1.ライディーン/YMO(Yellow Magic Orchestra) 1980年6月
わたし、テクノポップ、といわれるものは苦手なのです。
何故なのかはよくわからないのである。つまりは感覚の問題だと思うのであるが・・・
で、今回このライディーンを聴いて、何故苦手なのかを考えてみたのである。
結論としては、機械的であるためスキがない、ということなのではないかと思ったのである。
キッチリしすぎていている、ということに快感を覚えない性質なんだと思う、いろいろな音が重なったときにでる響きというのが音に幅と
いうか深さというものを生むのではないだろうか。
その響きというのは、演奏者自身にも予期せぬというか計算のできぬものではないだろうか。
それがテクノポップでは計算に近いものになっているんだと思う。
そのあたりが「苦手」のよういんではないだろうか。
ただし、苦手であっても「いいなあ」と思うものはあり、このライディーンは『いいかも』とおもうのである。
その要因は、この曲がYMOのメンバーである高橋幸宏の鼻歌を坂本龍一が曲に仕上げた、というところ、つまり「鼻歌」から始まったと
いうことにあるのではないか、なんて思うのである。
2.涙をふいて/三好鉄生 1982年8月
栄養ドリンクのコマーシャルソングで聴いていたときは『いいんじゃないか』と思っていたのである。
その後ヒットして三好鉄生が歌うのを聴いたときはなんだか恥ずかしいカンジがしたのである。
わたし、テクノポップが苦手であるとともに、このように「元気出せよ!」タイプの歌もなんだか苦手というか恥ずかしいのである。
だから、この歌をカラオケで元気よく歌っている人をみると「勘弁してよ」と思うのである。
3.チャンス/大貫妙子 1981年7月
大貫妙子って「都会的」というイメージがあって、これまた苦手というか「敬して遠ざける」という態度であった。
それから一度コンサートに行ったことがある。
そのときは途中から眠ってしまい同行者に大いに顰蹙を買ってしまったのである。
このチャンスという歌は今回はじめて聞いた。
4.早春物語/原田知世 1985年7月
原田知世の歌は「頼りなさ」がとってもいい。
歌がうまい、というのはどういう定義なのだろうか、と思うのである。
僕らが若いころ、例えば天地真理や浅田美代子なんか「歌が下手」といわれていたが、でもなぜヒットしたのだろう。
それは「味」なんだと思う。
味というのは人間が形成されて得られるものだけではなく、彼女たちは若いころの「味」がよかったのである。
原田知世の歌も「うまい」とは思えないがなんだか心地よいのである。
で、この早春物語の出だし
♪逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて♪
という同じ言葉の繰り返しを聴いていると、原田知世の歌はうまいのではないかと思うのである。
5.琥珀色の日々/菅原進 1981年6月
この歌はサントリーのウィスキーのCM曲で、仔犬が雨のなか駆けているのが印象的である。
映像と歌がいい具合にマッチしていて、いいなあ、と思ったのである。
しかし、この歌も映像がないと、なんだかなあ、というカンジになったのである。
最初の印象というのは非常に恐ろしいなあ、と思う。
6.メリーアン/THE ALFEE 1983年6月
アルフィーは「いい歌」を歌っていたんだけれど、ヒットにつながらなかった。
「いい歌」なんだけど、人の心にうったえる力、が足りなかったんだと思う。
それが、このメリーアンはそれまでの歌に比べればシンプルであるが力強さあり、人の心に響くものがあった。
アルフィーよかったなあ、と思ったものである。
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わたし、テクノポップ、といわれるものは苦手なのです。
何故なのかはよくわからないのである。つまりは感覚の問題だと思うのであるが・・・
で、今回このライディーンを聴いて、何故苦手なのかを考えてみたのである。
結論としては、機械的であるためスキがない、ということなのではないかと思ったのである。
キッチリしすぎていている、ということに快感を覚えない性質なんだと思う、いろいろな音が重なったときにでる響きというのが音に幅と
いうか深さというものを生むのではないだろうか。
その響きというのは、演奏者自身にも予期せぬというか計算のできぬものではないだろうか。
それがテクノポップでは計算に近いものになっているんだと思う。
そのあたりが「苦手」のよういんではないだろうか。
ただし、苦手であっても「いいなあ」と思うものはあり、このライディーンは『いいかも』とおもうのである。
その要因は、この曲がYMOのメンバーである高橋幸宏の鼻歌を坂本龍一が曲に仕上げた、というところ、つまり「鼻歌」から始まったと
いうことにあるのではないか、なんて思うのである。
2.涙をふいて/三好鉄生 1982年8月
栄養ドリンクのコマーシャルソングで聴いていたときは『いいんじゃないか』と思っていたのである。
その後ヒットして三好鉄生が歌うのを聴いたときはなんだか恥ずかしいカンジがしたのである。
わたし、テクノポップが苦手であるとともに、このように「元気出せよ!」タイプの歌もなんだか苦手というか恥ずかしいのである。
だから、この歌をカラオケで元気よく歌っている人をみると「勘弁してよ」と思うのである。
3.チャンス/大貫妙子 1981年7月
大貫妙子って「都会的」というイメージがあって、これまた苦手というか「敬して遠ざける」という態度であった。
それから一度コンサートに行ったことがある。
そのときは途中から眠ってしまい同行者に大いに顰蹙を買ってしまったのである。
このチャンスという歌は今回はじめて聞いた。
4.早春物語/原田知世 1985年7月
原田知世の歌は「頼りなさ」がとってもいい。
歌がうまい、というのはどういう定義なのだろうか、と思うのである。
僕らが若いころ、例えば天地真理や浅田美代子なんか「歌が下手」といわれていたが、でもなぜヒットしたのだろう。
それは「味」なんだと思う。
味というのは人間が形成されて得られるものだけではなく、彼女たちは若いころの「味」がよかったのである。
原田知世の歌も「うまい」とは思えないがなんだか心地よいのである。
で、この早春物語の出だし
♪逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて♪
という同じ言葉の繰り返しを聴いていると、原田知世の歌はうまいのではないかと思うのである。
5.琥珀色の日々/菅原進 1981年6月
この歌はサントリーのウィスキーのCM曲で、仔犬が雨のなか駆けているのが印象的である。
映像と歌がいい具合にマッチしていて、いいなあ、と思ったのである。
しかし、この歌も映像がないと、なんだかなあ、というカンジになったのである。
最初の印象というのは非常に恐ろしいなあ、と思う。
6.メリーアン/THE ALFEE 1983年6月
アルフィーは「いい歌」を歌っていたんだけれど、ヒットにつながらなかった。
「いい歌」なんだけど、人の心にうったえる力、が足りなかったんだと思う。
それが、このメリーアンはそれまでの歌に比べればシンプルであるが力強さあり、人の心に響くものがあった。
アルフィーよかったなあ、と思ったものである。
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