涼風鈴子「はい、おはよー、涼風鈴子だよー、“Morning on”だよー。日差しがつっよおおい朝だよね。今日もあちゅくなりそうですが5月も20日過ぎまして、梅雨の気配があるデーよ、で以上、“Morning on”でした」
涼風鈴子「はい、はよーざいますぅ~、涼風鈴子だよー、“Morning on”、“Morning on blue Monday”なんだよ、ブルーマンデー、いやだよなー、いやだよなあー、いやだよなあ゛っ!!といつもとバージョンが違いますが、“Morning on”は“Morning on”、何一つかわりやしないんだからねえええ~、偉そうに言ってますが、さー雨降るブルーマンデー、今日は、金環日食…ですが、ヤバそうな空模様です。こんな時だけあ゛だしを見つめないで、と太陽様が恥ずかしがってらっしゃるのかも知れない5月21日、月よー日だよ、月よー日。ああ嫌だ嫌だ、あ゛りえ゛ね゛ぇ~とダミ声使ってもつまらないんだよっ!!(落雷)と言うことで、“Morning on”でした」
画像は中河友里著『群青プリン』(2011年 集英社)の50~51頁を撮影したもの。このページの51頁に、
「でも あたし…今ちゃんと息できてるよ…」
と、主人公、長谷部一香の台詞がある。
このシーンに至る前に、主人公はクラスメイトの偽りの友達に別れを告げて、この画像のシーンでクラスで嫌われものでもあり地味で暗くて風変わりでもあり、小学生時代の同級生でもある稲倉基実に半ば告白に近いことをする。そして、彼女はそれまで付き合っていたクラスメイトの携帯電話のアドレスをすべて消し去り、稲倉の携帯のアドレスを最初に彼女の携帯に登録する運びとなっている。
この何と言うことのないシーンから、私はファンのシンガー篠原美也子の『名前の無い週末』の一節、
「ちゃんと息もしてる、足も動くまだやれる。届くこと無い思いでも叶うあてない恋でもまだやれる」
を思い出した。この曲は彼女、篠原美也子がレコード会社を移籍して初めて出したシングルCDでもあり、「再起」の意味を込めた曲でもあった。
再起。手に入れたものを失わなくてはならなくなったとしても、もう一度、また、1から出直せる事が必ずしも出来ない訳ではない。その想いが重なったように思えた。
「鏡の前、座ったままで、最後の一筆決めかねている。形のないものに逃れて行けたあの日にはもう戻れない。出会った春を急に思い出す。あなたがはたち、私が19。何にでもなれるつもりでいた、時の流れに逆らってでも」
(篠原美也子“HOPE”より引用)
何か不意に口ずさみたくなったので挙げてみた。希望と言う“HOPE”、私にはどれだけの希望が残されているだろう?恋する希望のチャンスはあるだろうか?仮にあったとしてもその恋した人を愛してちゃんと大切にし続けられる自信はない。
未来を気にせず、ただお互い「好きだよ」と言えるのは、学生のうちだけなのかなと思う。物語の様に幼なじみから始めて、ずっと付き合いが続いていったら素敵である。
なぜだろう、理由は解らないが、今日見た夢に学生時代末期に付き合いがあった知人が突然出て来た。知人は私に、その知人の母親が亡くなった事を私に告げに来た。一体どうした事だろうな話である。
学生末期を迎え、完全に付き合いは途絶え、と言うか、私よりも幸せなそうな生活してそうだったのと、私なんかよりもずっと生き方が器用だった事から来る嫉妬もあって、付き合いをやめたのもある。それ以前にも、私とその知人を繋いで居たのは学校しかなく、趣味も合わず、また考え方も異なる事があり、付き合いが長く続く筈もなかったのは言うまでもなかったのだが。
生き方がうまいが故に、何か付き合い易かったのはあったし、人間的に問題は全くなく、むしろ私のが人間的に問題があるのは言うまでもない。
学生末期を終えて8年。その知人が今どこでどうしているかを知るよしもないが、多分、結婚して子供もいて幸せに暮らしてるんだろうなと思う。否、そう思いたいのだ。
あまりにもインパクトある夢だったので、話をここに書いておきたい。