工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

西インド世界遺産、アジャンタ、エローラ石窟寺院を旅しての感想

2016年02月08日 | Weblog
2016年1月28日から30日まで西インド

世界遺産、アジャンタ、エローラ石窟を旅しての

感想は、旅した期間は3日間でしたが、槌とノミで作られた

石窟寺院は1つ作るのに最低50年を要したとのことで

その素晴らしさに、行って良かったと思いました。

旅した期間が短いのに、往復の飛行機の長さや時差に

帰ってから1週間は体調が悪く、習っている教室にはなんとか

行ましたが、プール通いはこの10日間はやめていました。

今のツアーでは、今回行った西インドに北インドやスリランカにも同時に行くツアーあるので

そちらの方が、往復の飛行機の時間が同時に行く事により、合理的かもしれません!

今回の15人の参加者全員は、2回目のインド旅行で、インドの混沌とした

雰囲気になれていました。

北インドよりも、世界中からの観光客が少なくて、地元の子供達の観光客が

多く、子供達から一緒に写真に入ってと言われたのが8回位もあり

観光づれしていません。

北インドに行った2年前に比べて、今回の西インドでは学校に行かず

昼から観光客相手にバスを降りた観光客にお土産を売りつける子供達がいなくて

大学も多く、インドが今教育に力を入れているのを、まじかに見て

インドは変わりつつあると感じました。

今回ツアに参加した方からうかがったのは、

北インドに行ったさいエアーインディアは関空の出発が10時間遅れで、

帰りのニューデリー発は10時間遅れたとのことでした!

その待ち時間はエアーインディアは空港近くのホテルを取ってくれて

無料でホテルで休めたとのことでした!

インド旅行するときのエアーインディアは送れるのが普通という

とんでもない航空会社なのです。

今回、国内便を含めて、1番長い遅れで1時間の遅れで乗れたのは,

奇跡なのかもしれない!



インドの砦




エローラ石窟寺院  子供達の観光客が多い


写真を撮ってと頼まれました!
北インドの時はサリー姿の女性を写真に撮ることは、連れの男性達に嫌がられましたので
場所が変わると違うものだと感じました!


エローラ石窟寺院


エローラ石窟寺院
子供達の修学旅行シーズンなのでしょうか? 子供が多い!


エローラ石窟寺院


ランチは、エローラ石窟寺院が遠望できる野外のレストランでしました!

世界遺産エローラ石窟群、カイラサナータ寺院は一枚岩を掘り下げて作られた!すごい!

2016年02月06日 | Weblog
エローラ石窟群は紀元後6世紀から10世紀にかけて

500年にわたり仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の僧侶たちが、

幅2キロの崖に僧院、礼拝堂、寺院を彫り上げました。

エローラには34の石窟があり、そのうち12が仏教窟、17がヒンドゥー窟、

5つがジャイナ教窟になっています。 エローラはアジャンタとは異なり、

石窟の存在が昔から知られていて、ジプシーが住まいにしたなどあり、

内部の壁画はほとんど残っていませんが、残っている彫刻が素晴らしい!

エローラ石窟の一番の見どころは、ちょうど真ん中にあるヒンドゥー教の第16窟、

カイラサナータ寺院です。高さは33mもあります。

カイラサナータ寺院は、岩盤を上から下に掘り下げて造った寺院です。

ですからカイラサナータ寺院には、石の継ぎ目がなく、全てが一つの岩からできているのです。

寺院の岩にはノミの跡がたくさん見られ、8世紀当時に僧侶たちがノミとツチだけで、

150年かけて造ったのです。ただすごいとしかいいようのない寺院でした。



世界遺産エローラ石窟群


世界遺産エローラ石窟群


世界遺産エローラ石窟群の内部




















にあるヒンドゥー教の第16窟、カイラサナータ寺院に入る入口。


カイラサナータ寺院は、全てが一つの岩からいて
、8世紀当時に僧侶たちがノミとツチだけで、150年かけて造ったのです。


崖にはのみのあとがあるとのこと!


中心が3階位の寺院になっています!


カイラサナータ寺院は、岩盤を上から下に掘り下げて造った寺院。






中心が3階位の寺院になっています!
全てが一つの岩からできて、ノミとツチだけで150年かけて造った
すごいとしか言いようがない!




像の彫刻


のみとつちでこれだけの空間を作ったのです










寺院の中に入りました!




カイラサナータ寺院の内部


タイの仏教の僧侶もたくさん来ていました




岩窟アパート・?と思ったのですが、この建物は勉強する大学だそうです








エローラには34の石窟があります




この石窟は僧院だそうです









インド、オーランガバードの「貧乏人のタージマハル」と言われているビービー・カー・マクバラを観光

2016年02月05日 | Weblog
オーランガバードの市内観光をしました。

ビービー・カー・マクバラー は、インドのオーランガーバードにある

ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの妃、ディルラース・バーヌー・ベーグムの廟墓です。

17世紀後半に息子のアーザム・シャーにより構築された。

この名前は、翻訳すると「婦人の墓(Tomb of the Lady)」の意味だが、

タージ・マハルとの類似のために「貧乏人のタージマハル」と言われているとのことです。









ビービー・カー・マクバラー の門


ビービー・カー・マクバラー はタージ・マハルとの類似のために
「貧乏人のタージマハル」と言われているとのことです




タージマハルの半分位の大きさか?


廟のなかにはお墓があり、お金や花が投げられていた


ビービー・カー・マクバラーの廟の内部


ビービー・カー・マクバラーの廟の内部


ビービー・カー・マクバラーの廟の内部


廟を1周する


廟から門を見る


ミナレット


ビービー・カー・マクバラーの廟


ビービー・カー・マクバラーの廟


ビービー・カー・マクバラーの廟の左にある建物


子供達が多い




花嫁と花婿とその家族がお参りに来ていた


城門がまだ残っている


城門の下は川が流れて橋が架かっていた


水流で粉を引く石の臼を動かす水車を見に行った!


モスリム


モスリム


モスリム


お土産屋さん! バックがほしかったのですが、買う時間がない!
参加したクラブツーリズムはツアー会社のなかでお土産などを
自由に買う時間を取らせなくて、現地のガイドの案内する
値段の高い店に連れて行く!という買い物の自由のない
ツアー会社なのが悩みです!

世界遺産アジャンタの石窟寺院はインド仏教美術の最高峰のすばらしさ

2016年02月04日 | Weblog
朝7時半にホテル出発してバスは2時間走り

世界遺産アジャンタの石窟寺院にいきました!

紀元前200年頃から紀元後650年頃の造営とされていますが、

仏教の衰退とともに1819年に「発見」されるまで1300年間忘れ去られていました。

そのため、時を越えた素晴らしい壁画そのままが残されています!



世界遺産アジャンタの石窟寺院
断崖を550Mにわたり断続的にくりぬいた、仏教石窟寺院


世界遺産アジャンタの石窟寺院






1819年、虎狩りに出かけた英国軍士官によって偶然発見されたアジャンタ。
インドの仏教遺跡には石彫遺跡が多いなか、アジャンタは膨大な壁画が残っています。
造営時期は前期(紀元前2世紀~紀元後2世紀)と後期(5世紀中頃~7世紀)に分かれ、
現存する素晴らしい壁画のほとんどは仏教美術が隆盛した6~7世紀に描かれたものです。
第1窟の蓮華手菩薩はアジャンタ最高傑作で、1949年に焼損した法隆寺金堂の勢至菩薩像
に影響を与えたといわれています。



壁面に牛糞や粘土、石灰を下地に塗り、アフガニスタンから持ち込まれたといわれる
ラピスラズリや黄土などの顔料で描かれています。
仏伝、本生譚を題材に描かれ、文字が読めない人への絵解き物語になっています。









550mも続く圧巻の世界遺産アジャンタの石窟寺院












仏塔のあるチャイティヤ窟
内部柱廊には壁画が描かれています。













ワゴーラ川の周囲には木々が生い茂り、かつてはベンガルトラの宝庫として知られていた。

1819年4月28日、トラ狩りに訪れたイギリス人士官ジョン・スミスは
森の中でトラに襲われて渓谷の断崖に身を伏せる。トラの気配がないことを確認し、
目を断崖に転ずるとそこには岩を彫り抜いた窓や石柱の数々があり、
三日月状の断崖には大小30もの石窟が口を開けていた。
失われてから約1300年、こうして、アジャンター石窟群の「発見」された。



見学するインドの子供達が多かった!










今来た道を振り返ってみる!






真ん中に仏塔がある!












涅槃像


ストゥーパがある!
ストゥーパはブッダ(釈迦)の遺骨=仏舎利(ぶっしゃり)を収めた仏塔のこと


回りは回廊にかこまれている


回廊の周りには彫刻








仏教史を伝える貴重な世界遺産のすばらしさに圧倒されました!


世界遺産エレファンタ島の石窟寺院は山の上にある!

2016年02月03日 | Weblog
エレファンタ島の石窟はヒンドゥー教の神シヴァを祀ったもので、

16世紀に発見したポルトガル人によって残念ながら石窟の多くが破壊されているそうです。

しかし、第一窟は破壊を免れており、シヴァの結婚や踊るシヴァの像、巨大な三面上半身像を

見ることができます。

踊ったり、結婚式を挙げたり、さまざまな表情を持つシヴァの彫刻を見ました。

また階段を下りて、船着場からムンバイに戻り、国内線の飛行機に乗り

ムンバイからオーランガバードに行きました!

ムンバイの飛行場で荷物検査してから、搭乗口で待って、

チケット見せて、搭乗する手前でさらに廊下で兵士8人によるボディチエックと

荷物検査があり、何事か?思いました!

2月はセキュリティの強化がされているとのことです!



エレファンタ島の石窟入り口
古代インドの神は自然の岩窟の奥深くから信者の前に姿を現すという
6世紀から8世紀頃の造営になるエレファンタ島の7つの石窟寺院は
ヒンドゥ教のこうした考え方とシヴァ神への帰依の心からつくられたとのことです。



エレファンタ島の石窟入り口


中は広い




エレファンタ島の石窟はヒンドゥー教の神シヴァを祀ったもので、
16世紀に発見したポルトガル人によって残念ながら石窟の多くが破壊されているそうです。














奥にも石窟寺院があります










ムンバイから国内線にのりオーランガバードに行きました!
ムンバイの街並み


オーランガバードのアンバサードホテルに2泊しました


オーランガバードのアンバサードホテルの敷地は広い


夕食の時に今回のツアーに参加した方女性が、購入したサリーをホテルの女性スタッフに
お礼して着付けてもらい、夕食の席にあらわれました!
サリー姿は美しい! 今もインドではサリー姿が見られます!


ホテル内レストラン


ホテル内レストラン


ホテル玄関


ホテル敷地庭園


ホテル敷地庭園


ホテルプール


ホテル内敷地


ホテル内敷地


ホテル裏


ホテルで夕食は2日間食べました


皆と食べる夕食は楽しいです!


セキュリティ厳しいインドのムンバイへ!

2016年02月02日 | Weblog
1月26日昼の13時25分に日本の関空を出発し

香港経由でニューデリーに到着し、国内線に乗り換えて

2時間5分乗り、ムンバイに到着後ホテルに到着したのは

深夜の3時前でした。日本時間では朝7時くらいの時間です。

ホテルで2時間位寝て、シャワーを浴びて朝6時起床で7時半出発という

ハードスケジュールでした。

ムンバイ市内を観光し、世界遺産のエレファンタ島にある石窟寺院

に向かいました。

港からおもちゃのような列車に乗って、山の上にある

石窟寺院まで、急な階段を120段上りました!




ムンバイのホテルの庭


ムンバイのホテルの朝食は庭のあるレストランで気持がよかった


ムンバイの英国の植民地時代のアパート


ムンバイの街


世界遺産 チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧ヴィクトリア・ターミナス駅)

インド最大の乗降客数を誇る現役の鉄道駅です、
ムンバイのコロニアル建築を代表する歴史的建造物として、
2004年にユネスコの世界遺産に登録された。
壮麗なヴィクトリアン・ゴシック様式の外観で設計したのは英国人の
F. W. スティーブンスで、10年をかけて1887年に完成。
時はヴィクトリア女王の治世だったので、駅名に「ヴィクトリア」の名が冠された。


世界遺産 駅


市役所


市役所


ヨットクラブの建物


タージ・マハル・ホテル Taj Mahal Hotel
インド門の前にある世界有数のホテル。インド最大の富豪といわれた
ジャムシェードジー・ターターが建てた。


インド門は湾に面して建つ巨大な門。
英国王(インド皇帝)ジョージ5世夫妻の来印を記念して、1911年に建立。
その後は英本国からの要人の来印歓迎会の式典会場となった


インド門


船から見たインド門




船から見たインド門とホテル




観光船とインド門


カモメが餌をやるので船についてきます


ムンバイの港


ムンバイの港


港が浅いのでタンカーは沖にある桟橋から石油を下し、パイプでムンバイに陸揚げするとのことです


タンカー


観光船の船内


エレファンタ島につき港からおもちゃのような列車に乗って
階段近くまで行きます


サルが散歩している


階段を上るとエレファンタ島の桟橋が見えました!
これだけ階段を上ってきたのです、