誰にでも、守るべきものはあるだろうし、守りたいものもあるだろう。それらはみな、「大切なもの」達なんだろうと思う。
「大切なもの」、それは必ずしも「1個」ではなく、「複数」存在する事もある。なかなか全てを「守る」事は出来ないが、守りたいという意識は潜在的にある。 悲しいことは、守りきれなかった事もあるが、「守る前に‘‘手に入らない,,」事と「守ることで弊害を及ぼす」事そして「守る為に、引き下がる」事もある。守る事で不幸を与えてしまう事。
私は抱えた大切な物をいつまで、守れるだろう。そんなに多く持っている訳じゃないからこそ、大切度は上がる。けれど、予期しない所で壊してしまったり、手放してしまったりして守りきれない事がある。勿論、作為的なものだってあるしあった。抱きしめている事に疲れる事もある。 今、どことなく、守っているもの達が崩れるんじゃないか、という気がしている。すべては思うほど、うまくはいかないみたいだ…と、歌でも歌われているが、その様だ。
何を言っても言い訳に聞こえるのは解っている。だが、そうでもしないとならない気がするのだ。恐ろしい程に、作用し、弊害と副作用をもたらす「過剰な自己弁護」により…。