今月の歴史読本の特集は「本能寺の変」であり、それはそれで面白いのだが、『緊急特別記事』としてこの記事があった。
貞観地震とは、清和天皇が即位した貞観元年(859年)から19年(877年)の間に起きた地震の総称で、このなかに、今回の東日本大震災と同規模の三陸大地震がある。
年表を見ていると、その地震は主に京都であったものを記録したもので、それ以外であれば、越中越後、富士噴火、阿蘇噴火、摂津、肥後(津波あり)、三陸(津波あり)、鳥海噴火、開聞噴火、などがあり、つまりは日本列島全体で地震が相次いでいた、ということである。
もっとも、今だって気象庁などの地震情報を見ると、有感地震は無数にあるので、今だって地震は相次いでいるのではあるが・・・
貞観地震の記録は主に「三代実録」という書物が出典となっている。
これらから著者は記事を紹介するのだが、物凄かったことがよくわかる。
『陸奥国の地、大振動し、流光昼の如く隠映(いんえい)す。頃之(しばらくありて)、人民叫呼し、伏して起つ能はず。或いは屋仆ふれて(たおれて)圧死し、或いは地裂けて埋(うず)み殪(し)す。<略>海口哮吼(こうこう)し、声は雷霆(らいてい)に似る。驚涛涌潮(きょうとうようちょう)し、泝漲長(そかいちょうちょう)して、忽ち城下に至る。<略>』
こう書かれると物凄さが増幅される。
(書き写すのは大変なのでもうやめる)
ということで、この貞観年間のように地震や噴火や津波が相次ぐということが、これから日本がそうならないように祈るだけである。
それにしても、こういう文書だけで記録されているものは多分科学として認識されないためこれまであまり話題にされなかったんだろうなあ。
そういう意味では「学問」というのは狭いものなのかもしれない。
そんなことを思ってしまった。
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貞観地震とは、清和天皇が即位した貞観元年(859年)から19年(877年)の間に起きた地震の総称で、このなかに、今回の東日本大震災と同規模の三陸大地震がある。
年表を見ていると、その地震は主に京都であったものを記録したもので、それ以外であれば、越中越後、富士噴火、阿蘇噴火、摂津、肥後(津波あり)、三陸(津波あり)、鳥海噴火、開聞噴火、などがあり、つまりは日本列島全体で地震が相次いでいた、ということである。
もっとも、今だって気象庁などの地震情報を見ると、有感地震は無数にあるので、今だって地震は相次いでいるのではあるが・・・
貞観地震の記録は主に「三代実録」という書物が出典となっている。
これらから著者は記事を紹介するのだが、物凄かったことがよくわかる。
『陸奥国の地、大振動し、流光昼の如く隠映(いんえい)す。頃之(しばらくありて)、人民叫呼し、伏して起つ能はず。或いは屋仆ふれて(たおれて)圧死し、或いは地裂けて埋(うず)み殪(し)す。<略>海口哮吼(こうこう)し、声は雷霆(らいてい)に似る。驚涛涌潮(きょうとうようちょう)し、泝漲長(そかいちょうちょう)して、忽ち城下に至る。<略>』
こう書かれると物凄さが増幅される。
(書き写すのは大変なのでもうやめる)
ということで、この貞観年間のように地震や噴火や津波が相次ぐということが、これから日本がそうならないように祈るだけである。
それにしても、こういう文書だけで記録されているものは多分科学として認識されないためこれまであまり話題にされなかったんだろうなあ。
そういう意味では「学問」というのは狭いものなのかもしれない。
そんなことを思ってしまった。
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