ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

気負わず、気取らず、ありのまま。
ゆるりと思ったことを書いていってます。
お気に召したらうれしい限り。

嵐の活動休止について思うこと

2019年01月30日 23時24分16秒 | Weblog
こんばんは、ジニーです。


先日、嵐が2020年をもって活動を休止することを発表しました。
突然のニュースに、全国震撼しました。
あらゆる情報番組でこのニュースを取り上げました。


僕もビックリです。
彼らの中の良さはテレビから伝わってきていたし、
嵐というグループそのものを愛していることも伝わっていたので。


ただ、それでも一人の人間です。
一度きりの人生、後悔しないように生きなくてはいけません。

ある人から見れば、芸能人として成功しておきながら贅沢だと感じるでしょうが、
彼らには彼らなりの贅沢があるということですよね。



今年で結成20周年。
その矢先での活動休止。
会見も5人そろって行われました。

とても好感をもてる会見でした。

ひとり一人が、しっかりとコメントしていたし、
なにより彼らが(活動休止を行う前提で)最善だと考えた誠意をしっかりと
見せていたと感じます。


およそ2年に及ぶ活動の中で感謝の気持ちを言葉とパフォーマンスで表していく、
それをもって無責任などうか判断いただきたい。

といった言葉を桜井君がコメントしています。


これ以上ない言葉だと思います。



活動休止を宣言した以上、ファンは悲しむものです。
先の見えないトンネルをただあてもなく歩くことになるわけです。
くじけたくなる人や、離れる人もいるでしょう。
それでも、嵐と出会ってくれた、嵐を愛してくれた方々へ
時間を設定し、感謝を伝えていくわけです。
これを誠意と言わず、何を誠意と呼ぶのか。



僕は活動休止への耐性がついています。
チャゲアスもこれまでに幾度か活動休止をしており
現在も活動を休止しています。
特に今回の活動休止は、再始動のあても正直ありません。

それでも、悲観はしていないのです。
いつか来るだろうと、僕自身が信じてるから。
その日はきっと来ないかもしれません、でもね、
信じている限り希望は死なないのです。




悲しみは消えません。
傷跡も残ります。

それでも、信じることがすべてなのです。
信じたいと思えるのであれば、彼らが戻ってくるその日を、
彼ら以上に信じることが、ファンとしての一つの姿勢なのではないかと感じます。
桜井君は言葉で表現していますが、「活動休止」としたことは
再始動を前提としたものだと、メンバーの意思表示だと感じるのです。




そばにあったものが、遠くいいく感覚。
寂しいのは当たり前です。
これまで彼らからもらった喜びや笑顔と一緒にそういった悲しみも受け入れましょう。
彼らの曲の言葉を借りるのであれば、「きっと大丈夫」だから。




一つのグループを愛する同じ立場にあるものとして、
そう感じるのです。
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秦建日子 『推理小説』 読了

2019年01月30日 22時55分59秒 | 読書
こんばんは、ジニーです。


1月の3冊目、秦建日子さんの「推理小説」読了しました。


読んでから気づいたのですが、これドラマ「アンフェア」の原作なんですね。
ん、正しくはノベライズ?

タイトルに惹かれて買ったのですが、ビックリでした。


内容は、同日に起こったとある殺人事件の捜査中に、その犯行の様子を忠実に
記録したかのような推理小説が警察やマスコミに送られてきます。
果たしてこの小説の送り主は誰なのか?
接点を持たない殺人が連続する中、刑事雪平は少しずつ真相に近づいていく・・・。
というものです。

キーワードは「アンフェア」。
同日発生の二つの殺人事件は、同じ場所で時間差で行われたものだったのですが、
その犯行現場には「アンフェアなのは、誰か?」という栞が置いていかれます。
その後の殺人にも同様の栞が発見されるなど、関連性のない殺人に関連性を
持たせるキーワードが都度置いていかれるのです。

さらには、犯行をなぞったように書かれた推理小説は
上中下巻に分かれており、最後の殺人を止めるために、その続きを高額で
落札せよとの犯行声明も出されるわけです。



読み進むうちに、犯人の言う「アンフェア」が何を指しているのかが
見えてくるのですが、それは読んでみて確かめてください。


個人的には、ちょっと琴線には触れなかったかな。
確かに言うこともわかるけど、犯人の憤る「アンフェア」は僕には理解できないものだったし
それを犯人自身が理解を求めていないところにも、自己陶酔の極みを感じてしまい
興味のない講釈を聴いているような何とも言えない気持ちになりました。

ただ、感じるのは現代社会ならではの犯人像だなというところ。
俗にいう「サイコパス」が殺人鬼として覚醒する、全く衝撃のないスイッチ。
日常の中のほんの些細なほころびで、いとも簡単に殺人鬼へ変貌する様子は
怖さと同時に共感を感じるところもあり、一種の警鐘のようにも感じました。


読んでみてなお僕は「アンフェア」でいいと感じます。
みなさんはどうでしょうか?


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