8月12日 (土曜日)
あまり大正時代の事が書かれたものがないので
気にはなっていた。
~~~~~~~~~~~~~~
百田尚樹氏が講演したものを見つけた。
《2月27日に国立京都国際会館(京都市左京区)で
行われた京都「正論」懇話会の第50回記念講演会。
百田尚樹氏の講演は後半、本屋大賞を受賞した日章丸事件を題材にした
「海賊とよばれた男」の話から大正という時代に焦点をあてて進む》

==================
★本を読まれた方は多いと思うので
自分のメモとして記す。
「イランの石油を買うな」
日章丸事件は1953(昭和28)年に起きた事件で、
この事件を全く知らなかったが、世界を驚かせた大事件です。
舞台は中東のイラン。当時のイランは世界の火薬庫だった。
なぜかというと、世界最大の石油埋蔵量の国だったが、
この石油はイラン国民ではなくてイギリス政府が株を持つ石油会社
「アングロ・イラニアン」が50年にわたって独占していた。
~~~~~~~~~
利益はイギリスが吸い上げ、イラン国民は何の恩恵も受けていなかった。
これはおかしいと、モサデクという骨のあるイランの首相が、
国内の石油施設の国営化に成功したんです。
イギリス政府はかんかんに怒って、イランを完全封鎖し、
世界に向けて「イランの石油はイギリスのものなので買ってはならない」と 声明を出す。
当時の大英帝国は今と比べものにならない強国でどこの国も逆らえない。
しかもアラビア海に軍艦を派遣して、海上封鎖する。
石油はタンカーでしか運べないので、イランは有り余る石油を持ちながら、
どこも買ってくれなかった。
~~~~~~~~~~~
さらにイランから石油を買おうとしたイタリアの石油会社の
タンカーをイギリスが拿捕するという事件も起きた。
イギリスは「今後イランの石油を積み出したタンカーにありとあらゆる手段をとる」と宣言。
これはものすごい恫喝で、いざとなれば拿捕だけでなく撃沈するぞと宣言したようなもの。
これは当時の日経新聞にも載りました。
これで、世界の国が一斉に腰が引け、イランと一切の交渉する国さえなかった。
イランを兵糧攻めにして国力が貧しくなって民衆の不満が爆発して政権が倒れるか、
あるいは政権がイギリスに謝罪するか。
いずれにしてもイランはまもなく崩壊するであろうというのがイギリスの読みだった。
英国に逆らった勇気あるイランを救え
で、日章丸事件が起きるのです。
主人公は当時日本でも中堅どころの石油会社「出光興産」。
これは当時68歳の出光佐三が25歳の時につくった出光商会という
小さな小売店がもとですが、佐三は重役の大反対を押し切ってイランの石油を買うという。
~~~~~~~~~~
イランは大英帝国に逆らい、世界の石油の80%をシェアしていた
7つの石油会社「セブンシスターズ」に逆らったら生きていけない時代だったのに、
ここにも逆らった。佐三は「イランは大英帝国、セブンシスターズに逆らった勇気ある国だ。
そして世界はこの勇気ある国を見捨てようとしている。
日本が助けないでどうするのか」といい、日章丸事件を計画し、
イランからの石油輸入に成功するんです。
死ぬかもしれないという考えられない状況の中で成功させた、
こんな奇跡のような事件が約60年前の日本に本当に起こったのか、
これを書くことによって自信を失っている日本人に勇気を与えたいと思った。
奇跡を成し遂げた侍たち
国交のないイランとの間で、この貿易を成功させるためのハードルの高さは、
自分で本を書きながら、自分で調べながら不可能だと思いました。
たとえば、海外貿易に必要なのはLC、信用状なんですね。
★レタークレジットというもので会社に居た時は良くも耳にした
また海外の工場に部品供給時には必要であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
この信用状を銀行が出してくれないと取引ができない。
出光が依頼した東京銀行も、営業部長が
「国交がないし、イランの石油は大英帝国が許していない。
日本政府も許さない。うちとしてもそういう国に対しても信用状は出せない」
と突っぱねる。
しかし、この営業部長は、
出光に「けれども信用状は非常にやっかいなもので、いくつか裏道がある。
こんな風にして、こんな風にやると、うちとしても出さざるを得ない。
出光さん、まさかそんなことしないだろうね」と言う。
出光は心の中で「ありがとう」と思いながらこれをやり、
銀行側もわかりながら信用状を出したんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
保険の問題もあります。拿捕、撃沈されれば大変な損害が出るから当然無保険では出せない。
出光は当時の東京海上火災で「保険を受けてくれ」という。
東京海上火災の担当者はすべてを聞いたあとで、それを受けるんですね。
社内でも議論をまねくが、「法的に何の問題もない、受けるべきだ」と
彼は頑として通したんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>「永遠の0」は大東亜戦争を日本のために戦って命を落とした男の物語。
「海賊とよばれた男」は戦後何もかもなくした日本を立て直した男たちの物語。
この2つの物語に出てきた男たちは、同じ男たちだった。
つまり、大正時代に生まれ、生きた男たちなんですね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大正時代の男たち
わずか15年しかない大正時代に生まれた男は1350万人ですが、
このうち約200万人が戦死します。
だいたい6・4人に1人が死んでいる計算です。
これほど悲惨な世代だった。
~~~~~~~~~~
物心ついたときからずっと日本は戦争で、
辛い暗い青春時代を過ごしたはず。
みなさん自分が20歳の時を思い起こしてほしい。
人生で最高の時だったはず。
~~~~~~
でも大正時代の男たちは人生の最高の時を、
地獄の戦場で過ごした。
そこで戦って、そして無事命を長らえて日本に戻ってきた。
そして、占領軍の報告書に、
「日本にはことごとく何もなくなった。
この国は、50年たって昭和
ありとあらゆるものが破壊された日本の復興に手を貸した。
日本人はどれだけ働いたのか
昭和20年の日本はあらゆる国の中で世界最貧だったと確信している。
ところがその国が復興するのに、50年かかっただろうか。
20年もかからなかった。
昭和39年に東京五輪を開き、
同じ年に時速200キロを超える高速鉄道を東京から大阪に通した。
その数年後には、GNPでイギリスを抜いて世界2位になった。
当時の日本人はどれだけ働いたのか。
どれだけ働いたらこれができるのか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これを立て直した男たちは誰なのか。
実は、戦争から帰ってきた男たちなんです。
彼らが死にものぐるいで働いて日本を復興させた。
この事実に気がついたときに大正世代の人たちの背中に手を合わせたくなる。
彼らは、明治以降最も不幸な世代です。
同時に最も偉大な世代です。
彼らを一言で言うと人のために生きた世代なんです。
すばらしい国に生まれ育った。
======================
私は60歳になりました。
本当に50年間、おもしろおかしく何も考えずに生きてきた。
60にもなると自分が恥ずかしくなるんです。
私はすばらしい国に生まれ育ったと思っているが、
この豊かな国に生まれて、豊かさの上にあぐらをかいて、
いろいろ楽しんで、
寿命が来たから死にましたとあの世に行ったら、
父たちに恥ずかしくて顔向けできない。
せっかくすばらしい国に生まれ育ったからには何らかの恩返しをして死にたい。
大正時代の偉大な彼らのような生き方はできないが、
何か少しでも社会に役に立つ仕事をしていきたい。
このすばらしい日本に豊かさを上乗せしたい。
もし、できないのなら残したまま次の若い世代に譲り渡していきたいと、
最近はそういうことを思いながら生きています。
==================================
★私の父も大正生まれだが、帰ってきてから私は生まれた
戦後の生活は酷かったが72年間も平和なんだ!
伯父も戦車乗りでガダルカナルに行く前に戻って
色々なことを小学高学年の時や中学時代に聞いた。
2.26事件の事や戦車を2台潰され命があったのが不思議だと
強烈なイメージの話を色々思い出す。
死が身近かにあった人たちが戦後頑張ってくれたんだ。
のうのう・・と生きていていいのか?と思いながらも・・
明日からのお盆にはしっかり手を合わせたい。
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あまり大正時代の事が書かれたものがないので
気にはなっていた。

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百田尚樹氏が講演したものを見つけた。

《2月27日に国立京都国際会館(京都市左京区)で
行われた京都「正論」懇話会の第50回記念講演会。
百田尚樹氏の講演は後半、本屋大賞を受賞した日章丸事件を題材にした
「海賊とよばれた男」の話から大正という時代に焦点をあてて進む》

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★本を読まれた方は多いと思うので
自分のメモとして記す。
「イランの石油を買うな」
日章丸事件は1953(昭和28)年に起きた事件で、
この事件を全く知らなかったが、世界を驚かせた大事件です。
舞台は中東のイラン。当時のイランは世界の火薬庫だった。
なぜかというと、世界最大の石油埋蔵量の国だったが、
この石油はイラン国民ではなくてイギリス政府が株を持つ石油会社
「アングロ・イラニアン」が50年にわたって独占していた。
~~~~~~~~~
利益はイギリスが吸い上げ、イラン国民は何の恩恵も受けていなかった。
これはおかしいと、モサデクという骨のあるイランの首相が、
国内の石油施設の国営化に成功したんです。
イギリス政府はかんかんに怒って、イランを完全封鎖し、
世界に向けて「イランの石油はイギリスのものなので買ってはならない」と 声明を出す。
当時の大英帝国は今と比べものにならない強国でどこの国も逆らえない。
しかもアラビア海に軍艦を派遣して、海上封鎖する。
石油はタンカーでしか運べないので、イランは有り余る石油を持ちながら、
どこも買ってくれなかった。
~~~~~~~~~~~
さらにイランから石油を買おうとしたイタリアの石油会社の
タンカーをイギリスが拿捕するという事件も起きた。
イギリスは「今後イランの石油を積み出したタンカーにありとあらゆる手段をとる」と宣言。
これはものすごい恫喝で、いざとなれば拿捕だけでなく撃沈するぞと宣言したようなもの。
これは当時の日経新聞にも載りました。
これで、世界の国が一斉に腰が引け、イランと一切の交渉する国さえなかった。
イランを兵糧攻めにして国力が貧しくなって民衆の不満が爆発して政権が倒れるか、
あるいは政権がイギリスに謝罪するか。
いずれにしてもイランはまもなく崩壊するであろうというのがイギリスの読みだった。
英国に逆らった勇気あるイランを救え
で、日章丸事件が起きるのです。
主人公は当時日本でも中堅どころの石油会社「出光興産」。
これは当時68歳の出光佐三が25歳の時につくった出光商会という
小さな小売店がもとですが、佐三は重役の大反対を押し切ってイランの石油を買うという。
~~~~~~~~~~
イランは大英帝国に逆らい、世界の石油の80%をシェアしていた
7つの石油会社「セブンシスターズ」に逆らったら生きていけない時代だったのに、
ここにも逆らった。佐三は「イランは大英帝国、セブンシスターズに逆らった勇気ある国だ。
そして世界はこの勇気ある国を見捨てようとしている。
日本が助けないでどうするのか」といい、日章丸事件を計画し、
イランからの石油輸入に成功するんです。
死ぬかもしれないという考えられない状況の中で成功させた、
こんな奇跡のような事件が約60年前の日本に本当に起こったのか、
これを書くことによって自信を失っている日本人に勇気を与えたいと思った。
奇跡を成し遂げた侍たち
国交のないイランとの間で、この貿易を成功させるためのハードルの高さは、
自分で本を書きながら、自分で調べながら不可能だと思いました。
たとえば、海外貿易に必要なのはLC、信用状なんですね。
★レタークレジットというもので会社に居た時は良くも耳にした
また海外の工場に部品供給時には必要であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
この信用状を銀行が出してくれないと取引ができない。
出光が依頼した東京銀行も、営業部長が
「国交がないし、イランの石油は大英帝国が許していない。
日本政府も許さない。うちとしてもそういう国に対しても信用状は出せない」
と突っぱねる。
しかし、この営業部長は、
出光に「けれども信用状は非常にやっかいなもので、いくつか裏道がある。
こんな風にして、こんな風にやると、うちとしても出さざるを得ない。
出光さん、まさかそんなことしないだろうね」と言う。
出光は心の中で「ありがとう」と思いながらこれをやり、
銀行側もわかりながら信用状を出したんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
保険の問題もあります。拿捕、撃沈されれば大変な損害が出るから当然無保険では出せない。
出光は当時の東京海上火災で「保険を受けてくれ」という。
東京海上火災の担当者はすべてを聞いたあとで、それを受けるんですね。
社内でも議論をまねくが、「法的に何の問題もない、受けるべきだ」と
彼は頑として通したんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>「永遠の0」は大東亜戦争を日本のために戦って命を落とした男の物語。
「海賊とよばれた男」は戦後何もかもなくした日本を立て直した男たちの物語。
この2つの物語に出てきた男たちは、同じ男たちだった。
つまり、大正時代に生まれ、生きた男たちなんですね。


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大正時代の男たち
わずか15年しかない大正時代に生まれた男は1350万人ですが、
このうち約200万人が戦死します。
だいたい6・4人に1人が死んでいる計算です。
これほど悲惨な世代だった。
~~~~~~~~~~
物心ついたときからずっと日本は戦争で、
辛い暗い青春時代を過ごしたはず。
みなさん自分が20歳の時を思い起こしてほしい。
人生で最高の時だったはず。
~~~~~~
でも大正時代の男たちは人生の最高の時を、
地獄の戦場で過ごした。
そこで戦って、そして無事命を長らえて日本に戻ってきた。
そして、占領軍の報告書に、
「日本にはことごとく何もなくなった。
この国は、50年たって昭和
ありとあらゆるものが破壊された日本の復興に手を貸した。
日本人はどれだけ働いたのか
昭和20年の日本はあらゆる国の中で世界最貧だったと確信している。
ところがその国が復興するのに、50年かかっただろうか。
20年もかからなかった。
昭和39年に東京五輪を開き、
同じ年に時速200キロを超える高速鉄道を東京から大阪に通した。
その数年後には、GNPでイギリスを抜いて世界2位になった。
当時の日本人はどれだけ働いたのか。
どれだけ働いたらこれができるのか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これを立て直した男たちは誰なのか。
実は、戦争から帰ってきた男たちなんです。
彼らが死にものぐるいで働いて日本を復興させた。
この事実に気がついたときに大正世代の人たちの背中に手を合わせたくなる。
彼らは、明治以降最も不幸な世代です。
同時に最も偉大な世代です。
彼らを一言で言うと人のために生きた世代なんです。
すばらしい国に生まれ育った。
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私は60歳になりました。
本当に50年間、おもしろおかしく何も考えずに生きてきた。
60にもなると自分が恥ずかしくなるんです。
私はすばらしい国に生まれ育ったと思っているが、
この豊かな国に生まれて、豊かさの上にあぐらをかいて、
いろいろ楽しんで、
寿命が来たから死にましたとあの世に行ったら、
父たちに恥ずかしくて顔向けできない。
せっかくすばらしい国に生まれ育ったからには何らかの恩返しをして死にたい。
大正時代の偉大な彼らのような生き方はできないが、
何か少しでも社会に役に立つ仕事をしていきたい。
このすばらしい日本に豊かさを上乗せしたい。
もし、できないのなら残したまま次の若い世代に譲り渡していきたいと、
最近はそういうことを思いながら生きています。
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★私の父も大正生まれだが、帰ってきてから私は生まれた
戦後の生活は酷かったが72年間も平和なんだ!
伯父も戦車乗りでガダルカナルに行く前に戻って
色々なことを小学高学年の時や中学時代に聞いた。
2.26事件の事や戦車を2台潰され命があったのが不思議だと
強烈なイメージの話を色々思い出す。
死が身近かにあった人たちが戦後頑張ってくれたんだ。
のうのう・・と生きていていいのか?と思いながらも・・
明日からのお盆にはしっかり手を合わせたい。
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