言の葉花壇

何度聞いても美しい日本語に、今日もマナ女とカナ女がにぎやかに呟きます。ぜひお気に入りを見つけてください。

常葉の樹

2021年01月03日 | 万葉集
第 1009
◆ ◆ 冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
聖武天皇 ◆ ◆
     
万葉集 第六巻 より

::: 読み :::

たちばなは みさへはなさへ そのはさへ えにしもふれど いやとこはのき

::: 意訳 :::

橘は実まで花まで、その葉までも、枝に霜が降ってもますます栄える永遠に常緑の美しい木である

::: 付記 :::
右は、冬11月9日。
従三位・葛城王、従四位・上佐為王らが、皇族の高名を辞し、外家の姓を賜わることを言い伝えた。
時に、太上天皇(元正天皇)および皇后、ともに皇后宮において、肆宴(とよのあかり)をひらく。
即ち、橘を祝賀する歌を作り給える。
また、御酒を宿祢等に賜う。
或いは云わく、この歌1首は、太上天皇のお歌である。
ただ、天皇皇后のお歌各1首ありといえば、その歌は遺落しており探求するも未だ得ない。
今、案内を検すると、天平8年年11月9日、葛城王ら橘宿祢の姓を願って表を上り、 17日をもって、表の乞に依りて、橘宿祢を賜うという。

 天平8年(736年)聖武天皇橘諸兄(たちばなのもろえ)一族への祝賀に贈った時の御歌やね。 皇族だった葛城王は弟の佐為王と共に母の橘宿禰(たちばなのすくね)姓を継ぐため、 臣籍に降下することを朝廷に願い出て、許されたので、 これに伴い、葛城王から橘宿禰諸兄(たちばなのすくねもろえ)と改名したのよ。
『宿禰(祢)』 (すくね)とは八つの姓(かばね)の中の3番目で、 諸兄も後の天平勝宝2年(750年)正月16日には2番目の 朝臣(あそん)の姓を賜り、これ以降、橘朝臣と称してるのよ。 
 今度は偉くなたんやね。橘ってみかんのこと?
 「橘」 は、みかんの古名で、 『古事記』『日本書紀』 によれば、 垂仁天皇の命で夕ヂマモリが常世国からもたらした 「非時香このみ果」 で、 実や花よりも、樹全体が常に緑の常緑樹なので、 永遠の不老長寿と言うとても吉祥な意味を持っていたんやろうね。
そのため現在では文化勲章の勲章のデザインになってるわね。
最初は桜が考えられていたそうだけれど、昭和天皇「桜は散るところに価値があるが、 文化は永遠であるべき」 との意向で常緑樹の橘になったそうよ。
 ああ~、それで、右近の橘左近の桜と対になってるんやねんね。