山科疎水近くにある永興寺(ようこうじ)とその境内にある豊川稲荷社に3日お参りに行きました。
曹洞宗祖 永平寺開山した道元禅師は西暦千二百年、京都で生まれ、五十四歳の時、京都で亡くなりました。
その後、弟子の詮彗和尚が、永興庵と云う庵を結び、禅師の偉徳を広めようとしましたが、
新宗派の台頭を善しとしない比叡山徒の焼き討ちに遭い永興庵は京都市内各地を転々として、現在の山科疎水近くに
永興禅寺とその境内にある豊川稲荷社が建てられたとのことです。
新聞の初詣案内のチラシで、この寺や神社のことを知り行ってみることにしました。
三条通に案内の表示があり、ところどころに神社ののぼりがあるのでそれにそって
車で急坂を登っていきました。駐車場がわからないので、住宅地の道路は広いので
そこに駐車して疎水にむかいました!
こんな急坂を上ったとこまで住宅地が続いていました。この道路に車を止めて疎水をめざします!
案内ののぼりがあるのでこの道から疎水を目指します!
疎水が見えてきました! 橋を渡ります!
案内看板
階段を上ります!
永興禅寺
寺の隣に豊川稲荷社があります
豊川稲荷社
甘酒の無料接待がありました! 参拝客が少なく飲んでいってください!と声を掛けられました。
炭の入った火鉢が四個ありましたが、かこいないので寒い!
熱い甘酒は美味しかった!
変わった石で作った造形物があります!
写真を写していたら、30代くらいの住職さんが話かけてきて、この寺の由来や檀家のことなどを説明してくださいました
寺や神社の後ろは山です! お参りの方も急坂を上ってくるので少なかったです!
帰り、疎水の下の道に駐車が5台くらい止められるたぶんこの寺の、駐車場のようなスペースを見つけました!
車が止まっていましたが、檀家やこの寺をよく知っている人以外は見つけるのがむつかしそうです!
疎水のそばにあった看板 暖かくなったら山科駅から疎水に行き お寺をめぐって歩いてみたい!
曹洞宗祖 永平寺開山した道元禅師は西暦千二百年、京都で生まれ、五十四歳の時、京都で亡くなりました。
その後、弟子の詮彗和尚が、永興庵と云う庵を結び、禅師の偉徳を広めようとしましたが、
新宗派の台頭を善しとしない比叡山徒の焼き討ちに遭い永興庵は京都市内各地を転々として、現在の山科疎水近くに
永興禅寺とその境内にある豊川稲荷社が建てられたとのことです。
新聞の初詣案内のチラシで、この寺や神社のことを知り行ってみることにしました。
三条通に案内の表示があり、ところどころに神社ののぼりがあるのでそれにそって
車で急坂を登っていきました。駐車場がわからないので、住宅地の道路は広いので
そこに駐車して疎水にむかいました!
こんな急坂を上ったとこまで住宅地が続いていました。この道路に車を止めて疎水をめざします!
案内ののぼりがあるのでこの道から疎水を目指します!
疎水が見えてきました! 橋を渡ります!
案内看板
階段を上ります!
永興禅寺
寺の隣に豊川稲荷社があります
豊川稲荷社
甘酒の無料接待がありました! 参拝客が少なく飲んでいってください!と声を掛けられました。
炭の入った火鉢が四個ありましたが、かこいないので寒い!
熱い甘酒は美味しかった!
変わった石で作った造形物があります!
写真を写していたら、30代くらいの住職さんが話かけてきて、この寺の由来や檀家のことなどを説明してくださいました
寺や神社の後ろは山です! お参りの方も急坂を上ってくるので少なかったです!
帰り、疎水の下の道に駐車が5台くらい止められるたぶんこの寺の、駐車場のようなスペースを見つけました!
車が止まっていましたが、檀家やこの寺をよく知っている人以外は見つけるのがむつかしそうです!
疎水のそばにあった看板 暖かくなったら山科駅から疎水に行き お寺をめぐって歩いてみたい!