::: 付記 ::: 右は、冬11月9日。 従三位・葛城王、従四位・上佐為王らが、皇族の高名を辞し、外家の姓を賜わることを言い伝えた。 時に、太上天皇(元正天皇)および皇后、ともに皇后宮において、肆宴(とよのあかり)をひらく。 即ち、橘を祝賀する歌を作り給える。 また、御酒を宿祢等に賜う。 或いは云わく、この歌1首は、太上天皇のお歌である。 ただ、天皇皇后のお歌各1首ありといえば、その歌は遺落しており探求するも未だ得ない。 今、案内を検すると、天平8年年11月9日、葛城王ら橘宿祢の姓を願って表を上り、 17日をもって、表の乞に依りて、橘宿祢を賜うという。
天平8年(736年)、聖武天皇が橘諸兄(たちばなのもろえ)一族への祝賀に贈った時の御歌やね。 皇族だった葛城王は弟の佐為王と共に母の橘宿禰(たちばなのすくね)姓を継ぐため、 臣籍に降下することを朝廷に願い出て、許されたので、 これに伴い、葛城王から橘宿禰諸兄(たちばなのすくねもろえ)と改名したのよ。 『宿禰(祢)』 (すくね)とは八つの姓(かばね)の中の3番目で、 諸兄も後の天平勝宝2年(750年)正月16日には2番目の 朝臣(あそん)の姓を賜り、これ以降、橘朝臣と称してるのよ。 今度は偉くなたんやね。橘ってみかんのこと? 「橘」 は、みかんの古名で、 『古事記』『日本書紀』 によれば、 垂仁天皇の命で夕ヂマモリが常世国からもたらした 「非時香このみ果」 で、 実や花よりも、樹全体が常に緑の常緑樹なので、 永遠の不老長寿と言うとても吉祥な意味を持っていたんやろうね。 そのため現在では文化勲章の勲章のデザインになってるわね。 最初は桜が考えられていたそうだけれど、昭和天皇が 「桜は散るところに価値があるが、 文化は永遠であるべき」 との意向で常緑樹の橘になったそうよ。 ああ~、それで、右近の橘、左近の桜と対になってるんやねんね。
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