夜が明けて目覚めて、昨日までとは違う良い私に成っていたら良いのに――と年の瀬押し迫って思うなか、この曲の歌詞にある、
「変われる筈もなくて、それはそれ、いつもあたしはあたし、I know,I know,解ってるけど、一瞬でいい」
と言う風に、何かほんのすこしでも良い様に昨日とは違う自分に成れたら良いのに、と思う。だが、現実はそうもいかないよな――で溜め息。そんな気持ちもこの曲にはあって、
「生まれ変わる、そんな夢を見るんだ。時々目を閉じて。目覚めたら今日もいつものあたし。You know,You know,解ってるでしょ」
幾度となくやって来る明日に、昨日の私がいて別の私には成れない。
大晦日がやって来て、元旦がやって来ても、所詮は昨日・去年と同じ私。それはこれまで生きてきた私と言う名の歴史が証明している。
終わり始まりを迎えて目覚めたその朝に、それまでの自分とは違う良い自分にきっと成れる――そんな儚く絶対に叶いそうにない夢を抱けるそんな時分がまもなくやって来る大晦日・元日なのだろう。そして、それらの瞬間を迎えたその時に、「目覚めたら今日もいつものあたし。You know,You know,解ってるでしょ」とこの曲が語りかけて来る。自己を変革することは他者を変革する難しと知っていればこその話である。
クリスマス明け12月26日あたりからずっと土曜日が続いている感じがするので、聴いてみる、篠原美也子『名前の無い週末』のセルフカバーミックス(2003年)を聴いてみる。
世間の年末時の喧騒を余所に、静かにこの曲聴くのも良いじゃない、と思うが、今年は一体何回この曲を聴いただろうか?
ご覧の様になった。
ウダノゾミ著『放課後ヒーロー』を紹介したこの投稿記事が第1位になった。何故にこのタイミングで――。
他方で、この投稿記事は、時折観ているこのサイトの投稿資料に使ったものだが、それが故のランクインの様だ。
↑瞬間的にこのブログ『急行特急は行く…』の人気記事ランキング第1位になった↓↑この投稿記事。
紹介した曲が、オリコンで第1位を20年前にとっていたらなあ――と思ってみたり。
↑こんな事もあるのか――と言う感じで、一瞬の順位に沸く私である。記事投稿の為に、このブログ『急行特急は行く…』を検索した私の自作自演に伴う影響もある。でなければ、こんな数字は出ない。
今から20年前の1995年に出た、篠原美也子『2回目のさよなら』。
この20年間で私は何回、さよなら、をしただろうか?
この曲中にある、
「あの日のままね、あなたもわたしも、たった4文字の距離。あなたにもういちど触れたくて、両手を伸ばしかけたけれど。この手はもうあなたの何ひとつさえ動かせはしない」
そして、
「両手を伸ばしかけたけれど、この手はもうあなたの何ひとつにも届くことはない」
と言う感じの、私のさよなら、は2回だけではすまされない。
私のさよなら、には、恨み・憎しみ・羨望を伴ったものも多数だが、そんな別れをした、さよなら、をしたものから、この曲中にある「古い写真を見るように私の事を見つめないで」と言う気になる事もまた多数で、会いたくもないものがある。
またつきあいましょう、あの頃の様に――失恋はこれまでないが、失友の類のは幾つかあって、そんな事を不意にある時思ったりする。けれど、今さらの話だったり、羨望から来る嫌悪の情はどうやっても棄てきれない場合があるので、このまま、素知らぬ赤の他人、で、どこかで会ってももう2度と声をかけて来るな――と言う事で良いのかなと思う。どうせまた、さよなら、の時が来るのだから。私の学習能力の無さが露呈されるが、2度あることは3度ある、ましてやそれが悪い事なら尚更に起こり得るのが私である。
↑空虚な空を照らす太陽は、その光と明るさでこの空を照らすのだろう――と思えた瞬間。
壁|∵=) ̄ひゃー♪
協定世界時2015年12月29日0時の毎度お馴染みのこのサイトによると、南半球インド洋のはココス諸島南西の南緯14.4度、東経91.3度にある熱帯性擾乱“SH932015-INVEST”の雲塊の形状が美しく、最弱の熱帯低気圧の様相に私には見えた。ただ強風勢力値が秒速約10m/sなので、単なる熱帯性擾乱を伴う低圧部と言う感じなのだろう。