原作を読んで映画を見る。
もしくは映画を見て原作を読む。
そして原作を読みながら映画を見る。(んなことはできないだろう)
今回は減殺を読んで映画を見る。のパターン、で実はこれ、今までの経験上「悪いパターン」なのである。
というか、これまでの経験はこのパターンが最も多い。
大体がガックリしてくることが多いので、今回は映画を見た人の感想を調べて、あまり期待をしないで行くこととした。
そもそも、この原作を映像化しようとすること自体が難問ではないかと思われるのである。
ひとつは、残酷なシーンが多くなるだろう、ということである。
カニバリズム(食人・人肉嗜好)ということを映像に表そうとすれば、静止に耐えないものになるだろう。
それから、主人公ハンニバルは医学生で人体解剖をよく行う。これはどうなんだ。
ふたつめは、ハンニバルの心の動きをどう表すかである。
子どもの頃の悲惨な体験、そしてそれに対する残忍な方法による復讐を行う主人公に、見ている側はどれだけの共感ができるのか。少なくても、小説を読んだ上では、ある程度共感できたが・・・
三つ目は「ムラサキ」婦人の美しさをどう表すのか。
主人公があこがれ続ける魅力的な日本人、それが映像ではどうなるのか?
と、まあ映画を見る前に心構えができてしまって、なんというか映画を見る方向がちょっと違うカンジになってしまったのである。
これは、イイコトなんだろうかダメナコトなんだろうか。
で、見た結論である。
「それなりに面白かった」
一つ目の残酷なシーンは抑制されており、ちょいと抑制されすぎてショックな部分がなかったが、まあまあいいんじゃないか。
ふたつめは、主人公ハンニバルを演じたギャスバー・ウリエルの美しさが共感の大きな材料であろう。映像化するにはちょっと難しかったかもしれない。
三つ目、ムラサキ婦人はコン・リーが演じたのであるが、コン・リーはよかったが、もう少しキツイ感じの女優でも良かったかな、と思った。
で、やっぱり、こういう物語は「映像化」というのは非常に難しいのではないだろうか。と思わざるを得ない。
人というのは、自分の感情や思考をさらけ出して生きているわけでなく、悲しいときに笑ったり、怒るところから逃げ出したりしている。
ハンニバルの心の中は熱く燃えているが、表面上は青い炎が時々光るだけである。
これをどう映像化しようとするのか、難しいと思う。
映像を作るにあたって脚本も演じる人々も良くやっているとは思うのだが、この映像では意図するところが十分伝わらないのではないだろうか。
ゆえに、このハンニバル・ライジングは映画をみて興味を覚えたら小説を読むことを薦める。
映画だけではハンニバルを誤解しそうなのである。
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もしくは映画を見て原作を読む。
そして原作を読みながら映画を見る。(んなことはできないだろう)
今回は減殺を読んで映画を見る。のパターン、で実はこれ、今までの経験上「悪いパターン」なのである。
というか、これまでの経験はこのパターンが最も多い。
大体がガックリしてくることが多いので、今回は映画を見た人の感想を調べて、あまり期待をしないで行くこととした。
そもそも、この原作を映像化しようとすること自体が難問ではないかと思われるのである。
ひとつは、残酷なシーンが多くなるだろう、ということである。
カニバリズム(食人・人肉嗜好)ということを映像に表そうとすれば、静止に耐えないものになるだろう。
それから、主人公ハンニバルは医学生で人体解剖をよく行う。これはどうなんだ。
ふたつめは、ハンニバルの心の動きをどう表すかである。
子どもの頃の悲惨な体験、そしてそれに対する残忍な方法による復讐を行う主人公に、見ている側はどれだけの共感ができるのか。少なくても、小説を読んだ上では、ある程度共感できたが・・・
三つ目は「ムラサキ」婦人の美しさをどう表すのか。
主人公があこがれ続ける魅力的な日本人、それが映像ではどうなるのか?
と、まあ映画を見る前に心構えができてしまって、なんというか映画を見る方向がちょっと違うカンジになってしまったのである。
これは、イイコトなんだろうかダメナコトなんだろうか。
で、見た結論である。
「それなりに面白かった」
一つ目の残酷なシーンは抑制されており、ちょいと抑制されすぎてショックな部分がなかったが、まあまあいいんじゃないか。
ふたつめは、主人公ハンニバルを演じたギャスバー・ウリエルの美しさが共感の大きな材料であろう。映像化するにはちょっと難しかったかもしれない。
三つ目、ムラサキ婦人はコン・リーが演じたのであるが、コン・リーはよかったが、もう少しキツイ感じの女優でも良かったかな、と思った。
で、やっぱり、こういう物語は「映像化」というのは非常に難しいのではないだろうか。と思わざるを得ない。
人というのは、自分の感情や思考をさらけ出して生きているわけでなく、悲しいときに笑ったり、怒るところから逃げ出したりしている。
ハンニバルの心の中は熱く燃えているが、表面上は青い炎が時々光るだけである。
これをどう映像化しようとするのか、難しいと思う。
映像を作るにあたって脚本も演じる人々も良くやっているとは思うのだが、この映像では意図するところが十分伝わらないのではないだろうか。
ゆえに、このハンニバル・ライジングは映画をみて興味を覚えたら小説を読むことを薦める。
映画だけではハンニバルを誤解しそうなのである。
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