読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

岡田奈々を聴きながら

2006-10-31 21:45:41 | 日々雑感
久しぶりにというか、1年に2回も行けば多いほうなのだが・・・レンタルショップに行った。
そこで、ついでに「岡田奈々」のCDを借りてきたのである。
もうひとつついでに「いしだあゆみ」のCDも借りてきた。

今夜はその岡田奈々のCDを聴きながら、「えんぴつで書く奥の細道」を開き、えんぴつで奥の細道をなぞったのであった。

岡田奈々といってももう知らない人が多いんだろうなあ、と思いながら、僕の大好きな「女学生」と「くちづけ」をくちずさみながら、奥の細道、だったのである。

追伸
 オール読物10,11月号を読んでいる。天童荒太「悼む人」面白い。
 そのほか、新潮文庫のいつものやつ「蛍の行方-お鳥見女房」<諸田玲子>と「女刑事音道貴子 嗤う闇」<乃南アサ>を購入、ちょいとわくわくしている。
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オール読物11月号

2006-10-30 22:39:17 | 読んだ
オール読物は最近新しい「連載」が登場している。

9月号からは
恩田睦の「夜の底は柔らかな幻」 まだ読んでいない

10月号からは
天童荒太「悼む人」 これからどうなっていくんだろう?というまだ出だしである。まだ、この人の小説を読んでいないので、これで取っ掛かりをつかもうか、と思っている。

そして11月号から
東野圭吾「聖女の救済」 これもまだ読んでいないが、楽しみにしている。

いったい、月刊誌の連載ものというのは、間隔があくため、近頃は前回読んだけっかな?なんて思ってしまい、あまり好きなものではないのだが、どうも「短編」とか「読みきり」というのが物足りなく思える性質(たち)なので、連載に頼る、みたいなところがある。

従って、これまでオール読物では連載が少なかったので、これからはチョイと身を入れて読んでいこうか、と思っているのである。
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吉田拓郎&かぐや姫inつま恋2006 NHKBS総集編

2006-10-29 22:04:07 | 観た、聴いた
前編が15時から17時、後編が19時30分から21時30分。
観ました観ました。ギターを抱えてあわせて弾きながらネ。

現場にいたときは気づかなかったことがいっぱいあったけれど、なんといったって、ステージはああだったのね、というのが、なんだか自分でもおかしかった。

実際に現場に行った者がよくわからないというのは、いかがなものでしょうねえ。

まあ、どれだけテレビで詳しく観ても、そして実際にはステージもよく見えないにもかかわらず現場で感じた臨場感というのは、やっぱりすごかった。

今回、テレビで気づいたこと。

一緒にギターを弾いてみてわかったのだけれど、当時からキーを下げているのがおおくあった。やっぱり若いときにでた高い音をだすのはつらいんだろうなあ。

現場ではそんなに強く感じなかったのだけれど、今回テレビに映っている人たちを見て、やっぱり相当の年齢、つまりもう若くないというか、よくもまあこの年齢で行っちゃったなあ、ということを改めて強く感じたのであった。

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小説新潮11月号 創刊750号記念名作選

2006-10-28 22:43:48 | 読んだ
今月号は創刊750号記念名作選ということで、北村薫と宮部みゆきが選んだ歴代12篇が収められている。

その中から
川口松太郎「媚薬」
林芙美子「水仙」
内田百「ノラに降る村しぐれ」
吉行淳之介「あしたの夕刊」
円地文子「鬼」
山口瞳「穴-考える人たち」
半村良「となりの宇宙人」
松本清張「誤訳」
戸板康児二「少年探偵」
の9編を読んだ。

この中では
円地文子の「鬼」が一番、松本清張の「誤訳」が2番、川口松太郎の「媚薬」と続く。

とはいえ、いずれも私にとっては「よくわからない」「おもしろくない」という範疇に入るものであり、期待はずれ、であった。

まだ、北村薫と宮部みゆきがどうしてこの作品を選んだのかというところを読んでいないので、なぜこれらの作品が「いい」のかわからないが、つまりは北村・宮部氏とは読書の傾向があわないのだろう。

古い、ということはあまり感じなかった。たとえば川口松太郎の「媚薬」は昭和23年1月号、林芙美子の「水仙」は昭和24年2月号である。
発表から約60年近く経っているが、読める、ということはやっぱりいい作品なんだろうか、と思ってしまうが、なんというか「力はあるが熱がない」という感じなのである。
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青春のうた 第20巻 1980年代前期②

2006-10-24 22:41:41 | 読んだ
1.サヨナラ模様/伊藤敏博 1981年8月発表

きれいな声である。
そしてあの♪ねエねエねエ♪の部分が印象的である。

「いいんじゃない」というのが正直な感想。なんといいますか、可もなく不可もなく、という感じなのである。

この時代の歌にはあまり思い入れがなく、そして思いでも少ないのである。
この歌に関して言えば、ベスト10で汽車(列車)の中で歌っていた、ということくらいなのである。

2.元気です/吉田拓郎 1980年11月発表

TBS系のポーラテレビ小説「元気です」の主題歌。
当時は、吉田拓郎が主題歌を歌うということだけで事件だった。

「元気です」といえばアルバムタイトルにもなっているが、それとはまったく違うので、なんだか関係があるのでは、と一瞬思ったのがはぐらかされたような気がした。

そして、ドラマも宮崎美子が熱演をしていたが、どこか浮いているようで、イマイチだったような気がする。宮崎美子に「苦労」というのは似合わないような気がしたのである。
というわけで、その主題歌であるこの曲も、いまひとつ身が入らなかった。
とはいえ拓郎の歌である。
それはそれなりに・・・

最後の部分
♪そうだ 元気ですよと 答えよう♪
という部分は、歌詞もそうだがメロディーも無理やりっぽくて「イイ」と思うのである。

そしてこの歌くらいまでが、数回聞いただけで覚えられた、拓郎の歌なのである。
これ以降になると、まっすぐ頭の中というか、心の中というか、体の中に入ってこなくなったのである。

3.ウェディング・ベル/シュガー 1981年11月発表

歌っている内容は実は「暗い」
失恋の歌である。
しかも、その相手の結婚式での、花嫁に対する気持ち花婿(元カレ)への気持ちを正直に表したもの。

当時、もし好きだった人の結婚式に呼ばれても行かないだろうなあ、と思いながら聞いたのであった。

わりとあっさりとそしてコミカルに歌っていることが、実は深い哀しみを表すということもあるが、この歌はそうでもないような気がした。

そして、この歌もベスト10でよく見たことから覚えているのである。

4.君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね/中原めいこ 1984年4月発表

この歌も、ベスト10で見たので知っている。
なんと言ったって
♪君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね♪
という部分が覚えやすく、なんとなくゴロがいいというか、つい口ずさんでしまうのである。

ところが、そのほかの部分は歌えない。
どうもこの辺から、サビ、しか歌えない、という状況に陥ってしまったのではないかと思っている。

5.漂泊者(アウトロー)/甲斐バンド 1980年7月発表

甲斐バンドはきらいではないのだが、なんだか「縁」がないのである。
こちらの情報網にあまり入ってこないのである。
であるからして、この歌はなんとなく知ってはいたが、じっくり聞いたのが今回初めてなのである。

それで、今の年齢になるとこういう歌はそれほどカンゲキでもないわけで・・・
ということで、おゆるしを。

6.シンデラ・サマー/石川優子 1981年3月発表

石川優子っていいなあ、と思っていた。
思っていたが、どうも爆発的なヒットの連発とかがなくて、どこが原因なんだろうか、なんて思っていた。

たぶん本人に、大スターになってやろう、という気持ちがそれほどなかったのではないか、と思っているのだが・・・なんだかちょっと残念に思っていたりするのである。

石川優子、というひとを表している歌だなあ、と今回久々に聞いて思ったのである。
つまり「アク」が強くないというか、サラっとしている感じなのである。
いい人で、いい歌なんだけれど、何か「強さ」みたいなのがもうひとつなんだろう。

赤裸々に自分の心の奥底を見せるか、自分を強烈なキャラクターに変身させドーンと表現する、そういう人が大スターになるんだろうなあ。

とはいえ、この歌を聴くと、なんだかいいんだなあ。

追記
 どうも1980年代になると「思い入れ」というのがすごく薄れてくる。
 自分なりに考えると、歌で何かを解決したり、歌から力を得る、ということが少なくなっていたのかもしれない。
 それよりも日常におきている様々なことへの対応で精一杯であった。
 1980年代は私にとっては「歌わない」時代だったのかもしれない
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プレミアム10 今日までそして明日から~吉田拓郎・3万5千人の同窓会 NHK総合

2006-10-23 22:58:16 | 観た、聴いた
今、このテレビを見ている。
当日はステージが見えなかったので、新鮮である。

バックにこんなにストリングスがいたのをはじめて知った。

それから観客は本当におじさん・おばさんだねえ、とあらためて感じさせられた。
現場では、あまり気にならなかったのだけれど・・・

というわけで、29日にはコンサートの模様を見ようと、今週の目標はそれだけである。
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第5回アート・フル・松島 全国絵画公募展

2006-10-22 19:52:42 | 観た、聴いた
宮城県松島町が主催する、松島、を題材とした絵画展である。
対象の賞金は100万円。

偶然、この入場券を手に入れたので、今日松島のホテル松島一の坊に行ってきたのである。我が家から松島まで今日は割りと道路がすいていたので1時間で行った。

曇り空で出発したが、松島についたときにはおひさまがでてポカポカ陽気となった。

第5回となったこの絵画展への応募総数は298点、うち約100点が展示されている。

絵は、さまざまな松島、である。
それは、場所、季節、時刻、明暗、晴天曇天、雪景色、さまざまである。
そしてそれぞれが感じた松島の表情を、具体的、抽象的に表現している。

私は絵を描かないので、いろいろな絵を見ているとうらやましくて仕方がない。
絵は写真と違って、切り取った画像を自分の主観で思い切って表現できるところがいいと思う。

たとえば写真は、どうしてもピントのあっていない部分がある。その分狙ったものを際立たせることができるが、やっぱり写真というのは「主題」というのが大切である。

しかし、絵画は全部に焦点を合わせることが出来るし、全部をぼかすことも出来る。
そして主題をデフォルメすることも出来る。
そのあたりが、絵画の面白いところでもあり難しいところでもあるんだろうと思う。

というわけで、いろいろな作品を見せていただいたのである。

その後ホテルの庭などを散策し、松島を眺めながら食事をして帰ってきたのであった。
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人生案内 -読売新聞-

2006-10-20 22:54:34 | 読んだ
昨日と今日の読売新聞のいわゆる人生相談である「人生案内」を面白く読んだ。

本人は大いにまじめに悩んでいるのだろうが、他人の不幸は蜜の味、というとおり、他人事となるとなんだか笑えるのである。

昨日は40代の夫と高校生と中学生の息子のいる女性からで、中学生の息子の担任の先生に恋をしてしまった、というのである。
しかも、というか、あまつさえ、恋をしているということを告白してしまい、その先生からは穏やかに拒絶をされたが、今後どうしたらいいのでしょうか?というのである。

これには私思わず声を上げて笑ってしまいました。
いかに恋は盲目といえども、人生をずいぶん過ごしているのに「分別」というものはないのでしょうか?

回答者は映画監督の大森一樹氏でしたが、やんわりとでありますが「何を考えているんだ!このヤロー」というものでした。

そして本日は結婚40年67歳の男性から、妻が「外面快晴、内面雨交じり風吹き」の二重人格であり、この妻と今後どう付き合っていけばよいのでしょうか?
というもの。

どうしたの67にもなって、そして40年も結婚生活を続けてきて?
という感じですねえ。

回答者は落合恵子氏。話し合いとカウンセリング、を勧めていました。

しかしいったいどうなってしまったんでしょう、わが国は。
大人も分別がなくなり、なんだか自分の思うままに生きることが幸福、という考え方になってしまったのでしょうか。

こんなものを読むと、どこかに隠棲をしてしまうか、革命でも起きないかと思ってしまいます。
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風邪

2006-10-19 19:51:36 | 日々雑感
どうやら風邪をひいたらしく、昨日は「のど」が痛くて困った。

チェーンスモークならぬチェーンのど飴状態で、のど飴をなめていないと痛さが強くなるのであった。
うがいと喉への直接的な噴射液をも活用して、何とかのどの痛みを抑えた。

と本日は、鼻水である。
かんでもかんでも「つまっているカンジ」
なんといいましょうか「残尿感」ならぬ「残鼻水感」といいましょうか・・・

それでも熱が出るとか動けなくなるとかということもなく、さすがに昨日は食欲はありませんでしたが本日はまあまあということで・・・

この辺で落ち着いてくれればいいのですが・・・

皆さんもそろそろお気をつけください。
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青春のうた 第19巻 1970年代前期⑦

2006-10-17 22:49:51 | 読んだ
1.プカプカ/ザ・ディランⅡ 1971年7月発表

この歌は「いいなあ」とか「好きだなあ」とか「覚えよう」とかしたものではなく、ごく自然にうたっていた。
そのうちに自分のベスト10には入るようになっていた。
高校時代は、こういう女の人に遊ばれたい(?!)なんて思っていたりして・・・

この歌にモデル画板ということを今回はじめて知り、早速インターネットで調べてみたら「プカプカ」してました。

で、この歌を大塚まさじの生で聞いたときすごく感動をした。
そして、そして、西岡恭蔵と大塚まさじの二人で歌ったときはなお感動してしまった。というより、この二人でプカプカをうたうだろうと思ってコンサートに行ったのである。

分校跡の公民館。教室の中で行われたコンサートで、ぺたんと床に坐って聞く「プカプカ」はなんだかすごくしみじみと感じられたのであった。

その後、西岡さんが亡くなり「ああ、生きているうちに聞くことが出来てよかったなあ」と思ったのであった。


2.さなえちゃん/古井戸 1972年3月発表

初めて聞いたときの衝撃はおおきかった。
なんだこりゃ?!
というカンジだったろうか。

だからなんなの?
っていう気持ちだったんだろうか。

さなえちゃんをノートに鉛筆で書いたからきえてしまった、もう会えない。

ということを歌っているわけで・・・

でもこの歌はなかなか印象に残って、すぐ覚えてしまうので、いい曲なんだろうなあ。あまり歌いませんが・・・。


3.マークⅡ/よしだたくろう 1970年5月発表

この歌をはじめて聴いたときの衝撃はすごかった。
「歌」の中に「年老いた男」が登場して、しかもその男は「時の流れを知る日がくるだろうか」という、これまで抱いていた「大人」の大人らしさを否定されている。

にもかかわらず、なんだか甘酸っぱい恋の香りがする。
また、ブラスも弦楽器もない曲、というのも新鮮だった。
題名もよく意味がわからないが、歌を聴けば、なんとなく「マークⅡ」らしいし・・・。

♪また会うときは 大人になっているだろう♪

というところが一番好きな部分である。

この曲で吉田拓郎を知り吉田拓郎に惹かれ、そしてフォークソングの虜となっていったのである。
そういう意味では、記念すべき曲であり、大好きな歌なのである。


4.私は好奇心の強い女/シュリークス 1972年12月発表

今回初めて聞いた。
シュリークスはなんとなく知っていたが、曲を聴く、ということはなかった。
こんな歌があることはなんとなくわかっていたが、初めて聞いて「フーム」と思ったのである。

シュリークスのボーカルは「イルカ」である。
その頃からあの歌声で、そうだったのねえ、という意味の「フーム」であったのだ。


5.青春のわかれ道/ジローズ 1971年6月発表

ジローズのアルバムかなんかをカセットテープにダビングして聞いていた、という記憶がある。
なぜ、誰から、どうして、そんなものを手に入れたのか、ゼンゼン覚えていないのであるが、兎も角、当時の歌を知っているのである。

ということで、勿論、この歌も知っていはいるのである。
しかし、あまり興味を持たなかったらしく、歌詞をみても歌えない。
やっと曲が流れてきて歌えたのであった。

6.帰りたい帰れない/加藤登紀子 1970年2月発表

知ってはいるけど、あまり好きではない。
こういう歌は「苦手」なのである。

そして加藤登紀子も苦手なのである。

どうしてなのか説明することが出来ないのであるが、どうも苦手なのである。

しいて言えば「帰りたい 帰れない」という状況に陥ったことがないこともある。
帰りたければ帰ればいいではないか、というタイプなのである。やせ我慢が出来ないタイプなのである。

でも妙に心に残るフレーズなので、それに近い状態になったときには心の中で歌っていたりするのである。
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のだめ カンタービレ #16 二ノ宮知子 & テレビ (フジ系21:00)

2006-10-16 22:36:47 | 読んだ
第16巻の「のだめ」は、千秋がパリでオーケストラの団員のオーディションの審査をして来るべき公演にむけてリハーサルを行っている、というだけのスジである。
従って、抑揚の乏しい、くすぐりのギャグの多い展開となっている。

まあちょっと「なかだるみ」というようなもの。

とはいえ、なかなかに興味深いものがある。
つまりプロの楽団員とはいえ相当の練習が必要であり、すんなりと演奏をしているのではないこと、売れない(あるいは名もない)オーケストラの人たちは生活も大変だということ。(生活が大変だからアルバイトをする。アルバイトをするから練習が不足する、という悪循環がある。)

まあ、17巻が楽しみ。

一方、本日から始まったテレビ。
新聞に「ドラマ化というよりは漫画の実写版」とあったが、まったくそのとおりで、これほどまでにマンガにしていいのかと、心配するほどである。

上野樹里は「のだめ」そっくりであった。
玉木宏の「千秋」は心配であったが、まあまあの出来であるといえる。
シュトレーゼマンの竹中直人はチョイとやりすぎのようでもある。

いずれ、このマンガ(物語)は強烈な個性を持つ者だけしか登場しないといえるもの、どう実写でその個性をうまくだせるかが、大きな課題であろう。

「月9」というのはほとんど見ていないので、なんだか変な気持ちでもある。
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ローマ人の物語24-賢帝の世紀(上) 塩野七生 新潮文庫 & 真田騒動 池波正太郎 新潮文庫

2006-10-15 15:37:20 | 読んだ
どういう心境なのか自分でも説明がつかないのだが、塩野七生と池波正太郎を併読していたのである。

真田騒動のほうは依然読んだものである。(2002年1月4日の読書日記にその間奏が出ている。)

さて、真田騒動は真田幸村の兄で信州松代藩の藩祖「真田信幸」が、関が原後の徳川幕府体制の中で、いかに真田家を存続させて行ったか、ということが芯になっている。

短編・中篇5作「信濃大名記」「碁盤の首」「錯乱」「真田騒動」「この父その子」が収められている。このうち「錯乱」で直木賞を受賞している。

これらはそれぞれ独立した物語ではあるが、続き物、としても読める時系列になっている。
この1冊を読んで「うーん、いいんじゃないの」と思った人には、文庫版で12巻にも及ぶ「真田太平記」を薦める。
私はこの真田太平記を読んで、真田昌幸(信幸・幸村の父)でも幸村でもなく信幸のファンになったのである。
逆に真田太平記を読んで、この真田騒動を読んでいない人には、真田太平記外伝として、この物語を読むことをお薦めする。

さて、その真田太平記とローマ人の物語がどうつながるのか?
ということである。

まず、真田騒動の中の「錯乱」で、真田信幸はこういうことを語っている。
「治政をするもののつとめはなあ、治助。領民家来の幸福を願うこと、これ一つよりないのじゃ。そのために、おのれが進んで背負う苦痛をしのぶことの出来ぬものは、人の上に立つことを止めねばならぬ・・・人は、わしを名君と呼ぶ。名君で当たり前なのじゃ。少しも偉くはない。大名たるものは皆、名君でなくてはならぬ。それが賞められるべきことでも何でもない、百姓が鍬を握り、商人が算盤をはじくことと同じなのじゃ」
そして
「(前略)良き治政とは、名君があり、そして名臣がなくては成りたたむものなのじゃ。そのどちらが欠けても駄目なものよ」

信州や上州沼田をいろいろな人たちと争って得て治めてきた真田一族の治政の結晶とも言うべきものである。

それではローマ人の物語はどうか。
第24巻は「賢帝の時代(上)」ローマ帝国の賢帝の時代の第1巻、トライアヌスについて書いてある。
トライアヌスは第13代の皇帝である。

ローマの皇帝は父から子へと継がれてきた例もあるが、ローマ市民によって選ばれた者認められた者である。
この第13代皇帝トライアヌスもキャリアを積み上げて皇帝になったのである。

したがって彼は真田信幸とは違って、一族の血の結晶ではなく、ローマ帝国というローマ市民によって成立している国の治政の結晶なのである。
ただし、ローマ市民というのは現代における市民というイメージではなく、市民になるための条件があったし、いわゆる階級による差別があった。

その皇帝は属州の総督から施設の建設の是非を問う手紙にたいして
「もしもその建設費が、プルサ市の財政に負担をかけすぎる怖れがなく、また完成後の運営費も保証できるのであれば、公衆浴場の建設は許可してよいだろう」
と答えている。

そしてまた別の都市の体育館の建設についての質問に対しては
「まったくギリシア人というのは、体育館(ギムナジウム)となるとわれを忘れてしまう民族である。それでついつい大規模なものを建てはじめてしまったのだろうが、彼らとて、自分たちの必要に応じた規模で満足することは学ぶべきだろう」
と答えている。

あるいは、大規模な水道工事が中断し一部完成した施設ももう使えない状態にあるが、それでもその工事を行いたいということには
「ニコメディアの街に水を引くことの必要性は、充分に納得いった。あなたはこの仕事に、全力をあげて取り組んでほしい。と、同時に、この不祥事の責任者の追及もされねばならない。工事はどうはじめられたのか、なぜ中途で放置されたのか。この件の調査結果の報告を待つことにする」
と答えている。

で、何を思ったのか?ということなのだが・・・

真田信幸の言葉は「封建主義」による民政のありかたであるといえ、トライアヌスの言葉は「民主主義」のそれではないかということである。
そして、民主主義の日本では、依然として封建主義的な民政を望んでいるのではないか、つまり、まだまだ我々は民主主義の世の中で熟成をしていないということである。

なにしろトライアヌスの時代は西暦100年のころ1世紀のことなのである。
そのころからの民主主義(誰でも参加できるというものではなかったが)の熟成度が欧米の社会であり、それとは違う歴史を持つ日本がいかに民主主義であるとしても、やっぱりマダマダなのである。

そのマダマダが今の日本の混乱を招いているのではないか。
自立した市民社会ではなく何かに依存しようとする体質、全てが行政が悪いとする体質、公よりも自らが所属する組織を守ろうとする体質・・・
そして、これらの混乱の解決を名君に求めようとする体質。

日本社会の混乱が解決するには、我々自身が自立し、自立した個人が「公を」担っているんだという、考え方が大きく広がらない限り駄目なのではないだろうか、と思うのである。

真田信幸は名君であることに間違いはないのであるが、以降、真田家には名君が続いたろうか?

というわけで、この2冊を併読しながら、よい政治よい行政を得るには、我々(一般市民)が熟成しなければならない、ということを思ったのであった。
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モーニング46号

2006-10-13 22:20:58 | 読んだ
近頃のモーニングを見ると、読みたいものが少なくなってきていることに気づく。
なんというか「凝りすぎ」というものが多いような気がするのである。

漫画でなければできない表現、というものがあると思うのであるが、物語いわゆる筋と絵がマッチしていないものが多いと思うのである。

特徴、というものがあるにこしたことはないのであるが、特徴とか特質とかに重きを置いて、漫画による表現、というのをどっかにおいてきているようなものが多すぎるような気がするのである。

読みやすさ分りやすさ、というのがまず最初にくるのではないだろうか。
どうもテクニックとか筋書きの面白さを前面に出そうとして、実は漫画の魅力をうしなってしまっているような気がするのである。

漫画という表現の方法や手段をもっと素直にあらわすべきであると思うのである。
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50、五十路、だって

2006-10-12 22:45:19 | 日々雑感
本日誕生日。
インターネットでも、誕生日おめでとう、という文字が・・・
でもなあ、50才で、おめでとうというのも「なんだかなあ」という気持ちもある。

なんてったって50歳といえば四捨五入すると100歳だものなあ。

人生80歳とすると、24時間の中では何時か?
という話があって、12時では40歳。とすると50歳は15時。
マダマダなのであるが、もう、でもある。
これから終業時刻の18時まで10年間何をするのか、それは「もうおやすみ」を考える21時・70歳までどう生きるかを考える年齢でもあると思う。

織田信長が好んだとされる謡曲「敦盛」の
人間五十年 下天の内をくらぶれば・・・
という、ことが若い頃から頭にこびりついていて、50になればなんとか一丁前の人間になるんではないかと、自分に期待もしていたが、そうでもないようである。

50歳って、今の時代、若いのかそれなりの年齢なのか・・・

とまあ、誕生日で思ったりしたのであった。
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プロ野球 大詰め

2006-10-10 22:57:28 | 日々雑感
セリーグは中日が優勝した。
落合監督の涙、にはびっくりした。
そしてインタビューの答えがまったく無防備に正直だった。

やっぱり心に期するものが人一倍だったんだろう、と思わずもらい涙であった。

一方、パリーグは、プレイオフ第1戦、有利と見られた西武が割りとあっけなくソフトバンクに敗れた。
ソフトバンクは2年間の「泣き」が入っているので強いのではないか、と思っていたら案の定であった。

ことしから皮肉にも首位のチームは1勝の有利さがある。
それでも、ソフトバンクは、2年間の悔しさと王監督への思いがあって、気持ちの面で強いのではないかと思うのである。

野球は強いチーム同士の気持ちの入った試合が一番面白い。
したがって、戦力の均衡を図ることが全体としてのレベルアップと集客力を生むと思うのだが、どうも、野球界全体のことなどあまり考えているわけでもなく、かといってたいしたアイディアがあるわけでもなく。

そういうなかで、我がイーグルスは徐々に戦力の充実を図っていければ、と思うのである。
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