1993年の篠原美也子のナンバー、“Everything”を、2005年のセルフカバーアルバム“half moon”より
、聴いてみる。
1993年当時の音飾・音色が、取っ払われ、ピアノだけのすっぴん状態のアレンジでも、この歌が、恋を諦める、と言う姿勢が、見てとれる。
2010年の篠原美也子のナンバー“treasure”を、アルバム『バード・アローン』から、聴いてみる。
飾らず、そっと、しまっておきたいものに、宝、が、あっても良いかな。
篠原美也子の2004年のナンバー、『サヨナラ』を、アルバム『種と果実』(2004年)より、聴いてみる。
1発敗退試合の終了は、人生の敗北にも、似ている――ように、思う。
2001年の篠原美也子のナンバー、“WIND IS GONE”を、アルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)より、聴いてみる。
ほったらかしにしていた、1曲。
何でか?それは、言いたくはない。
篠原美也子の2007年のナンバー『笑顔』を、アルバム『桜花繚乱』(2007年)から聴いてみる。
何も言えずか、言わずか、曖昧に、笑って消え行くのは、伝えたくはない想い、と、伝えた所で届かない、と言う想いあるのかも、知れない。
篠原美也子『最後のドアを閉めて』を、アルバム“us”(2005年)より、聴いてみる。
2019年の夏のドア、まだ、閉まってないかもな、と、日本海を行く台風第17号を、見つつ思う。
篠原美也子『エール』を、2006年のアルバム『レイディアント』から、聴いてみる。
失恋を、試合の敗退の如し、と言う
風に、表現している、アーティストの想いが、描かれている。
篠原美也子の2002年のナンバー、“pain scale”を、アルバム“bird's-eye view”から、聴いてみる。
痛み、傷みの比べ合いも、また、醜いものである。
2011年の篠原美也子のアルバム『花の名前』から、『光』を、聴いてみる。
2つの光合わさって、何らかの良い効果がある――それを、体感出来る日は、来ないだろう。
2007年の篠原美也子の特典企画CD“RYOURAN ZENYA”から、『子守唄1』を、聴いてみる。
男の私が、所謂、子守唄を歌う日は
、来ないだろう。