「art=芸術」と置き換えられますが、もともとの語源では“nature(自然)”に対する、“art(人工)”という概念であり、技術や技芸を指す言葉でした。よってこの訳文となっているのです。
 さてこの「生きる術(すべ)」とは何か。なぜそれが「宗教」となったのでしょうか。


・日常生活のすべてが修行である

 禅では「行住坐臥」といい、日常生活のすべての行いが修行だと考えられています。
「行」は歩く、「住」は止まる、「坐」は座る、「臥」は横になること。つまり、朝起きてから、顔を洗い、掃除をし、食事を作り、座禅・読経し、外出して勤めをし、寺へ戻り一日の始末をして夜寝るまで、一挙手一投足が、悟りのトレーニングである、と教えています。
 たとえば茶道の秘伝書『南方録』で、茶における行住坐臥を利休は次のように説いています。


宗易、ある時、集雲庵にて茶湯物語ありしに、茶湯は台子を根本とすることなれども、心の至る所は草の小座敷にしくことなしと常ゝの給ふは、いか様の子細か候と申。宗易の云、小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て、修行得道する事なり。家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事なり。家はもらぬほど、食事は飢ぬほどにてたる事なり。これ仏の教、茶の湯の本意なり。水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ人にもほどこし、吾ものむ。花をたて香をたく。みなゝ仏祖の行ひのあとを学ぶなり。なを委しくは、己僧の明めにあるべしとの給ふ。

(『南方録』覚書 岩波文庫 1986/5/16 西山 松之助 校注)


・一期一会。今、ここにすべてがある

 茶の湯では、行住坐臥と同様に、もっとも大切とされている言葉があります。それが、

 一期一会

 死後の往生や来世に救いを求める他の宗教とは異なり、現世で悟りを開き、成仏することを目指す禅では、もっとも大事なのが、まさに今、生きているこの一瞬である、としています。
 やり直しのきかない、今の一瞬一秒を何よりも重んじ、日常の些事をおろそかにせず、目の前のことすべてに全力で取り組むべき―。
 これが「一期一会」であり、茶禅一味思想の根本です。今、流行の言葉で言い換えれば「君たちはどう生きるか」を具体的に指し示した教えだといえましょう。
 ふらふらと何の考えもなく、信念もなく「今さえよければそれでいい」などとうそぶく態度とは真逆のものです。


提る 我得具足の 一太刀
今此時ぞ 天に抛つ

(『千利休 遺偈』 天正十九年)

 たかが一椀の茶、己の茶を守るために生を截ち切った利休の気迫こそ、茶道が400年以上もの長きにわたり日本文化として継承されてきた大本なのではないでしょうか。
 それを、茶道は単なるティーセレモニーではなく、「生きる術を授ける宗教なのである」と、はじめて日本に接する欧米の人々へ伝えた天心の先見の明には、驚くしかありません。
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名言名句 第七十五回 千利休 「渡りを六分、景気を四分に据え申し候。」

2023-05-27 10:03:48 | 名言名句
渡りを六分、景気を四分に据え申し候。 千利休~『石州三百ヵ条』





今回は、庭造り、露地の飛び石についての利休の名言です。

茶庭である露地の飛び石は、茶室へと至る庭の通路として設置され、千利休の安土桃山時代頃に成立した、比較的新しいものです。

その名の通り、平らな石を飛び飛びに並べ、その上を客人が伝い歩いたため、古くは「伝い石」とも呼ばれました。これらの石の並べ方、配置について利休は「渡り(歩きやすさ)を六分、景気(美観)を四分」に按配して据えよ、と示したものです。

まずはこの句の出典から、原文と現代語訳をご紹介しましょう。





【原文】



「飛石ハ利休ハ渡りを六ふん、景氣を四ふんに居申候由、織部ハわたりを四ふん、景氣を六ふんにすへ申候、先、飛石ハ渡りのためなれば、わたりを第一とす、然共、まつすくに同じやうにつゝけてハかたく候、それゆへひつミを取也、しかれとも無用の所にて、わさとひつませ候ハ作物にてあししき也、何そ木にても下草にても、いき當りをよけ候ためにひつませ、又ハ石のとめ合により不足成るところにすへ石を置、それより居へつゝくるやう渡りを第一にするなり、尤よき石ハ嫌ふなり、あしき石にて見立よく居なすへし、今時、物すきとてあそここゝと石をひつませ、渡りの心なきハ嫌ふ也」

(『石州三百ヶ条』(『茶道古典全集』第二巻 千宗室編纂 淡交社)



【現代語訳】



飛び石を利休は、渡りを六分、景気を四分として設置、配列したという。弟子の織部は渡りを四分、景気を六分として並べたのだ。

そもそも飛び石は、渡って歩くためのものなので、渡りを第一とする。しかし石をまっすぐ同じように続けたのでは、固くみえる。それゆえ歪みをつけるのである。かといっても、無用の場所でわざとらしく歪ませるのは作り物でよくない。たとえば樹木や下草が障りとなる場合、これをよけるために歪ませ、または石と石とのつなぎに間が開いてしまった時、その足りない所へ据え石を置くとよい。その石より次の石へと続くように、渡りを第一とするのだ。さてまた、見映えのよい石は嫌う。見劣りする石を収まりのよきように見立てて据えよ。今どきの数寄者と称する人が、あちらこちらと石を歪ませ、渡りの心がないのは考えものだ。

(水野聡訳 2023年5月 能文社)





利休のいう、「渡りを六分、景気を四分」は、ぼくたち日本人の美的価値基準が、全き対称ではなく、いずれかの極へ少しずれ、傾く非対称性を象徴しています。

これは伝統的日本文化・芸術の諸相で広く観察される現象です。

なぜ日本人は非対称とわずかなずれを美しいと感じるのか。日本文化のいくつかの分野でサンプルケースをたどっていきましょう。





■利休は美が四分、織部は美が六分



まずは、利休作と伝えられる露地の飛び石と織部作の露地を見てみましょう。





利休のいう「渡りを六分、景気を四分」はいい換れば、機能が六割、美が四割とも考えることができます。すべて実用品であり、“用の美”たる茶道具の美的価値を四分とした利休に対し、弟子の織部が六分としたのは興味深いことです。利休形の代表たる樂茶碗と歪んだ織部焼茶碗を見比べた時、師と弟子のバランス感覚の違いがよく表れているのではないでしょうか。










■日本文化は不足の美



さて、「六分、四分」は機能と美のバランスですが、美そのもののバランスについても、東洋、とりわけ日本では、「五分、五分」すなわち完全なる均衡を理想の美とはしていません。

日本古来の絵、水墨画・山水画では絵の構図として「一角様式」が伝統的に踏襲されています。

これらの作品では、山や川などメインモチーフはいずれかの一隅に偏って描かれ、他は大きな余白として残され、何も描かれないのです。

この「一角」技法は、南宋の画家、馬遠より起こり、禅画を中心として日本でも広く普及していきました。







鈴木大拙は「一角」について、仏教思想(華厳経)の「一即多、多即一」とひもづけて、以下のように論じます。



「日本人の芸術的才能のいちじるしい特色の一つとして、南宋大画家の一人馬遠に源を発した「一角」様式を挙げることができる。この「一角」様式は、心理的にみれば、日本の画家が『減筆体』といって、絹本や紙本にできるだけ少ない描線や筆触で物の形を表すという伝統と結びつている。(中略) 非均衡性・非相称性・「一角」性・貧乏性・単純性・さび・わび・孤絶性・その他、日本の美術および文化の最も著しい特性となる同種の観念は、みなすべて「多即一、一即多」という禅の真理を中心から認識するところに発する。」

(『禅と日本文化』鈴木大拙 岩波新書 1940.9.30)





美術技法として見れば、「一角」の余白部分は、鑑賞者の想像力に働きかけ、創造力を呼び起こすもの、とされます。峻厳たる岩山の何も描かれない余白に、あるいは月を見、あるいは帰雁の連なりを見、時には古寺の晩鐘の音までをも聞くのです。

余白は不完全であり、不足ですが、そこに新たなる価値、生命が生み出される。ぼくたち日本人は、このようにして美を感じ、命を与えてきました。





■五分五分は神の座、人は三分一である



利休の飛び石の「六分、四分」は非均衡、非対称により、茶庭に美と生命を与えようとするものでした。

ひとたび茶道具へと目を転じた時、この非対称性は『南方録』の〈カネワリ〉と呼ばれる茶道具配置法に顕著に表れてきます。

〈カネワリ〉は台子に茶道具を飾り付けるための厳密な配置分法です。

台子の天板の上に五本の線を均等に割り付け、原則としてその線上に各道具を置いていきます。

この五つの線を〈陽カネ〉と呼び、中央の〈第一のカネ〉から、右、左へと〈五番目のカネ〉まで、茶道具の位(価値)に応じて配していく技法です。



面白いのは、この線(位置)の上に置く道具はすべて、真上に置かず少し右か左へとずらして置くというもの。ずらし方には〈三分一〉と〈峰ずり〉と呼ばれる二種類があります。一つ物と呼ばれる、飾りの主役級たる大名物茶道具は中央のカネにただ一つ〈峰ずり〉で置く。その他の道具は、他のカネにすべて〈三分一〉で置くこととされています。







■翁、すなわち神のみが中央の道を行く



「能にして能にあらず」とされる、能の秘曲〈翁〉。能の各流儀、各家では〈翁〉を演じる上で、様々な口伝・秘伝が伝えられてきました。

シテ方某家に伝わる習い(相伝)では、翁が登場する時、シテは橋掛かりの中央を通って本舞台に入る、とされています。そして、その他すべての曲では、シテは橋掛かりの中央線が右肩あたりにくるように、やや左寄りに橋掛かりを運ぶ決まりになっているという。



いうなれば、通路の真ん中は神のみに許される通り道。人間は神の道を憚って、やや脇に寄って通らねばなりません。開演前の鏡の間では、〈翁飾り〉をし、演者は塩で身を清め、舞台は火打石で清められる。

〈翁〉は古代の神が降臨する、神聖なる儀式として今も特別に重んじられています。



もしも神の座を冒す者あらば、いかなる神罰が下ることやら。

日本人が無意識に真中を避ける文化的背景には、超自然的な存在への畏敬があるのかもしれません。しかし怖れ、憚るとはいっても深山、辺境に神を遠ざけることはせず、ごく身近に祭り、共に祝い、共に寿福を享受するために生活の諸所に〈神の庭〉を設けていたのではないでしょうか。



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千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社 (nobunsha.jp)
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【名言名句 空海】物に定まれる性なし。人、何ぞ常に悪ならん。

2023-01-22 13:45:51 | 名言名句

今回の名言は、空海晩年の著、『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)から、この句をご紹介しましょう。

 物に定まれる性なし。人、何ぞ常に悪ならん。
 (物には定められた性質はない。どうして人はいつまでも悪人であり続けることがあろうか。)

 悪とは何か―。
 人の善悪については、孟子の性善説、荀子の性悪説以来、長く論争されてきました。
 空海最奥の教義書たる本著において、冒頭の第一章「異生羝羊心」では、畜生にも劣る、もっとも愚かな凡夫の心性を「第一住心」と称し、一分の善もない全くの悪心、一分の明もない全くの暗心、自らの欲望に終始する、人面獣心のような心のあり方を説いています。

 この暗黒の世界に、はじめて一条の光が射し、人の人たる世界が開けゆくのが、第二住心と呼ばれる「愚童持斎心」の段階です。それは倫理、道徳の道が開ける儒教的精神の発揚段階。
 そしてよき教えに導かれ、善心がすくすくと伸び育つ、すべての精神の発達可能性も示唆します。

 「物に定まれる性なし」は、この宇宙の天然自然において永遠不変のものなど一つもないことを表し、「人、何ぞ常に悪ならん」は、人の心もこの万物変性の法則を受け、いかなる極悪人も生涯、悪に徹し続けることはできない、と説いているのです。
(※参照 【言の葉庵】救われる極悪人『今昔物語』 https://bit.ly/3XFkCPq ) 
 その変化のご縁となるのが、儒教の五常であり、仏教の十善戒(五戒)である、と説明します。

 「愚童持斎心」は、幼な子がはじめて他者との接し方を悟った、いわば倫理のヨチヨチ歩きの状態である、ということに注意しなければなりません。人に施したのに、「返してくれない」「感謝されない」と不満に思うかもしれないからです。こうした心の縛りから解き放たれるために、第三から、第十住心へと至る空海の精神発展の階段がここに用意されました。
 しかし弘法にも筆の誤り―。この階段は、時につまづいたり後戻りすることもある、と気づくことも大切です。人は悪であり続けることは難しく、逆にいつまでも善であり続けることも、なかなか骨の折れることですから。

 以下、『秘蔵宝鑰』の解題と、〔第二 愚童持斎心〕の原文、現代語訳をそれぞれご案内していきましょう。


『秘蔵宝鑰』 弘法大師空海


〔解題〕

淳和天皇の天長七年(八三〇)に各宗の宗義を差出すように命があったとき、弘法大師空海は『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』の二書を献上した。この二部作は空海の数多い著作の中で文字通りの双璧の主著である。
前著の精髄を要約したものが『秘蔵宝鑰』(略称宝鑰)である。書名は秘(密)蔵、すなわち「われわれの心の真実相として秘められている世界」を開示する鍵を意味する。空海がいう心の真実相の世界は、第一住心より第十住心にいたる心の十の発達段階である。これらは動物精神的な世界から、倫理的世界、さらに宗教的世界の目ざめ、そして宗教的自覚の次第に深化してゆく心の発展過程を克明に説き、最後に第十秘密荘厳住心にいたる。現実的にはこの第十住心は空海の真言密教であるが、しかし、第一住心より第九住心までのすべての心の世界は、そうした第十住心に包摂され、かつ一々の住心は第十住心の顕現にほかならないとするのが、空海の十住心体系の基本的立場である。
このように、『秘蔵宝鑰』の全体をつらぬくものは内面的精神の発達相であるが、それとともに見落してならないことがある。それは倫理以前の領域から儒教、道教、奈良仏教の諸宗、平安の天台、真言という移りゆきがそのまま、ほぼわが国における思想史の形成を示しているということであろう。そして本著作は、わが国における宗教的なすぐれた求道の書というだけにとどまらず、稀右の思想書といわなければならない。訓み下しに当り、テキストは『弘法大師全集』所収のものを用いた。


〔原文〕

第二 愚童持斎心*1

夫れ禿なる樹、定んで禿なるに非ず。
春に遇ふときは栄へ華さく。増(かさ)なれる氷、何ぞ必ずしも氷ならん。
夏に入るときは則ち泮(と)け注ぐ。穀牙、湿ひを待ち、卉菓(きか)、時に結ぶ。
戴淵(たいえん)*2、心を改め、周処*3、忠孝あつしが如くに至つては、磺石(こうしゃく)、忽ちに珍なり。魚珠*4、夜を照す。

物に定まれる性なし。人、何ぞ常に悪ならん。縁に遇ふときは則ち庸愚も大道を庶幾(こいねが)ふ。教に順ずるときは則ち凡夫も賢聖に斉(ひと)しからんと思ふ。羝羊(ていよう)、自性な
し。愚童も亦愚にあらず。
是の故に、本覚、内に薫し、仏光、外に射して、欻爾(くつじ)に節食し、数数に檀那*5す。
牙種疱葉(びょうよう)の善、相続して生じ、敷華結実(ふけけつじつ)の心、探湯(くかたち)不及なり。

五常*6漸く習ひ、十善*7讃仰す。五常と言つぱ仁・義・礼・智・信なり。仁をば不殺等に名づく。己を恕して物を施す。義は則ち不盗等なり、積んで能く施す。礼は曰く、不邪等なり、五礼*8、序有り。智は是れ不乱等なり、審かに決し能く理(こと)はる。信は不妄の称なり、言つて必ず行ず。
能く此の五を行ずるときは則ち四序*9、玉燭し、五才*10、金鏡なり。国に之を行へば則ち天下昇平なり。家に之を行へば則ち路に遺を拾はず。名を挙げ、先を顕すの妙術、国を保ち、身を安んずるの美風なり。外には五常と号し、内には五戒*11と名づく。名、異にして、義、融し、行、同じうして、益、別なり。断悪修善の基漸、脱苦得楽の濫觴*12(らんしょう)なり。



*1愚童持斎心 愚童は凡夫を指し、持斎は戒律に則った生活をするという意味である。空海の十住心体系の第二である、愚童持斎心は節食し布施をするなど道徳に目覚めた状態であり、儒教などにあたる。
*2 戴淵 他人の船を襲い、掠奪しようとしたが、却って教誠され、改心して趙王に仕え予章太守となる(『晋書』)。
*3 周処 初め暴悪乱行であつたが、老父の訓誠によって改心し、呉王の忠臣となったという(『晋書』)。
*4 魚珠 鯨の目。
*5 檀那 danaの音写。布施すること。
*6 五常 仁、義、礼、智、信。この一節は、善心の実践として第二住心の当分を述べる。
*7 十善 不殺生、不倫盗、不邪淫、不妄語、不両舌、不悪口、不綺語、不貧欲、不瞑志、不邪見。
*8 五礼 古、凶、軍、賓、嘉で、周礼の説。
*9 四序 春夏秋冬の四季和順なることをいう。
*10 五才 五才は木、火、土、金、水の五行。この五行が各々その位を保って混乱せず、金鏡のように明了であること。
*11 五戒 不殺生、不倫盗、不邪淫、不妄語、不飲酒。
*12 濫觴 揚子江のような大河も源は觴 (さかずき) を濫 (うか) べるほどの細流にすぎないという、『荀子』子道にみえる孔子の言葉から。物事の起こり。始まり。起源。

(『日本の思想 1 最澄・空海集』筑摩書房 1973.8.30)



〔現代語訳〕

そもそも裸の枯れ木は、いつまでたっても枯れたままではない。春になれば、芽ばえて花が咲く。厚い氷も、いつまでも氷ったままではない。夏になれば溶けて流れ出すのだ。穀物の芽も湿気があれば発芽し、時至れば実をもむすぶ。
戴淵は陸機にいましめられ、改心して将軍になった。周処は老父にいましめられ、忠孝をつくす人となった。原石がみがかれて宝石となり、鯨の目が夜を照らす明月珠となったという伝説の通りである。

物には定められた性質はない。どうして人はいつまでも悪人であり続けることがあろうか。ご縁があれば、愚かな者でも大道を志すのである。教えにしたがえば、凡人も聖賢を目指すではないか。「羝羊」とても、それ自体固定の性質ではない。愚か者もまた愚かなままでいるわけではない。
ゆえに本覚が心の内に起こり、目覚めた者の光が外にかがやき出せば、たちまちに自らの欲望をおさえ、しばしば他の者へ施すようになる。あたかも、樹木の芽が種より芽ばえてつぼみとなり葉がのびるように、善心の芽ばえは次第に生長する。そして花が咲き、実をむすぶように、善心の発展は、神に誓って疑いもない。

こうして儒教の五常を次第に習い、仏教の十善を仰ぎ称えるようになる。五常とは仁、義、礼、智、信のことである。仁を仏教では不殺と呼ぶ。おのれの身になって人に施すのだ。義はすなわち不盗である。みずから節約して他人に与える。礼はいわば不邪といおうか。五礼に秩序があるのだ。智は不乱である。事細かに決定し、よく道理をとおすこと。信は不妄。口から出したことは必ず実行するべし。
人がこの五つをよく行なえば四季滞りなく、木、火、土、金、水の五行は明らかとなる。国家がこれを行なえば、天下太平となるのである。一家にこれを行なえば路に落ちたものを拾う者はいなくなろう。
我が名を上げ、祖先を顕彰する秘策であり、国を保ち身を安んずる美風なのだ。
これを儒教では「五常」といい、仏教では「五戒」という。名は違えども意味は同一である。
しかし行為が同じであるといっても、その益は異なる。五戒は、悪を断ちきり善を修める根本であり、苦を抜き、楽を得るはじめとなるものだ。

(現代語訳 水野聡/能文社 2023.1.18)

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