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巻き込み系ヴィーガンに見る変な奴の浸食っぷり

2022-07-11 00:00:00 | ワタリのエッセイ
ツイッターでヴィーガンの事が話題になっていたのを見て、あることを思い出しました。

ヴィーガンって元々宗教上の理由やアレルギー上の理由がなければ個人的な趣味だったと思います。
ワタリの記憶が正しければ当時とてもヴィーガンというのは大人しくて「ふーん」程度で済むことでした。

それどうして巻き込み系になっちゃったのかな?

スピも多分ゆくゆくはそうなるんでしょうけど、色々意識高い系の人が入り始めたら方向性が違う集団が現れるような気がします。
スピの場合はどこの国のかーで決定的に変わります。

一にも二にも本場は欧米ですけど、現代におけるメタ認知の訓練方法でしかないんですよ。
一瞬意識高い系の人がポコッと表れたんですけど、スピラーお得意の冷たい視線に耐えられなくて逃げ出したのをよく覚えています。

日本の場合は元々神道がありますから、その影響でスピリチュアルの精神は高次元寄りだと思っています。
清い空間にたたずみ植物の気配と溶け込む瞬間。
地元の風の音を聞いて安心する感覚。
そして、澄んだ水の先にある生き物の存在。

グラウディングどうのこうのなんて考えなくても自然界で息を吸い込み、その場にある音を聞けば多様性の本当の形が見えてきます。
ワタリは哺乳類と鳥類以外は苦手ですが、これらも本当の多様性を構築するパーツなのだという事は理解しています。
だから、自然界を楽しむために変な所にはいきません。

人間もこの自然の中で他の動物と同じように命を頂きながら生きていく存在。
本当の本当に「ごちそうさま」の精神と残さず頂く精神は重要だと感じています。

キリスト教圏だと人間はこの世の支配者です。
でも日本では人間は神様のお世話係で、自分の立場を自覚していないと怒られます。

もちろんワタリだって、日本の神様の御前ではひざを折りますしそうできることが当たり前。
しょせん、ワタリなんて毛色が珍しいシベリアンハスキーです。
ちやほやされていて頭に乗ればお仕置きを食らうのです。

さてさて意識高い系の人たちはどうスピに来てくれるのかな?

目撃できるか、死後魔界から見るかは知りませんが、ふわっと意識を飛ばして舞い上がるような感覚を楽しめる人は少数派なんでしょうね。



コメント
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