薫風緑樹をわたる好日となる4月27日。
黒川院歴代座主慰霊祭が英彦山神宮より宮司高千穂様をはじめ、
神官の皆様がお越し頂き
地域の代表の皆さんで構成された黒川協議会を中心に、
小中学校の校長先生をはじめ、たくさんの参列を賜り、
皆さんと共に共星の里の代表の尾藤と柳が参列し、
まだまだ復旧、復興中の続く黒川ですが、
脈々と続く黒川院の1代から14代のの歴代座主の慰霊祭を厳正に粛々と
藤の花が見事に咲き、薫風が吹く中で
今年もつつがなく斎行されました。
その後、
直会の会場となる共星の里へお越し頂けました。
昨日から仕込みを手伝ってくれた、よしえちゃんや、智子ちゃん。
わざわざ「手伝うよ☆」とお電話を頂き、
早朝からのお手伝いを頂いた皆さんのお陰で
スタンバイOK!おかげ様で70人分のお料理が完成致しました。
英彦山神宮さまより上がったお神酒を、集まった皆さんで「頂きます」とご発声があり、
神事の後、神前にささげた神酒を頂き
直会とは
一般には、神事終了後の宴会(打ち上げ)とされるが、本来は神事を構成する行事の一つである。神霊が召し上がったものを頂くことにより、神霊との結びつきを強くし、神霊の力を分けてもらい、その加護を期待する。本居宣長は斎戒を解くこと(解斎)の意としたが、古くからの祭式では祭典の前儀や本儀で行われる例もあり、解斎のみを意味すると解するのは誤りである
神社から餅などを頂く場合にいう直らうも似た意味の言葉である。
神社本庁が定める「神社祭式」では、どの祭式・祭祀でも必ず直会を行うとし、その具体的な作法も定めている。なお祭祀によっては故実による独自の作法が伝わっているものもあり、この場合はそれに従うものとされている。
季節の野菜・魚介類などが神饌として供えられた場合は、それらを調理した物が出される場合が多い。このため、神社によっては直会での料理は郷土料理と同一の場合がある。
宗教行事において,神前にささげた食物や神酒を行事に参加した者どうしで共同飲食をして,神人共食をすることにより,神とのコミュニケーションをはかることも,原始宗教ではよくおこなわれた。日本の祭りにおける直会(なおらい)ともある。
料理の説明をして欲しいと急に言われた私ですが、
皆様の前で、歴代座主の慰霊祭に際し、この地で生まれ、育った私が、直会を母校であるこの旧黒川小学校で
しかも担当させて頂くことのありがたさを噛みしめ、
廃校になっても、災害にあっても、ここで皆さんと共におまつりができることの縁を大切に
山の幸、海の幸のめぐみをいただき、
弥栄えを祈り、
心を込めて作らせて頂きましたとご挨拶致しました。
皆さん、ほっとしたお顔で
久しぶりに地域の方々の笑みがこの旧講堂に戻り、新しい顔ぶれもうれしいことにありました。
英彦山神宮の宮司高千穂さまご一行さまもご満悦で、本当にうれしいひと時でした。
この日は美術館も参列者の方々には無料開放で見学して頂き、
ジョナサン・ボロフスキーの展覧会をご覧いただき、
ジョナサン・ボロフスキーの作詞・作曲・歌唱の歌詞カードを皆様にお渡し致しました。
生きていることが素晴らしい(日本語訳)
勝つ者がいれば、負ける者もいる
いつの時代も同じだ
途中で真っ二つに分かれる。これが人生の謎の一つだ
緊張感は、時にたえられなくなることがある
半分の人々は幸せで、半分の人々は哀しんでいる
半分の人々は善良で、半分の人々は堕落している
鼓動は高鳴り、そして落ちていく
潮は満ち、そして引いてゆく
何が答えなんだ。何が肝心なんだ。
最善に生きるための、人生の疑問だ
意識によると、すべては一つだという
そして、これが、今、始まったと感じている
良いとか悪いとかを超えて
勝つとか負けるとかを超えて
弱さとか強さとかを超えて
粗野だとか洗練されているとかを超えて
生きていることが素晴らしい
生きていることが素晴らしい
生きていることが素晴らしい
生きていことは、なんと素晴らしい
このジョナサン・ボロフスキーのメッセージ、
帰り際に
It's Amazing to be Alive !!と大きなお声でお車からお声を頂き
感動致しました。
宗教をも、アートも超えて、見える世界
シンプルに
生きていることが素晴らしい!!
先の災害で実家をなくされ、大切な思い出が残る帰る家も無い。
また、立ち入り禁止区域に指定され、戻るに戻れない。
まして、この地を災害前に去って、お墓参りもご先祖さまとの再会もままならなくなってしまった…。
当たり前の日常が無くなった時ほど、何気ない日常の大切さがわかるものだ。
地域にとって、「生活文化・風土」これこそが一番のそこに流れる魂の源。
日々の祭り行事が行われ、自分たちの生まれ育った黒川の地場のエネルギーを
受け継ぎ、また伝えることの大切さは、ここに生きる者としての使命ともいえるし
少しでもその役割ができればありがたいと私はおもう。
そしてここを訪れる方々が、この黒川を好きになってもらえ、
ここに来ると何故か元気になるし、ホッとすると言ってもらえように。
この今、今を心に留め、アートの力を復興のエネルギーかえて
この共星の里にあかりを灯し続け、頑張って行こうと思える機会をまたひとつ与えてもらいました。
ありがたい思いでいっぱいです。
最後になりましたが、皆さんのお陰でお受けした直会を無事に終えることができました。
全ての関係者の方々、ボランティアの皆さんに心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
合掌
黒川院歴代座主慰霊祭が英彦山神宮より宮司高千穂様をはじめ、
神官の皆様がお越し頂き
地域の代表の皆さんで構成された黒川協議会を中心に、
小中学校の校長先生をはじめ、たくさんの参列を賜り、
皆さんと共に共星の里の代表の尾藤と柳が参列し、
まだまだ復旧、復興中の続く黒川ですが、
脈々と続く黒川院の1代から14代のの歴代座主の慰霊祭を厳正に粛々と
藤の花が見事に咲き、薫風が吹く中で
今年もつつがなく斎行されました。
その後、
直会の会場となる共星の里へお越し頂けました。
昨日から仕込みを手伝ってくれた、よしえちゃんや、智子ちゃん。
わざわざ「手伝うよ☆」とお電話を頂き、
早朝からのお手伝いを頂いた皆さんのお陰で
スタンバイOK!おかげ様で70人分のお料理が完成致しました。
英彦山神宮さまより上がったお神酒を、集まった皆さんで「頂きます」とご発声があり、
神事の後、神前にささげた神酒を頂き
直会とは
一般には、神事終了後の宴会(打ち上げ)とされるが、本来は神事を構成する行事の一つである。神霊が召し上がったものを頂くことにより、神霊との結びつきを強くし、神霊の力を分けてもらい、その加護を期待する。本居宣長は斎戒を解くこと(解斎)の意としたが、古くからの祭式では祭典の前儀や本儀で行われる例もあり、解斎のみを意味すると解するのは誤りである
神社から餅などを頂く場合にいう直らうも似た意味の言葉である。
神社本庁が定める「神社祭式」では、どの祭式・祭祀でも必ず直会を行うとし、その具体的な作法も定めている。なお祭祀によっては故実による独自の作法が伝わっているものもあり、この場合はそれに従うものとされている。
季節の野菜・魚介類などが神饌として供えられた場合は、それらを調理した物が出される場合が多い。このため、神社によっては直会での料理は郷土料理と同一の場合がある。
宗教行事において,神前にささげた食物や神酒を行事に参加した者どうしで共同飲食をして,神人共食をすることにより,神とのコミュニケーションをはかることも,原始宗教ではよくおこなわれた。日本の祭りにおける直会(なおらい)ともある。
料理の説明をして欲しいと急に言われた私ですが、
皆様の前で、歴代座主の慰霊祭に際し、この地で生まれ、育った私が、直会を母校であるこの旧黒川小学校で
しかも担当させて頂くことのありがたさを噛みしめ、
廃校になっても、災害にあっても、ここで皆さんと共におまつりができることの縁を大切に
山の幸、海の幸のめぐみをいただき、
弥栄えを祈り、
心を込めて作らせて頂きましたとご挨拶致しました。
皆さん、ほっとしたお顔で
久しぶりに地域の方々の笑みがこの旧講堂に戻り、新しい顔ぶれもうれしいことにありました。
英彦山神宮の宮司高千穂さまご一行さまもご満悦で、本当にうれしいひと時でした。
この日は美術館も参列者の方々には無料開放で見学して頂き、
ジョナサン・ボロフスキーの展覧会をご覧いただき、
ジョナサン・ボロフスキーの作詞・作曲・歌唱の歌詞カードを皆様にお渡し致しました。
生きていることが素晴らしい(日本語訳)
勝つ者がいれば、負ける者もいる
いつの時代も同じだ
途中で真っ二つに分かれる。これが人生の謎の一つだ
緊張感は、時にたえられなくなることがある
半分の人々は幸せで、半分の人々は哀しんでいる
半分の人々は善良で、半分の人々は堕落している
鼓動は高鳴り、そして落ちていく
潮は満ち、そして引いてゆく
何が答えなんだ。何が肝心なんだ。
最善に生きるための、人生の疑問だ
意識によると、すべては一つだという
そして、これが、今、始まったと感じている
良いとか悪いとかを超えて
勝つとか負けるとかを超えて
弱さとか強さとかを超えて
粗野だとか洗練されているとかを超えて
生きていることが素晴らしい
生きていることが素晴らしい
生きていることが素晴らしい
生きていことは、なんと素晴らしい
このジョナサン・ボロフスキーのメッセージ、
帰り際に
It's Amazing to be Alive !!と大きなお声でお車からお声を頂き
感動致しました。
宗教をも、アートも超えて、見える世界
シンプルに
生きていることが素晴らしい!!
先の災害で実家をなくされ、大切な思い出が残る帰る家も無い。
また、立ち入り禁止区域に指定され、戻るに戻れない。
まして、この地を災害前に去って、お墓参りもご先祖さまとの再会もままならなくなってしまった…。
当たり前の日常が無くなった時ほど、何気ない日常の大切さがわかるものだ。
地域にとって、「生活文化・風土」これこそが一番のそこに流れる魂の源。
日々の祭り行事が行われ、自分たちの生まれ育った黒川の地場のエネルギーを
受け継ぎ、また伝えることの大切さは、ここに生きる者としての使命ともいえるし
少しでもその役割ができればありがたいと私はおもう。
そしてここを訪れる方々が、この黒川を好きになってもらえ、
ここに来ると何故か元気になるし、ホッとすると言ってもらえように。
この今、今を心に留め、アートの力を復興のエネルギーかえて
この共星の里にあかりを灯し続け、頑張って行こうと思える機会をまたひとつ与えてもらいました。
ありがたい思いでいっぱいです。
最後になりましたが、皆さんのお陰でお受けした直会を無事に終えることができました。
全ての関係者の方々、ボランティアの皆さんに心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
合掌
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