読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

左腕の誇り-江夏豊自伝- 波多野勝・構成 新潮文庫

2010-09-28 23:08:25 | 読んだ
久しぶりに野球に関するものを読んだ。

江夏に関する話は、いろいろな本で読んだ。
だから、ある程度江夏のことはある程度知っているといってもいい。

だから、今回は改めて江夏豊を検証する、という気持ちで読んだ。
なにも私が江夏豊を検証することはないのであるが、江夏豊は野球の投手としても関心があるのだが、人間としても非常に興味深いものがある。

野球の解説は正直言って面白くない。
あれは多分、江夏の表現しようとしていることと、テレビやラジオが求めているもの(それはつまり世間が求めているもの)の違いだと思うのである。

野球の解説を聞いていてあとあとまで深く残っているものなんてほとんどないと思うのである。
それはその時点で話していることと、後日、本人たちにインタビューをした結果が違っていることでもわかる。
で、江夏はそのあたりを含めて解説をしたいと思っているのではないか。
ところがそれは非常に難しいと思うのである。

たとえば「江夏の21球」というタイトルになっている広島対近鉄の日本シリーズ最終戦があるが、あの場面で江夏は自軍ベンチに対して怒っている、しかし、その場面を解説者は解説できない。さらに、スクイズをウェストしたことについても詳しくは説明できない。
それは、後にインタビューなどを通じて検証しなければ分からないことなのである。

でも、江夏はそこまで踏み込んで解説をしたかったのではないか。

さて、本書を読んで一番感じたことは、江夏って扱いずらいよなあ、ということである。
投手としては超一流である、そのことは江夏自らも知っている。
しかし、対人関係あるいは組織人としてはまったくなっていない、と思う。
そのギャップが彼の不幸ではないだろうか。

野球チームの一員となった中学の野球部を先輩を殴って辞めている。というスタートがその後の彼の野球人生を示しているように思える。
彼は、信頼できる人・愛してくれる人を探している。
しかし、ずっとその関係を続けることは難しい。
それは、相手が変わることもあるし、自分が変わることもある。そしてその間で何かとお節介を言う人もいる。

そういうものに江夏は翻弄されて来たんだと思う。
江夏にとってよかれ、と思って相手がとった行動や言動がを理解できない。
江夏はまっすぐに行動する。
「仕方ない」とか思わない、あるいは立ち止まって考えてはみない。
だから、多くの人と衝突をする。

傍から見ている分には「いい奴」だとは思うが、直接かかわりあいたくない人である。

本書では、そういう江夏の生き方が包み隠さずあらわされている。
しかし、私はそういう面だけでなく、彼が語る野球の技術論も面白く読んだ。
いやそちらのほうが非常に面白かった。

やっぱり江夏には野球、グランド、マウンドなのだなあと改めて思ったのであった。

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ミス・マープルと13の謎 アガサ・クリスティ/高見沢潤子(訳) 創元推理文庫

2010-09-26 20:00:39 | 読んだ
アガサ・クリスティの生誕120年ということで、テレビではポアロシリーズとミス・マープルシリーズの放映が行われている。
というわけで、では読んでみようか、と思い本屋に行ったが、なかなかよく分からない。

よく分からないというのは、何がポアロシリーズなのか、ミス・マープルシリーズなのかが題名を見ただけでは分からないということである。

そんななか、題名からして「ミス・マープル」と入っているがあったので購入したのである。

というようなことからお分かりかもしれないが、私はあまりアガサ・クリスティを読んでいない。
その理由のひとつは、翻訳ものは読みづらい、ということがある。なんだかクドクドと書いてあるが、いったい何を言いたいのだろうか?とイライラしてしまうのである。
さらに外国物は、その歴史とか風俗とかがよくわからないと、書かれてあることの深みを感じ取れないということである。

それなのに今回読んでみようと思ったのは、テレビで見ていることから場面とか衣装とかを想像できるからなのである。

さて、本書は解説を読むと本書はミス・マープルシリーズの最初の作品なのだが、発表されたのは「ミス・マープルの最初の事件」が先であるとのこと。
そのあたりは私にとっては「どうでもいい」ことではあったのだが『そういうものなのか』と思って読むと『そういうものなんだ』と感じるから面白い。

というわけで、本書は題名にあるとおり13の短編からなりたっている。
文庫裏表紙にはこう書いてある。
『セント・メリー・ミートで、平穏無事な生活を送っているミス・マープル。彼女の家に毎週火曜の夜、甥の作家、女流画家、元ロンドン警視庁の総監、地区の牧師、弁護士の六人が集まり、自分だけが結末を知っている事件の話を聞かせ、それぞれの推理を提出しようということになった。ところが、毎回真相を言い当てるのは、ミス・マープルであった。クリスティの面目躍如たる好短編集。』
これを読んだら、本書を読まずには居られないではないか。

誰かが自らの謎めいた事件を話してその結末を推理するのであるから、現場をみたり関係する人たちと話しをしたりすることはできないので、いわゆる「ベッド・ディクティブ」に属するような物語なのであるが、その事件をミス・マープルはセント・メリー・ミート村で出会ったあるいは知った人たちを参考に謎を解く。
すでにミス・マープルシリーズの形である。

まったくミス・マープルには感心してしまうのである。
であるが、よく読まないと「なんだかよく分からない」現象になってしまう。

ということで、やっぱり映像で見たほうが分かりやすい。
なんといっても、外国のサスペンスは配役から犯人が想像できないところがとってもよい。
日本のサスペンスは配役から犯人が、時には新聞で配役をみた途端に「こいつが犯人」なんて思ったりするから、そのあたりがつまらない。(もっとも、配役から犯人を特定してそれがあたるかどうか、という見方もあり、それはそれで面白い)

映像で見て原作を読む、というパターンでこれからも何冊か読んでみようかと思ったりしている。
だから、読書はやめられない。

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乙女の密告 赤染晶子 第143回芥川賞受賞作

2010-09-23 23:20:52 | 読んだ
久しぶりに芥川賞受賞作を読んだ。
相当「気合」を込めてとりかかった。

何しろこれまで読んだ芥川賞受賞作品の殆どが「わからない」というのが第1のかんそうであったから。

そして、今回も「よくわからない」というのが感想の大部分。
もしかしたら「芥川賞」というだけで「わからない」ということになるように、私の頭の回線がつながっているのかもしれない。

私はこの作品を文芸春秋で読んだ。
ということは、芥川賞の選評も載っている。

そのなかで石原慎太郎の評が厳しかった。
「こんな作品を読んで一体誰が、己の人生に反映して、いかなる感動を覚えるものだろうか」

私もこの作品が現代を表しているように思えなかった。
「乙女」というのは一種の比喩だとは思うが、そんなもの絶滅したのではないか。
また、こんなに一生懸命勉強する女子大生も存在するとは思えないし、重要な役割を示すバッハマン教授にも現実感はなかった。

現実感とかリアリティが小説の絶対条件だとは思わないが、感情移入できる人物が存在することが必要だと思う。

この作品が受賞作に選ばれたということは、それなりに感情移入できる人たちがいたんだろうと思うが・・・

ちなみに村上龍は「わたしは感情移入ができなかった」と述べている。

ところで、この物語のもう一つの幹は「アンネの日記」である。

ということで、この物語を読んで「アンネの日記」に興味をもったことが収穫か。
インターネットで調べてみたが、戦争とは悲惨なものだということを改めて思ったのである。

何故、今、アンネの日記なのか?
何故、今、乙女なのか?

なんてことを思うようでは、この物語を読む資格はないのかもしれない。
そんなことを思いながら、読み終えたのであった。

だけど、次の芥川賞は読めるかもしれない。
だから読書はやめられない。

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総員 玉砕せよ! 水木しげる  講談社文庫

2010-09-21 22:50:17 | 読んだ
水木しげるの「戦記もの」である。

しかもノンフィクションに近いものである。
だから、登場する人物たちの心情とセリフに迫力がある。

著者があとがきで述べている
『ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない』
ということも「迫力」がある理由の一つである。

この物語は、ニューブリテン島であった「玉砕」について描かれているが、あの戦争ではいたるところで「玉砕」があったので、あの戦争の普遍的な一面を描いているといえるのではないか。

日本軍の強さは『命令に忠実で死をも厭わない兵隊の強さにあった』ということを聞いたことがある。
しかし、それは「勝つ」ということの可能性が高い場合のことではなかったか。
それは概ね攻めているときであった、と思う。

戦争末期は、多分兵隊たちも「勝つ」ということを思い浮かべることができなかったのだと思う。
だから、この物語では「玉砕」に反対する将校や、納得できない「兵隊」が登場する。
玉砕とか死守とか特攻といったものは「勝つ」ための作戦ではなく、何かに取り付かれたような、いい言葉でいえば日本人のアイデンティティーを守るためのもののようなものだったと思う。

果たしてそれが守るべきものだったのか・・・

いろいろと考えさせられるのであった。
だから読書はやめられない。

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国道398号線開通 宮城県栗原市花山

2010-09-20 21:40:54 | 観た、聴いた
2008年(平成20年)6月14日土曜日午前8時43分に発生した「岩手・宮城内陸地震」によって、被害を受け通行止めとなっていた国道398号線が、本年(2010年:平成22年)9月18日に復旧し開通をした。

この国道398号線を通って、宮城・岩手・秋田の3県にまたがる「栗駒山」を周回するドライブが、地震前の年中行事であった。

冬にはこの道路が閉鎖されるので、開通する5月の連休ころ<新緑がみごろ:そして山菜がお買い得>、そしてそろそろ閉鎖される10月から11月頃(紅葉が見もの:そしてきのこがお買い得>に行っていた。
主に、栗原市の花山から入り、温湯温泉(ぬるゆおんせん)から湯浜峠を越えて、須川温泉へ(時には秋田県側に降りて小安峡)そして、一関市へ。
というようのがいつものルート。

地震以降ドライブができなくなっていた。

ということで、18日の開通の翌日(つまり19日)に花山へ行ってきたのであった。
あいにくの天候であったので、栗駒山を周回しないで、帰ってきたのであった。

その地震の爪あとがまだいたるところに残っていた。







そして、次は湯ノ倉温泉の湯栄館のあったところ。
地震で川がせき止められ湯栄館は水没してしまったのです。


ということで、ちょっと早めのきのこを購入し、復活した「そば」を食べて帰ってきたのでありました。
ちなみに蕎麦屋さんはいっぱいの人でありました。

今度は紅葉の季節に行ってこようと思います。
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定禅寺ストリートジャズフェスティバル (第20回・2010)

2010-09-12 22:18:12 | 観た、聴いた
今年の定禅寺ストリートジャズフェスティバルは「雨」であった。

雨のない夏だったのに・・・
何もこういうときに降らなくてもいいのに・・・

本当は2日間通おうと思っていたのだが、昨日は雨だということで止めたのであった。
今日は、娘が出演するというので、その応援というか「さくら」ということで出かけていったのであった。

幸いというか娘のステージは屋内であったので、まあなんとかゆっくりと・・・

いっぱい来ていただいてありがとうございました。

いつもは市民広場に落ち着いてビックバンドを聞くのであるが、何しろ雨と傘である。
音楽は好きだが、濡れたイスにすわり傘をさして聴くほどではない。
また、近頃は立ち続けるのもつらく、できれば何かに腰掛けたい。

というわけで、屋内会場の一つである仙台メディアパークへ行く。
おめあては、藍美代子である。
藍美代子は1973年「ミカンが実る頃」でデビューしたアイドルである。
その後、変遷を経て、今はジャズを歌っている。

で、ジャズフェスでいつも思うのであるが、ボーカルが弱い。うまいというか心にしみるようなボーカルに出会えないのである。
ということで、プロの歌声を聞きに行った。

期待どうりの歌声で満足したのであった。

その後市民広場に行ったのであるが、雨の中、熱心なファンで超満員。


見えはしないが音だけを聴いて帰ってきたのであった。

来年はゼヒ晴れていただきたいと思ったのである。
そして、あまり歩き回らずにゆっくりと或いはじっくりと聴きたい。

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深淵のガランス 北森鴻 文春文庫

2010-09-11 18:42:58 | 読んだ
文春文庫の新刊で「虚栄の肖像」がでた。
で、説明を見ると、絵画修復師・佐月恭壱シリーズの第2巻であるとのこと。

それでは第1巻の「深淵のガランス」を読まなければなるまいと、この本を手に取ったのである。

作者の北森鴻は本年1月25日に48歳で亡くなった。
私は、彼の「蓮杖那智シリーズ」「旗師・冬狐堂シリーズ」「香菜里屋シリーズ」のファンであるが、なぜか、この「佐月恭壱シリーズ 」だけは読んでいなかった。

北森作品の面白いところは、上記の4つのシリーズに登場す人物たちが『相互に乗り込んでいる』というところである。
つまり蓮杖那智シリーズに、冬狐堂の宇佐見陶子が登場したり、冬狐堂シリーズに蓮杖那智が現れたり、香菜里屋には蓮杖那智や宇佐美陶子が来店したりするのである。

本作品の「深淵のガランス」にも宇佐美陶子が登場する。といっても名前は「冬の狐を名乗る旗師」としてである。

この物語の主人公は、佐月恭壱。
銀座の花師にして絵画修復師である。

花師とは、銀座のバーなどに花を飾る仕事である。
絵画修復師とは、文字通り絵画を修復するわけであるが、修復は贋作作りと裏腹であり、チョイト怪しい仕事でもある。

勿論、佐月は贋作を作って生活をしているわけではなく、修復も仕事を絞っておこなっている。
その仕事を絞っているというのが、旗師の冬の狐からの修復依頼に限っているということである。

設定が尋常でないが、真実味をだすために、花師の仕事も絵画修復師の仕事も非常に詳しく書かれているので、そういうこともあるのか、と思ってしまう。
このあたりが、北森鴻作品の魅力的なところである。(北森ワールドというらしい)

普通の世界ではないのに、物語に入っていける。

本書には3編の物語が収められているが、それぞれが読みごたえのあるもの。
謎が謎を生み一体どうなるのか?
とわくわくさせられる。

ただ、北森ワールドの唯一の欠点は「動機」がどうも説得力に欠けるというところである。
非常に不可思議な登場人物たちゆえに、考え方が異常であるというのはわかるのだが、それにしても「あれ、あれ」というようなところもある。

もっともそれを補って余りある「盛り上がり」があるのだから『よし』としなけらならないと思っているのだが。

というわけで、次は「虚栄の肖像」を読むことにする。

なんだかんだ言いながら、やっぱり読書はやめられないのである。

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僕はビートルズ かわぐちかいじ 原作:藤井哲夫 週間モーニング連載

2010-09-09 22:29:27 | 読んだ
週間モーニングに連載されている。
久しぶりに「読みごたえ」のある作品である。

ビートルズのコピーバンドのメンバーがタイムスリップする。
それはまだビートルズがデビューする前である。
このバンドは「ビートルズを超えた」と自負している。

メンバーのうち2人がタイムスリップした時代でビートルズに先駆けてビートルズの曲を日本で発表する。
さて、どうなるのか?

そして2人ではビートルズのようにはライブが出来ない。
残る2人はどうするのか?

非常に面白いシチュエーショんであり、すばらしいアイディアである。

今後どうなっていくのか非常に興味深い。

願わくば、盛り上げるだけ盛り上げておいて、チャチな或いは陳腐な終わり方をしないでほしい。
そしてあまり本筋から離れないようにしてもらいたい。

近頃のモーニングはあまり面白いものがないので購読をやめようかと思っていたが、これでもう少しおつきあいできるかもしれない。
だから、読書はやめられない。

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灰色の虹 貫井徳郎 小説新潮連載:9月号完結

2010-09-06 20:41:19 | 読んだ
殺されるやつが悪い!
という場合もある。

それがこの物語の幹である。
勿論、殺される側にもそれなりの理屈はある。
そして、まさかこんなことで殺されるなんて、と思っている。

この物語は、殺人事件に関わっていた刑事、検事、弁護士、裁判官など6人が殺されるものである。

犯人と思しき人物は殺人事件で犯人とされ有罪判決を受け服役した人物・江木。

江木が逮捕され有罪となった殺人事件はまったくの冤罪である。

もう少し調べれば、先入観を持たなければ、親身になれば・・・なのである。
それなのに、よってたかって有罪にして・・・
家族は崩壊、婚約者とは別れざるを得ず、江木の人生は崩壊した。

彼は復讐を図り、次々と関係者を殺害する。
しかし、途中からなんだかヘンになる。

それは、9月号で明らかにされた。

こんなひどい目に遭ったら、やっぱり復讐をするだろうか?
そして、復讐を受けるようなことをしていないだろうか?

そんなことを思ってしまう。

今度は明るい物語にしよう。
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傷-慶次郎縁側日記- 北原亞以子 新潮文庫

2010-09-02 22:03:51 | 読んだ
慶次郎縁側日記の第1巻である

小説新潮に掲載されていたのに、これまでずっと読んでいなかった。
ふと思い立って、昨年掲載されたものを読んでみると意外にイケル。

それで、第1巻から読んでみたいと思っていたが、なかなか見つからない。
「どうしても」とまでは思っていなかったし、本屋で見つからなければ、それが「縁」なのだと思っていた。
そうしたら、偶々立ち寄った本屋で見つけた。
「縁」があったのだ。

さて、慶次郎縁側日記の柱をなすのは、同心:森口慶次郎の心の傷である。
それは、娘:三千代が男に犯され自殺したことであり、そのことについて何もできなかった自分を責めてできた傷である。

第1話「その夜の雪」はその物語である。
犯人を追う、慶次郎。彼は犯人を殺そうと思っている。

その思いを感じ取り、彼をいさめ、間違いを犯させないように邪魔をする手先の辰吉。
彼は、自分の女房を殺した男を殺そうとしたところを慶次郎に止められている。

吉次は、評判の悪い岡っ引である。
慶次郎は彼を頼る。
吉次も、慶次郎のやり方には反対である。

そして紆余曲折を経て、彼ら3人は犯人にたどりつく。
そして・・・・

この慶次郎縁側日記の非常に良いところは読後感だ。
読み終えて、息を吐き、目を瞑る。
そうすると、心が穏やかになって、人生やら人やらが「いいもんだなあ」と思えるのである。

この第1巻「傷」には第1話から始まって11話まで収められている。
私は、毎晩1話づつ読んだ。

この本の題名となった「傷」は、登場する人物たちの心の傷が交錯するもので、世の中というのは本当にうまく行かない時があるんだなあ、と思わされるものである。

著者は世間から「どうしようもない人」とされた人々にもそれなりの人生があるといっているような気がする。
だから登場する人物たちは、多分実際に会ったら手を焼きそうだし、あまり関わりたくない人が多い。
しかし、彼らにもしっかり目を向けて、そして人生とは何なのかということを読者に問いかけているような気がする。

ところでこの文庫の解説は北上次郎である。
彼は「北原亞以子のいい読者ではなかった」として、北原亞以子の真価に気づいたのはこの慶次郎縁側日記ではなく「深川澪通り燈ともし頃」であると言っている。
となれば、慶次郎縁側日記だけでなく、そちらも読んで見なければなるまい。

だから読書はやめられない。

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