ヴェニスの街中で、ロダリーゴーとイアーゴーが話していた。
Roderigo: 'Tush, never tell me; I take it much unkindly That thou, Iago, who hast my purse As if the strings were thine, shouldst know of this.' (ロダリーゴー:ええっ! 言うな。俺の懐をさんざん利用しておきながら、 イアーゴー、おまえは、こうなることを とうに知っていたんだからな、薄情な話だぜ)
舞台が始まったばかりだから、それぞれの立場、関係を速やかに明らかにする必要があるのだ。
この辺り、物語の導入の仕方は、さすがシェークスピアといったところでしょうか。
観客を、物語りに一気に引き込む力を感じる。
この辺り、物語の導入の仕方は、さすがシェークスピアといったところでしょうか。
観客を、物語りに一気に引き込む力を感じる。
ロダリーゴーとイアーゴーの関係は、犠牲者と犠牲を要求するもの。
イアーゴーは、何かの計画を着手しており、ロダリーゴーは、それに必要な資金を提供している。
そして、ロダリーゴーは、イアーゴーが何事かを隠していることに不満を抱いていた。
イアーゴーは、何かの計画を着手しており、ロダリーゴーは、それに必要な資金を提供している。
そして、ロダリーゴーは、イアーゴーが何事かを隠していることに不満を抱いていた。
Iago: 'Sblood, but you will not hrar me: If ever I did dream of such a matter, Abohor me.' (イアーゴー:とんでもないぜ。あんたは俺の言っていることを ちっとも聴こうとしないくせに。誓って、俺はそんなこと 夢にも知らなかったんだ)
二人の関係が、もう一つ明らかになる。
イアーゴーは、ロダリーゴーに軽口を叩ける立場であるということ。
この二人を結び付けているものが、第三者に対する二人の恨みであり、その第三者は、二人に対し優勢な立場であることを明らかにしているのだ。
イアーゴーは、ロダリーゴーに軽口を叩ける立場であるということ。
この二人を結び付けているものが、第三者に対する二人の恨みであり、その第三者は、二人に対し優勢な立場であることを明らかにしているのだ。
Roderigo: 'Thou told'st me thou didst hold him in thy hate. (ロダリーゴー:あんた、奴が憎いって言ってたじゃないか)
このあとに続くイアーゴーの言葉によって、その事実が知らせれる。
イアーゴーは将校であり、イアーゴーが「彼」と呼んでいるは、上官で、その人物は、副官に就きたいというイアーゴーの望みを裏切った。
そして、その裏切りに二つの理由から、イアーゴーの癇に障ったのだった。
第一に、自分が副官になるため、三人の身分高い人物から推薦を受けたのに、既に手遅れだったこと。
第二に、自分の代わりに副官に任命されたキャシオーという男は、イアーゴーの評価によれば、自分より遥かに劣る人物だったということだ。
第一に、自分が副官になるため、三人の身分高い人物から推薦を受けたのに、既に手遅れだったこと。
第二に、自分の代わりに副官に任命されたキャシオーという男は、イアーゴーの評価によれば、自分より遥かに劣る人物だったということだ。
イアーゴーは、この屈辱を胸にたぎらせて、恥も外聞もなく恨みをぶちまける。
そして、いつか復讐するために、今は旗手の地位に甘んじているのだと告白するのだった。
そして、いつか復讐するために、今は旗手の地位に甘んじているのだと告白するのだった。
嫌だね~、 男の嫉妬ってやつは!!
そして、復讐の機会を待つための、自分の猫かぶりを自慢するのだった。
では、ロダリーゴーの恨みは、何であるのか。
それは、自分が好きでいる女を、その彼が妻にしてしまい、見事、駆け落ちをして、ロダリーゴーを出し抜いたからであった。
'For when my outward action demonstrate The native act and figure of my heart In compliment extern, 'tis not long after But Iwill wear my heart upon my sleeve For daws to peck at: I am not what I am.' (この俺の胸のうちを 身振り手振り表に出すようなことをしたら、 それこそ大変。この心臓を 袖にぶら下げ、カラスに突っつかせた方がいい。 俺様は見かけとは違うんだ)
では、ロダリーゴーの恨みは、何であるのか。
それは、自分が好きでいる女を、その彼が妻にしてしまい、見事、駆け落ちをして、ロダリーゴーを出し抜いたからであった。
しかし、嫉妬とは、恐ろしい。
アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」の中で、嫉妬について、こう述べている。
「嫉妬とは、本人があずかり知らぬところで生まれ育ち、大きくなる。厄介ですな。そして本人は全く何も悪くないのですから」、全くその通りですね。
アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」の中で、嫉妬について、こう述べている。
「嫉妬とは、本人があずかり知らぬところで生まれ育ち、大きくなる。厄介ですな。そして本人は全く何も悪くないのですから」、全くその通りですね。
そして傷つけられた二人は、駆け落ちのことを知らせることと、そのあとを追わせるために、女の父親の元へ向かっているところだった。
二人は、眠っている女の父親を、激しく騒いで叩き起こす。
この作品「オセロー」は、イアーゴーの下品な毒舌ぶりが遺憾なく発揮されるところが見物なのだ。