1997年の篠原美也子のアルバム“Vivien”から、『前髪 -album version-』を聴いてみる。
シングル版の面影を、随所に残しているのも、忘れたい恋の端端を、表現しているのだろうか?
1997年の篠原美也子のナンバー、『あたたかい沈黙』を、“Vivien”より、聴いてみる。
噛みつきすぎて、冷たい沈黙のが多い、我がリアルは、笑うより外ない。
1997年の篠原美也子のアルバム“Vivien”から、『極楽駅から見える月』を、聴いてみる。
俗世間を、高嶺から、左うちわで、見下ろせる人生は、やってはこないな、と思う。
1997年の篠原美也子のアルバム“Vivien”より、『午前三時の雨』を聴いてみる。
近くにあるものが、遠くに思える時間が深夜帯かも知れない――と、思うが、その遠さが淋しくも、時に、嬉しくも悲しくもある。
1997年の篠原美也子のナンバー、“Always”を、1997年のアルバム“Vivien”から、聴いてみる。
計3枚のシングル曲が、収録された、贅沢なアルバムだっただな、と思いながらも、売れなかったのは、何故に?と言うのは、ある。
この世の思い通りにはいかない、と言ういつでも傍にある掟に、縛られていると言うことなんだろう。
篠原美也子の1997年のナンバー、『夜明けのランナー』を、1997年のアルバム“Vivien”より、聴いてみる。明日に恋する歌、なのかもな、と思いつつ、その明日は、決して来ないと知っている、と言う想いもそこにある。
篠原美也子の1997年のアルバム“Vivien”から、“welcome trouble”を、聴いてみる。
アーティストの苦悩が感じられるのは、何故でしょうな、今夜。
篠原美也子の1997年のアルバム“Vivien”から、『春の日』を、聴いてみる。
終わらない冬も始まらない春もない、でも、それは、あくまでも、自然の摂理に照らし合わせた時のみである。
篠原美也子『傷だらけの天使』(1997年)を、アルバム“Vivien”(1997年)より、聴いてみる。
お馴染みのナンバー、でも、抹消されたに近いナンバー。抹消、と言う傷ついた天使は、多数あるのが、人間の歴史でもある。
1997年の篠原美也子のアルバム“Vivien”から、1997年のシングルナンバー、『風の背中』を、聴いてみる。
風の背中レースは、毎日、あって、毎日、負けている――勝ち組になったら、きっと、手放してしまう、いとおしき、沢山の役にたたないものがある。