2003年の篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”より、『ひとり』を、聴いてみる。
意味もなく、これかな?で、ピックアップ。
2007年の篠原美也子のナンバー、『一瞬でいい』を、セルフカバーアルバム『青をひとつ、胸に抱いて』(2013年)より、聴いてみる。
一瞬でいい、でも、成れないもの。
だって、妄想だから、と言ったら、何もかもが、ツマラナイ。
篠原美也子の2001年のナンバー、“water”を、2001年のアルバム『新しい羽根がついた日』より、聴いてみる。
上も下も、動きにくい日々を、行くと、水の底のようなものである。
2008年の篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL ANNIVERSAL EDITION”から、2007年のナンバー、『永遠を見ていた』を、聴いてみる。
このタイミングで、永遠を見ていた――と、言われても、と言う所だが、永遠なる祝福を、受けてうんぬん、と言う話は、台本には、書いてない。
1995年の篠原美也子のナンバー、『名前の無い週末』を、2003年のセルフカバーアルバム“SPIRAL”から、聴いてみる。
週末の終末時、聴くナンバーは、これ――と言うルーティンは、続く。
篠原美也子『サクラサク』を、アルバム『花の名前』(2011年)から、聴いてみる。
冬へと転がり落ちる日々に、ぱっと、淡くも儚い桜が咲く、ブライトな瞬間が、あったら、いいなあ、で、ピックアップ。
篠原美也子の2006年のアルバム『レイディアント』から、“limit”を、聴いてみる。 ふと、目についたので、ピックアップ。 色々と限界を知って、無理だと知っていても、日々は、流れ行く。
篠原美也子の2009年のアルバム『いずれ散りゆく花ならば』から、『冬のスタジアム』を聴いてみる。
降ってわいている、ラグビー騒ぎの昨今。興味は1っ個もないが、ラグビー会場をモチーフにした、この歌は、好きである。
篠原美也子の2007年のアルバム『桜花繚乱』から、“rainbird”を、聴いてみる。
雨告げ鳥が、飛ぶ青空、みてないかも知れない――けれど、ふとした何かが、心がぐずつく、と言う予告や暗示を、していることは、あるだろう、気付かないだけで。