2月27日 (火曜日) 晴れ
史跡クラブの企画で”江戸東京たてもの園”に出かける。
今回参加者が39名。
江戸東京たてもの園は、東京都小金井市にある。
暖かくなって花粉も飛んでいる。
★江戸東京たてもの園は、失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を
移築保存し展示する目的で東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館。
東京都墨田区にある、東京都江戸東京博物館の分館である。
指定管理者制度により、公益財団法人東京都歴史文化財団が管理・運営を行なっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
前の広い広場は小金井公園で桜や梅の木が沢山あるので4月は見ごろかな!
公園から少し玉川上水の近辺に歩くが草木の枯れ枝で綺麗さはなかった。
~~~~~~~~~~~~~~
梅が少し咲き残っている。
”みつまた”の花も咲く。
~~~~~~~
公園に戻る。
たてもの園に入館。ボランティアガイドさんが丁寧に説明してくれる。
1時間ほどの見学の為3つの”たてもの”を中心に入館して、説明を受ける。
まずは”三井八郎右衛門”宅
由緒ある”たてもの”の一部分を移築して集まっている園だ。
庭も良い感じだ。
歴史を感じるには良い”たてもの”が並ぶ。
~~~~~~~~~~~~~~
前川邸 建築家の自宅。
~~~~~~~~
沢山の”たてもの”が移築されている。30棟程あるらしい。
3つ目は”高橋是清邸”だ。
絵が凄い!
レプリカらしいが自筆の
”不忘念”と書いてあるらしい。
==============
バス移動して1時間”打越の寿司屋:浜寿司店”で昼食。
久々に”うなぎ”をいただく!
~~~~~~~~~~~~~~~~
忙しく移動して 多摩御陵に・・
★武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)は、
東京都八王子市長房町にある皇室墓地。大正天皇陵・貞明 皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の
4陵が造営されている。
昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵(たまごりょう)と称しており、
現在でも通称として使 われている。
八王子八十八景のひとつ。宮内庁書陵部多摩陵墓監区事務所がある。
~~~~~~~~~
広い幅の道の小砂利を踏みしめて歩く。
~~~~~~~~~~~~
マンサクかな?
=====================
つづいて 八王子城址跡に・・
★八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、
関東の西に位置する軍事上の拠点であった。
標高445 m(比高約240 m)の深沢山(現在の城山)に築城された中世山城である。
深沢山は華厳菩薩妙行が延喜13年(913年)に山頂で修行した山で、
修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたとして延喜16年(916年)に
八王子権現を祀ったことから、八王子城と名付けられた。
縄張りは北浅川と南浅川に囲まれた東西約3 km、南北約2 - 3 kmの範囲に及び、
山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、
山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、
城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している
居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。
要害地区にはいくつもの砦を配し、それらを結ぶ連絡道の要所には深い堀切や竪堀、兵舎を建て るための曲輪などが造成されていた。
特に、居館地区の南側尾根にある太鼓曲輪は5つの深い堀切で区切られ、
南側を石垣で固めるなど、容易に尾根を越えられない構造となっていた。
城全体があまりに広大であったため、落城時には未完成であったと言う説もある。
概要の説明が6分ビデオで説明。
薬研堀の跡が・・
土塁はなかなか凄い、実際はこれより2m程高かったらしい。
本丸に向かう石積みの階段は埋もれていて発掘で
当時のままだという。
当時のままの石垣だ。
★なかなか幅広で一段が高い感じでこれでは甲冑を付けてはきついかな?
最も戦があると思ってつくった山城ではない様に思えるが・・。
むしろ絶大な勢力を見せつける北条のパフォーマンスではなかったか?
本丸のあった広いエリアだ。一気に焼けてしまったと言われている。
最後に御主殿の滝と言うらしいが、この時期は水は落ちていない。
==============
今回は結構歩いたなあ~!
熊谷について軽い夕食を班員の方ととって帰宅。
史跡クラブにふさわしい企画であった。幹事班に感謝。
史跡クラブの企画で”江戸東京たてもの園”に出かける。
今回参加者が39名。
江戸東京たてもの園は、東京都小金井市にある。
暖かくなって花粉も飛んでいる。
★江戸東京たてもの園は、失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を
移築保存し展示する目的で東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館。
東京都墨田区にある、東京都江戸東京博物館の分館である。
指定管理者制度により、公益財団法人東京都歴史文化財団が管理・運営を行なっている。
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前の広い広場は小金井公園で桜や梅の木が沢山あるので4月は見ごろかな!
公園から少し玉川上水の近辺に歩くが草木の枯れ枝で綺麗さはなかった。
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梅が少し咲き残っている。
”みつまた”の花も咲く。
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公園に戻る。
たてもの園に入館。ボランティアガイドさんが丁寧に説明してくれる。
1時間ほどの見学の為3つの”たてもの”を中心に入館して、説明を受ける。
まずは”三井八郎右衛門”宅
由緒ある”たてもの”の一部分を移築して集まっている園だ。
庭も良い感じだ。
歴史を感じるには良い”たてもの”が並ぶ。
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前川邸 建築家の自宅。
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沢山の”たてもの”が移築されている。30棟程あるらしい。
3つ目は”高橋是清邸”だ。
絵が凄い!
レプリカらしいが自筆の
”不忘念”と書いてあるらしい。
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バス移動して1時間”打越の寿司屋:浜寿司店”で昼食。
久々に”うなぎ”をいただく!
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忙しく移動して 多摩御陵に・・
★武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)は、
東京都八王子市長房町にある皇室墓地。大正天皇陵・貞明 皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の
4陵が造営されている。
昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵(たまごりょう)と称しており、
現在でも通称として使 われている。
八王子八十八景のひとつ。宮内庁書陵部多摩陵墓監区事務所がある。
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広い幅の道の小砂利を踏みしめて歩く。
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マンサクかな?
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つづいて 八王子城址跡に・・
★八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、
関東の西に位置する軍事上の拠点であった。
標高445 m(比高約240 m)の深沢山(現在の城山)に築城された中世山城である。
深沢山は華厳菩薩妙行が延喜13年(913年)に山頂で修行した山で、
修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたとして延喜16年(916年)に
八王子権現を祀ったことから、八王子城と名付けられた。
縄張りは北浅川と南浅川に囲まれた東西約3 km、南北約2 - 3 kmの範囲に及び、
山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、
山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、
城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している
居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。
要害地区にはいくつもの砦を配し、それらを結ぶ連絡道の要所には深い堀切や竪堀、兵舎を建て るための曲輪などが造成されていた。
特に、居館地区の南側尾根にある太鼓曲輪は5つの深い堀切で区切られ、
南側を石垣で固めるなど、容易に尾根を越えられない構造となっていた。
城全体があまりに広大であったため、落城時には未完成であったと言う説もある。
概要の説明が6分ビデオで説明。
薬研堀の跡が・・
土塁はなかなか凄い、実際はこれより2m程高かったらしい。
本丸に向かう石積みの階段は埋もれていて発掘で
当時のままだという。
当時のままの石垣だ。
★なかなか幅広で一段が高い感じでこれでは甲冑を付けてはきついかな?
最も戦があると思ってつくった山城ではない様に思えるが・・。
むしろ絶大な勢力を見せつける北条のパフォーマンスではなかったか?
本丸のあった広いエリアだ。一気に焼けてしまったと言われている。
最後に御主殿の滝と言うらしいが、この時期は水は落ちていない。
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今回は結構歩いたなあ~!
熊谷について軽い夕食を班員の方ととって帰宅。
史跡クラブにふさわしい企画であった。幹事班に感謝。