576H(折り返し777H)列車に乗ったら見る事が出来た、朝日である。正月時に見れば良いのにとか思うが、まぁそこはひらにひらに。m(__)m
「おはようございます。モーニングオン月曜日、担当は私、木田麻衣子です。本日が2008年最後の放送になります。多くの所、今日までが平日通常モードという所になるのかな?と思います。涼風さんと共に毎朝放送をして参りましたが、日々1日1日は長かったように思います。短かったと感じるのが常ですが、それは終わってみてからそう思える物で、実際は違うという事を以前から教え込まれまして、ずっとそう思う様にしています。来年は丑歳。モノクロで塗られた時であり、牛歩と言われる歩み方で、命運がはっきりし、良いことも悪いことも分け隔てなくやって来るそんな時になると良いなと思っています。三寒四温、暑さ寒さも彼岸まで、でずっと同じ状況が続く事は無い訳で、目には見えなくても少しずつ変わって行く様に願わずには居られませんね。さてそれでは、今日の動きそして今週の動きについてお伝え致します」
今年の5月の中葉から始めた、“Morning on”。朝が来る度に感じる「醜い心の深淵」を書いて、それが周囲に伝播しない様に、が目的で始めた朝番組のスクリプト。しかしそれでも、木田麻衣子にしても涼風鈴子にしても、言葉の端々に、私の心の深淵が映し出されていたのは言うまでもない。
白で幾ら基の色を消そうにもやはり、下地の色が染み出してしまう。私には、別の自分を演じる事は出来ないし、変わる事さえままならない。
そういう意味で、“Morning on”は、感情を極限まで「白」にして、暗い醜い色を最大限隠せる場所になっていた。
涼風鈴子を途中(7月か8月だっただろうか?)で抜擢して、はっちゃめちゃな事をしたが、いつも「ハイ」な彼女を描くのは難しく、気分が重たい時に、涼風でこの番組をやるのは難しかった。気分的に「少しでも軽く、楽しい」精神状態にないと、とてもではないが、あんな彼女を描くのは、無理があった。故に、涼風に、私の感情を植え付けて、「フリートーク」として、ダラダラ喋らしたりしたのだ。5日間連続して、涼風を登場させるのは、高いハードルであった。とはいえ、書いていて、涼風のキャラは性にあった様にも思うし、楽しい面もあった。
反面、木田は、本当に「白く塗り潰す」為の存在だった。恐ろしい程、中立的な存在で、「淡々」と番組を熟すその姿は、「機械的」で、無機質だった。故に、私の感情を押し隠す存在としてずっと居るのだ。ある意味では、恐ろしい話だが、変え様の無い事実なのだ。彼女なしに「本当の意味」での“Morning on”は有り得ない。それでも私は、この番組は好きだ。
来年もまた、この番組はやって行きたいと思っているが、はてさてどーなる?
今年の5月の中葉から始めた、“Morning on”。朝が来る度に感じる「醜い心の深淵」を書いて、それが周囲に伝播しない様に、が目的で始めた朝番組のスクリプト。しかしそれでも、木田麻衣子にしても涼風鈴子にしても、言葉の端々に、私の心の深淵が映し出されていたのは言うまでもない。
白で幾ら基の色を消そうにもやはり、下地の色が染み出してしまう。私には、別の自分を演じる事は出来ないし、変わる事さえままならない。
そういう意味で、“Morning on”は、感情を極限まで「白」にして、暗い醜い色を最大限隠せる場所になっていた。
涼風鈴子を途中(7月か8月だっただろうか?)で抜擢して、はっちゃめちゃな事をしたが、いつも「ハイ」な彼女を描くのは難しく、気分が重たい時に、涼風でこの番組をやるのは難しかった。気分的に「少しでも軽く、楽しい」精神状態にないと、とてもではないが、あんな彼女を描くのは、無理があった。故に、涼風に、私の感情を植え付けて、「フリートーク」として、ダラダラ喋らしたりしたのだ。5日間連続して、涼風を登場させるのは、高いハードルであった。とはいえ、書いていて、涼風のキャラは性にあった様にも思うし、楽しい面もあった。
反面、木田は、本当に「白く塗り潰す」為の存在だった。恐ろしい程、中立的な存在で、「淡々」と番組を熟すその姿は、「機械的」で、無機質だった。故に、私の感情を押し隠す存在としてずっと居るのだ。ある意味では、恐ろしい話だが、変え様の無い事実なのだ。彼女なしに「本当の意味」での“Morning on”は有り得ない。それでも私は、この番組は好きだ。
来年もまた、この番組はやって行きたいと思っているが、はてさてどーなる?