日本将棋連盟のプロ編入試験に挑戦していた瀬川昌司さんが、第5局の高野5段戦に勝って、対戦成績を3勝2敗とし、合格した。
【瀬川晶司さん- やっと終わってホッとしています。念願のプロ棋士になることができて、言葉では言えないくらい嬉しいです。また、自分の好きなことを一生の仕事に出来るのは幸せなことだと思います。】
瀬川昌司 '84 15歳で奨励会入会(6級) '96 8期目の三段リーグで負け越し、26歳の年齢制限により退会。翌年大学へ。'00 アマチュアとして参加した「銀河戦」でプロに7連勝。'01 NEC関連会社に就職。昨年の銀河戦で「久保8段」(A級)を破る。将棋衰退中(将棋人口は半減)なので、棋戦を主催する新聞社などが強く将棋連盟に進言。瀬川さんが入会嘆願書を出し、米長将棋連盟会長などの決断で「プロ入り試験」を受けた。
【参考】61年前に同様にプロ入りテストを受けた「花村元司」真剣師(賭け将棋指し)は5段(C1クラス)に編入された。瀬川さんより、2クラス上だ。後A級(名人挑戦者決定リーグ)常連となった。
将棋連盟は、考えが小さいよ(ケツの穴が小さいよ)。奨励会を年齢制限で追われた瀬川さんが、アマとして対プロ戦に7割以上の勝率を残し、各方面の働きかけで、やっと重い腰をあげたと思ったら、試験を課しその結果は「姥捨て山」的な「フリークラス」」とは残念だ。せめて「C2級」で迎えて欲しかったなあ。瀬川さんは、NEC関連企業のサラリーマンだ。恐らく収入が減る過酷な世界だ。順位戦を指さないので、いわば基本給はない。負ければ200万円(年収)程度だ。ただし、講演依頼は殺到するかも。
さて、C2級へ昇級(奨励会から進級する、最初のプロとしてのクラス)の過酷な条件とは。
1、参加棋戦+8勝、なおかつ勝率6割5分以上
2、30局以上の対局において、勝率が6割5分以上
3、年間対局数が「参加棋戦+1」*3以上あること
4、全棋士参加の棋戦において優勝、またはタイトル戦挑戦。
5、フリークラスに参加して10年、または60歳を迎えた年度の終了を持って定年とする。
こんな過酷な条件でも昇級を果たさねば、収入の面や10年の期間しかプロとして通用しない。(順位戦を差す棋士には定年はない。高齢者も多くいる。C2級で降格点3回か、転出(申告)でフリークラスとなる。
フリークラスは、順位戦(名人への登る最初のクラスがC2級)を差さないので、名人になれないし、年間10局程度は対戦が少ない。
【瀬川晶司さん- やっと終わってホッとしています。念願のプロ棋士になることができて、言葉では言えないくらい嬉しいです。また、自分の好きなことを一生の仕事に出来るのは幸せなことだと思います。】
瀬川昌司 '84 15歳で奨励会入会(6級) '96 8期目の三段リーグで負け越し、26歳の年齢制限により退会。翌年大学へ。'00 アマチュアとして参加した「銀河戦」でプロに7連勝。'01 NEC関連会社に就職。昨年の銀河戦で「久保8段」(A級)を破る。将棋衰退中(将棋人口は半減)なので、棋戦を主催する新聞社などが強く将棋連盟に進言。瀬川さんが入会嘆願書を出し、米長将棋連盟会長などの決断で「プロ入り試験」を受けた。
【参考】61年前に同様にプロ入りテストを受けた「花村元司」真剣師(賭け将棋指し)は5段(C1クラス)に編入された。瀬川さんより、2クラス上だ。後A級(名人挑戦者決定リーグ)常連となった。
将棋連盟は、考えが小さいよ(ケツの穴が小さいよ)。奨励会を年齢制限で追われた瀬川さんが、アマとして対プロ戦に7割以上の勝率を残し、各方面の働きかけで、やっと重い腰をあげたと思ったら、試験を課しその結果は「姥捨て山」的な「フリークラス」」とは残念だ。せめて「C2級」で迎えて欲しかったなあ。瀬川さんは、NEC関連企業のサラリーマンだ。恐らく収入が減る過酷な世界だ。順位戦を指さないので、いわば基本給はない。負ければ200万円(年収)程度だ。ただし、講演依頼は殺到するかも。
さて、C2級へ昇級(奨励会から進級する、最初のプロとしてのクラス)の過酷な条件とは。
1、参加棋戦+8勝、なおかつ勝率6割5分以上
2、30局以上の対局において、勝率が6割5分以上
3、年間対局数が「参加棋戦+1」*3以上あること
4、全棋士参加の棋戦において優勝、またはタイトル戦挑戦。
5、フリークラスに参加して10年、または60歳を迎えた年度の終了を持って定年とする。
こんな過酷な条件でも昇級を果たさねば、収入の面や10年の期間しかプロとして通用しない。(順位戦を差す棋士には定年はない。高齢者も多くいる。C2級で降格点3回か、転出(申告)でフリークラスとなる。
フリークラスは、順位戦(名人への登る最初のクラスがC2級)を差さないので、名人になれないし、年間10局程度は対戦が少ない。