くろじいの独り言

ハイアットライフタイムグローバリスト日記
   World of Hyatt Lifetime Globalist

食い道楽IN長野 その2

2007-08-09 | イタリアン
さて今回の長野行きの最大の目的は
エンリコ・デルフリンガーの野尻湖プリンスディナー!


渋谷にもお店があるのだが、今年の秋銀座にアルマーニリストランテをオープンさせる。
彼の経歴がまたすごい


1985年 SCHOLTESHOF (Chef. Roger Souvereyns) ミシュラン2ツ星
1985年 Boyer:Les Crayeres ミシュラン3ツ星
1986年 JOEL ROBUCHON (Chef. Joel Robuchon) ミシュラン3ツ星 等 を経て1987年~1990年、歴代最年少で英国王室の総料理長として3年間務める。
任期中に英国王室公式晩餐会オリジナルメニューを約200創作し、その全ての版権を持つ。

1990年 ダイアナ妃&チャールズ皇太子専属シェフとして、ケンジントン・パレスの総料理長に就任。

1991年、米国ワシントン・ホワイトハウス総料理長に就任。ジョージ・ブッシュ(父)大統領任期中、ホワイトハウス総料理長として2年間活躍。

1992年~1997年、世界各地の名門ホテル・レストランの総料理長として迎えられる。
1997年~2001年、アリタリア航空のエグゼクティヴ・シェフとしてファーストクラス/ビジネスクラスの機内食メニューを担当。ローマ法王特別メニューも担当。

1994年~2003年、ローマの名門ホテル・エデンの総料理長。任期中、ホテルのメインレストラン=「ラ・テラッツァ」がミシェランの星任定を受けた他、ミシェラン《ベスト・レストラン・オブ・ザ・イヤー賞》を95年、96年、97年、99年、2001年に連続して受賞。

2003年、ヨーロッパの高級リゾート、スイスのサン・モリッツの名門、パレスホテルの総料理長に2年前に就任。欧州各国の国家元首を初めとした国際的なセレブリティーが名を連ねるヨーロッパの名門クラブ「チェザ・べリエ」のダイニングを初め、ホテルに属する10のレストランのメニューを全て担当。1500㎡の広大な厨房で135人の調理スタッフを統率する。
・現在に至るその華麗な経歴から、ヨーロッパ「食の世界」で今最も話題を集め、世界的に注目されているイタリアン人シェフ。後進の育成にも力を注ぎ、現在までに約230人のシェフを育成。後進らはそれぞれ世界中の有名ホテルでシェフを務める。


とまぁ数え上げたらきりがない 野尻湖プリンスでは8月いっぱい彼プロデュースのランチ&ディナーを食べさせてくれる。そして最初の3日間だけエンリコ氏本人が自ら野尻湖プリンスまで来てディナーを作るというんだ
こりゃ~行ってみるしかないでしょ

俺たちが行ったのが3日目の最終日 チェックイン時に「夕食は遅めにして欲しい」と我が儘を言う(おやきでお腹がいっぱい) この時厨房に電話していたが、本人の確認をとっていたのは後から知った


最初に出されたのはトマトのカプチーノ


天然真鯛のマリネ風柑橘風味 ウイキョウとアスパラガスのサラダ添え


アサリとブロッコリーのオレキエッテにんにく風味のパン粉かけ


車エビとズッキーニのフレッシュタリオリーニ
サフラン風味
(ストロボ使いたくなかったんだけど思ったより暗くてさ~)



スズキのレモンソテー
レモンとパンテレリーア産ケイパー



牛フィレのソテー ポテトムースとエシャロット添え黒トリュフがけ


クレーマー・ディ・レモーネ


ティラミス


チョコレートのマットネッラ
(これはダイアナ妃お気に入りの一品だったそうな)



エスプレッソ&お菓子



最初 行ってみないか?の俺の誘いに
「え~?権威や経歴って味に比例するのぉ~?」と相方
食べ終わって2人の結論 完全に比例してる!
今まで食べた正統派イタリアン?では、かつて銀座にトレコローネというリストランテがあって、俺の中ではそこが最高だった
勝るとも劣らないと二人で絶賛、特に今回はかなりの低価格で提供してるので、エンリコ氏も妥協しなければならない部分もあったんではなかろうか?
それでいてこの味は流石だな~と思う

二人でしみじみ話していたんだが、ほんの数年一つの所に勤めて即独立 オーナーシェフだと言って店を開く奴が多すぎる 基本が出来ていないというのだろうか?
噂で人が集まって・・・という書き込みを見て行ってみると大した事無い店ばかり
そんな店に限って値段だけは一人前だったりする

やっぱり一流と言われる物にはそれなりの理由があるんだよね
滅多に褒めない相方が言うのだからこれは一理ある
もう無駄飯喰うのやめようと二人で反省しきり

遅いディナーをお願いしたので俺たちが最後になった、食べ終わる頃エンリコ氏本人が通訳付きで挨拶に来てくれた イタリア語なんてボーノしかわからないし
彼はコモ湖という高級リゾート地で産まれ育ったらしい
最後に写真を撮って握手したその手は火傷だらけだった




その後ワインを飲み干し酔っぱらって部屋に帰る途中、ジャケットに着替え足早に歩くエンリコ氏と笑いながらすれ違った
最終日の俺たちが食べ終わるのを見届けて東京に帰ったんだろうな

ありがとう ごちそうさまでした