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トレイントーク0105-1 777H2009年初列車!

2009年01月05日 07時22分16秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
恒例の、幸運・好運・開運列車、“777H”。新年明けて、1発目は、それにふさわしく、第1編成にあたる601編成でやって来た。
ありふれた京急の車両ではあるが、777Hというパワーを我々頂ければ幸である。どうか力を!m(__)m
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Mind Feeling0105-1 Morning on MONDAY

2009年01月05日 07時11分47秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「えーっ、只今より、2009年1月5日、仕事始めの日、涼風鈴子が、“Morning on”をお送り致します…(ゴングの鐘を打つ、カンカンカンという音が入る)…はい、カット~、と言うことで、場内アナウンスの物真似はこの位にしまして、いや~、気が重たい朝だねぇー。朝番組やるDJの台詞では、放送禁止用語になりますが、ホントに嫌な朝だね。ブルーマンデーだけじゃ物足らなくて、UNHAPPY AND HEAVY BLUE MONDAYだね。まだスタジオの窓の向こうは、薄暗いですし、こんな時間から2週間前の調子を取り戻そうなんて、無茶だよね。もう少し考えろよカレンダー!、朝から叫んで居ますけれど、顔を両手で被ってしばらく何も考えたくないですね。思いつくのは、悪い事ばかりですね。いやいや、恐ろしい恐ろしい。暴言吐くあたしはもっと恐ろしいですが、結局、暦だけ変わっただけで、心機一転なんて7割くらい美辞麗句なんじゃねー?ですが、来る人にだけやって来る「一転」。あたしには来なかったね。何?そりゃお前の日頃の行いが悪いからだろ
うって?良~い勘してるわねぇー、座布団1枚。まっでもね、人間そー多く誰しもが毎日、良い行いしてるとは思えないよ。いやマジでさ。時には、素行の悪い事や誹謗中傷噂話するでしょーよ。全くしないなんて有り得ないですよ。ホント。戒めの言葉なんでしょうが、まぁ4の5の言っても時間は戻っちゃくれないので、前に進むより他ありませんが、マイクの向こうでこの放送を聴いてる貴方は、今、どんな想いを浮かべているんでしょうか?昨日までの楽しかった日々の事でしょうか?それとも今日これからの事でしょうか?こんな私の醜い放送で、トーンダウンかも知れませんが、途方もない事をお伝えするよりかは本音で話した方が何かと良いじゃないかと思いまして、語らせて頂きましたが、時間が一杯になりましたので、ここらで今日の動きと今週の動きをお伝え致します。先ず、1月5日は、2009年、年度が変わる訳ではないので完全なる意味での‘‘仕事始め,,にはなりませんが、そんな日です。1年の計は元旦に有り、は個人レベルでの話で、企業単位になりますと今
日が多くの所、その日になりますので、重要な1日となりますね。そして…」

ついに、こんな話まで、涼風に話させる事になるとは、ビックリ以外の何物でもないが、感じた心の深淵をつぶさに話させてもらった。話しても気分はあまり軽くならず、何か余計に、「駄目」な様な気がして来て、後ろ向きになってしまうのだが、無理をしても仕方ない。成行任せに、行くしか今は無い様だ。そこまで追い詰めなくても良いのにと解っては居ても、追い込んでしまうのは、多分...。
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Mind Feeling0104~0105 パーティの後

2009年01月05日 00時56分17秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「Champagne night 華やかさの影、横たわる想い。
Champagne night 気まぐれな街で誰もが夢見て。
Champagne night 夜が明ければ、海の泡よりもはかない。
海の泡よりもはかない。」
(篠原美也子『パーティ』1994年 より引用)

季節柄特有の、一つの「泡」、バブルと言っても過言でない、つかの間の「新春」という時間は、終を迎えた。あれだけ華やいだ時なのに、終わると「やっぱり一瞬だったな」と思う。
あんまりに良い気持ちはしないが、短い「うかたか天国」だったなぁ…と思う。そんなもんさ、という慰めは、今は欲しくはない。 あと数時間で、まさに「夜が明ければ、海の泡よりもはかない」いつもの日々が待っているかと思うと、止めてくれよ、と言う声を出したくなる、弱いままの自分であるが、逆さにひっくり返っても、「明日から頑張ろ~」等という「子供が、さも私は成長しました的に大人という定義が曖昧な誰かを喜ばせる為に使われる‘‘美辞麗句,,」は使いたくない。
いつから、誰かと強制力をもって共に過ごす時間を嫌いになったのだろう。30~40年前なら、きっと「皆と共にまた過ごせる」という「決して美辞麗句の意味が含まれない気持ち」があったのではないか、と思う。ブルーマンデーと言われる裏側には、「人が人を嫌いになっている」や「人と人との関わりが‘‘わずらわしい,,物になってきている」という現れではないか、と思うのは、気の所為だろうか?
それはさておき、「華やかなパーティとさえ言える新春」は終を告げるのは、はかない。祭囃子は、ずっと鳴り響いていたらなぁ~と思うが、「ひとり」の私には、「つらい」ものでも実はある。紹介した『パーティ』は、実はそんな、「誰もが誰かと居る時、誰かと居られない自分自身」を描いた曲と私は解釈している。そんなパーティは行かないか、とっとと切り上げたい所であるが、なかなかそこがうまくいかないのが世の常だ。
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