読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

携帯電話買い替え

2007-06-30 23:05:52 | 日々雑感
青森に出張に行く前から携帯電話の調子がおかしかった。
自動的に電源がOFFになってしまうのである。
そのつど、電源を入れていたのだが、どうも、液晶がいかれていたみたいである。

出張中も電源が切れている(液晶に何も写らない)状態が時々あり、定期的に様子を見ていたのだ。
なんとか、大丈夫なのかと思っていたら、帰路、盛岡でとうとう何も写らなくなった。

電話がかかってきたときだけはわかり、話すことは可能なのだが・・・

で、交換を決意した。

使っていたのが「ムーバ」だったので「フォーマ」に変更。
あまり使わないので、機能もそれほどいらないし・・・使い方も継続していたほうがいいと思い、D703を購入した。

驚いたのは、購入というか変更の手続きのスピードが以前よりすごく早くなったなあ、ということ。
以前は、預けて一旦家に帰ってあらためて出かけていく、というパターンだったが、本日はあらっと思うくらい早く済んでしまった。

携帯を使い始めて10年、それで、今回で5台目。
平均して2年間の使用になるが、これって、どうなんだろう?

私としては、やっと携帯電話の使い方を覚えた頃に交換で、よく言えば「頭の体操」になるのだが、なんだか使いこなせないままなのになあ、という「もったいない」という気持ちもある。

というわけで、今日は使い方を練習していたのである。
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鉄槌! いしかわじゅん 角川文庫

2007-06-29 22:16:31 | 読んだ
いしかわじゅんは、こちらから勝手に親近感を持っている人である。
なんとなく「あいそう」な人だと思っているのである。
それは彼の作品をみて思ったのである。

もっとも彼のえがく世界は、私の住んでいる世界とはまったく違った「都会」のなかのけだるい世界なのである。

だから、いくぶん「けだるい人」なんだと思っていたら、この「鉄槌!」である。

事件は、その「けだるい世界」でおきたのである。
1989年彼は友人たちと志賀にスキーに出かけた。
アルファロメオ社制のアルフェッタという車で出かけた。
どういう車かは知らないがスキーに行くのには適当ではないらしい、おまけにその持ち主とあいまって、安全性と信頼性にかけていた車だった。
案の定行く途中から故障し、そして帰る日、完全にいかれてしまったのである。
このぶぶんまではまあ仲間内のいい加減さが充満しているのだが・・・

仕方がないからバスで帰ろうとする4人。
そして事件が起きた。
出発して次の停留所で、乗務員にトイレにいってくると3人が降り、戻ってきたら吹雪の中に置き去りにされていた。
次にきたバスを停めて、前のバスを追いかけ、戻ったとき、乗務員が笑っていて、謝らなかった。

「いしかわ」はもうれつに怒った。しかし、相手にされなかった。
で、彼はこのことを漫画に書いたのである。

そうしたら、相手側「ビックホリデー」という会社から名誉毀損で100万の損害賠償をせよという訴えを起こされたのである。
「いしかわ」は再度、怒った。そして徹底的に戦うことを決意した。

「いしかわ」と出版社とビックホリデー、そしていずれもの弁護士たちの長い戦いが始まったのである。

裁判という手続きの複雑難解さ、そして弁護士たちの文章の酷さ、相手方の居丈高の態度、そういうものと「いしかわ」は怒りとともに楽しみをもってつきあうのである。

この「楽しみをもつ」ということが、この戦いの特徴である。
そして「勝因」でもあるとおもうのである。

それにしても、いつどのような形でこのようなことがおきるのか分からない時代である。
今、裁判制度が変わっていく中で、我々はもっと裁判というものや制度というものに眼を向けて、変えていかなければならないものは変えていかなければならないのではないかと思うのである。

特に、今は「事実起きたこと」ことより、「何故その事件をおこしたのか」というほうに、裁判の焦点が移っていて、事実に至る経緯とか起こした者の精神障害の証明とかが重要になっている。
問題は「起きた事実」に対する処分なのである。

この「鉄槌!」でも起きた事実を違う方向に持っていったり、弁護士たちでなんとなく和解しようというムードになったりと、なんだか違うのである。

そうこの本を読んでいちばん感じたのは、日本はなんだか違う方向に進んでいるのではないか、ということなのである。

昨日と今日、青森に出張してきたのであるが、その旅の友として本書を購入したのであるが、前夜に読み始めてしまってあまりの面白さに、なんとその晩のうちに読み終えてしまった。
という、面白さなのであった。

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うつろひ蔓 志川節子 オール読物6月号

2007-06-27 22:42:11 | 読んだ
前回は、12月号「しづめる花」であった。
今回は「その続き」のような出だしである。

お蓮のもとに、豆吉が「大変だ」と飛び込んできたのである。
正確にはお蓮のもとにではなく、お蓮の夫「辰蔵」のもとに豆吉が知らせにきたのである。
それは「紀六がしくじった」ということである。

紀六というのが前回「しづめる花」の一方の主人公。
細見売りのかたわら「上ゲ屋」という職業をしていた紀六は、吉原の遊女を連れて逃げる「足抜け」をしようとしてしくじったのである。

お蓮の夫・辰蔵は細見売りのかたわら「保チ屋」をしている。
お蓮は元は遊女で、保チ屋の辰蔵に年季あけに身を引き取られ女房となったのである。

さて「上ゲ屋」とは、遊女を遊女として仕込む男である。
そして「保チ屋」とは、遊女が錆付いてしまったときに、その錆おとしをする男である。

お蓮は辰蔵に錆をおとしてもらったおかげで、年季明けまでおなじ「岡本屋」で働くことができたのである。
しかし、辰蔵とのことはそれっきりだと思っていたのである。

そんなお蓮が辰蔵の女房になって「博打」にのめりこんでしまった。
「投扇興」という扇を投げて競う博打である。そして借金のかたに・・・

なぜ辰蔵はお蓮を女房にしたのか?
「独りぼっちで慄えている」
からなのだそうだ。

お蓮は借金のかたにしりあった佐次と上方に逃げようとするが・・・

というのが大筋である。
この志村節子という作家、なかなか面白い。
近頃女流作家が面白いのは、物語の筋がうまく作られているのと、みどころ、があるところだと思う。

次回作はどんなんだろうと期待をして待つことにしよう。
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徹底取材 日産ゴーン改革 挫折の内幕 井上久男 文芸春秋7月号

2007-06-26 20:56:54 | 読んだ
日産のゴーン社長は、沈みかけていた日産を大きな意識改革をさせて再生させた。
つまり「コミットメント」(必達目標)という概念で、ぬるま湯体質の日産を信賞必罰の会社にし、収益を出せる会社にした。
しかし、今日産はそのコミットメントでモラル低下に陥っているらしい。
そして2006年の決算では社長自ら「敗北」を認めざるを得なかった。

目標の達成だけが社員の目的になったんだろう。
改革のときに打ち出す戦略・戦術は、カンフル剤なんだと思う。
カンフル剤をいつまでも打ち続けると、それは「毒薬」になってしまう。
というのは、これまで「歴史もの」を読んできた私の感想である。

成功体験をいかに捨てて次の策を練り実行するか、が「勝つ」ための「勝ち続ける」ための大きな戦略である。
いつまでも同じことをしていたのでは、いつか負けるのである。
勝てば環境が変わる、その環境と内部組織の「折り合い」をどうつけて、勝ち続けるか、勝つことを目的にしている組織の大きな課題のようなのである。

さて、今月の特集では日産のモラル低下の実情が紹介されている。
そして、ゴーン社長へのインタビューは
「私の自信は揺らいでいます」
という題である。

常勝トヨタに対抗するためには、相当厳しいことをしなければならなかったのは確かであるが、厳しさだけでは破綻するという例をまたもみせつけられているようである。

本特集は「失敗」とはなんなのか探っている。こういうのが本当に参考になる。
そしてゴーン社長は率直に失敗を認めている。
日産は、というかゴーン社長はどうするのか、楽しみでもある。

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iPod 購入 「特集 今日から愉しむデジタル生活」小説新潮6月号

2007-06-25 23:02:05 | 読んだ
長年(30年間)使い慣れたギターが弾くに耐えない具合になったので、ギターを買おう、と思い、いろいろ検討した結果、あるメーカーのあるギターに決定した。

で、早速甥が関係している地元の楽器店に(というか甥に)注文をしたところ、なんと10月の納期といわれた。
では、というのでインターネットで注文を行った。
しかし、なんと4連敗。
在庫がないのなら在庫がないと表示しろ!と怒ってはみたものの、仕方がない。

それで、甥の店にある在庫品で我慢することにした。
これが、当初予定していた楽器の価格から大きく下がって購入することになったので、その差額でiPodかマイクロソフトのオフィス2007のどちらかを購入しようと考え、いろいろと検討をした結果、iPodの30Gを購入することとした。

今使用している携帯型のハードディスクと同容量であることから、音楽を聴きながらデータベースとしても使おうという魂胆である。

で、昨日、インターネットで注文をしたら本日早速到着。
なんといいましょうか、速い世の中、になりましたねえ。

それで現在は充電中である。
まだその使い方がよく分からないのだが、何とかなるだろう、と思っているのである。なんといったって、今の「機械」はその全ての機能を使うことなど無理なのである。自分にあった使い方からはじめるべきである。と思っている。
何しろ、携帯電話でさえ、まだその機能を十分に使いきっていないらしいのだから。

そういえば、このiPodを買う一つのきっかけとなったのは、小説新潮6月号の「特集 今日から愉しむデジタル生活」のなかの角田光代「iPod 使いこなさず 使っています」を読んだのが大きい。
彼女はiPodとナイキのシューズを連動させてランニングをしているとのこと。凄いことができるんだあ!と感心してしまった。

また「音楽だけでないiPodの遊び方 ポッドキャストでiPodを使いこなせ!」(出雲井亨)も参考になった。

それにしても、いまや、こういう雑誌(小説新潮)にも、デジタルの記事が出るようになったとは驚きであります。

さて、私のiPodはまだ充電が終わらず、本日はまだ使えないようであります。

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小説新潮7月号

2007-06-24 21:38:27 | 読んだ
今月の小説新潮は「人情紙風船」という特集と、第20回山本周五郎の発表である。

とはいいながら、まずはやっぱり連載ものを読んだ。

「警官の血」佐々木譲

今最も気になっている小説である。親子3代の警察官。それぞれがそれぞれの任務を真面目に遂行するのだが、その<真面目>ということがいい面と悪い面とがあり、それが物語の核ともなっているようなのだが・・・
祖父と父は殉職、3代目の安城和也は、捜査4課係長の加賀谷警部の部下となったが、それは警察内部の腐敗を糺すため(もしかしたら権力争い)であった。

加賀谷は、あのハゲタカ刑事・禿富鷹秋を気取っているようなセコイ奴みたいである。和也はついに加賀谷の尻尾をつかむのだが、その代償には・・・

今月号は一つの山場であった。
さて、安城家3代のナゾはどうなっているのか、乞うご期待、なのである。

「ソロモンの偽証」宮部みゆき

これは長い連載である。中学校におきた事件、自殺なのか他殺なのかをめぐって学校・父兄が騒動となるが、曖昧な解決に中学生たちが問題をもう一度考えようと「裁判」を始めようとする。

中学生たちが大人びていてなんだかちょいと「気持ち悪い」部分があるが、物語の筋はおもしろい。どう展開していくのか想像もつかないし楽しみでもある。

このほかは「盤上の人生」河口俊彦を読んだ。
ちなみに今月号は「内藤國雄」がである。

これからもっと読んでいくのであるが、楽しみは
宇江佐真理「恩返し-深川にゃんにゃん横丁」
乃南アサ「明日は我が身の刑法入門」
西村京太郎「阿蘇・ねずみを殺せ」(第2回)
柴門ふみ「恋のタネ」
である。

そういえば「女による女のためのR-18文学賞」の受賞第1作
三日月拓「葬儀のあと」
石田瀬々「7月のつむじ」
が掲載されているが、この文学賞の受賞作で面白いものはあまりなかったので、世もうかどうか迷っているのである。


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世直し大明神-おんな飛脚人- 出久根達郎 講談社文庫

2007-06-23 23:53:49 | 読んだ
女飛脚人の第2弾である。
この本は、テレビドラマが最初で、その後に原作を読んだ関係上、主人公の女飛脚人「まどか」はどうしても本上まなみのイメージなのである。

ちなみにまどかの恋人というかついには結ばれそうな清太郎の役は小沢○○である。
もうひとつ、ついでに言えば、そのテレビをみて本上まなみのファンになった私は「ホンジョ」のエッセイ集を買って読んだりしたのであった。

さて、今回の「世直し大明神」は全12話である。

まどかをみて女飛脚人になりたいという娘がやってきたり、不幸の手紙の江戸版があったりと何かと事件がおこる、飛脚問屋「十六屋」であったが、当主・茂左衛門・ふさ夫婦は引退を決意し、清太郎とまどかを結びつけて店を譲ろうとする。
また、まどかは父の友人である五郎右衛門をたずね、なぜ父は浪人となったのかを聞こうとしたりする。

そういった事柄が進む中で安政の大地震が江戸を襲う。
そして、その地震によってまたまた事件が巻き起こる。

さわやかで明るく、読んでいて気持ちがよくなる物語である。

どうも清太郎とまどかは夫婦になりそうなのだが、夫婦になってどのように飛脚問屋を切り盛りして、どんな事件がおきるのか、どうしても続きを読んでみたいのである。


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繊細な感覚-孤塁の名人- 津本陽 オール読物6月号(連載)

2007-06-21 22:56:24 | 読んだ
「孤塁の名人」として、2月号からオール読物に連載されている。
<繊細な感覚>は6月号である。

合気道の大東流・佐川幸義について書かれている。
実に信じられないほどの「技」というか「合気」を身につけていたという。

佐川幸義に筆者はあっていて、合気道を学んでいる。
なので、佐川先生、と呼んでいる。

その佐川先生の信じられない技を筆者も見ているので、迫力がある。

この佐川先生は世間に自分の技を広めるでもなく、ただひたすら合気道を極め75歳くらいで完成をさせたという。
身辺からわずらわしい騒音をさけ、ひたすら研究を重ね稽古を行うのである。

このような佐川先生に弟子入りする人もいるのだが、いつまでたっても先生にかなわない。本格の合気道というのは教えられてもできるものではないらしいのである。
「(前略)合気はおなじ技をくりかえし稽古するうちに、分かるというものではないんだ。眼のつけどころというか、発想がまるで違う。合気の理とは何か、考えないとだめだ。
(中略)合気が分かるためには、毎日たゆまぬ体の鍛錬が必要だ。鍛錬すれば体力は増加してしてくる。そうするのは合気の理を探る磁針を動かすためだ。合気の理は人の身に本来宿っているのだが、現代人はそのことに気づかない。
 体のどこかにひそみ、眠りこんでいる合気を呼びおこすために、さまざまの鍛錬をやらねばならない。(後略)」

ということらしい。

つまりは、体を鍛錬し合気の理を考えないと、合気道は完成しないということらしいのだが、弟子たちだってそんなに怠けているわけではない。やっぱり「気持ち」なんだろうと思うのである。

体は80歳になっても鍛錬さえ続ければ育つらしい、のである。
それを聞くとなんだか日ごろ運動不足の私は恥ずかしいのである。

今月号では、あの王監督も登場する。
佐川先生の技を見たのである。その感想は
「ただふしぎだと思います。私には理解できません」
であったという。

津川陽のものは、剣客を扱ったものなど「技術系」の話「柳生兵庫助」とかが面白い。「下天は夢か」(織田信長)「夢のまた夢」(豊臣秀吉)はあまり面白くなかった。従って今回は期待しているのである。

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のだめ カンタービレ #18 二ノ宮知子 講談社

2007-06-20 23:37:14 | 読んだ
ちょっと落ち着いてきてしまったかな、というのが近頃の「のだめ」の印象。
まあ、フランスはパリまで行っていつまでも「ギャボー」とか「ムキャー」とかしている場合ではないのだが・・・・でもちょっと淋しい。

さて、主人公の「のだめ」も「千秋」もいよいよというか更に本格的に音楽に取り組むようになってきた。
それに伴い、この二人も成長しているわけであるが、そのため若干難し苦なってきていることは確かである。

それと、この二人は恋愛中なのだろうか?
このあたりが、おじさんにはよくわからないのである。
お似合いといえばそうだけど、でも、たとえば結婚となると、なんだか駄目になりそうな気もするし・・・特にのだめが音楽的に成長していけばいくほど・・・

というような心配をしているのであるが、よく考えてみると、そんな心配をするような立場にあるわけでもなし、まあ好きにやってよ!と突き放すに限るのである。

それにしても、今後の展開はどうなっていくのか、ただひたすらに興味はその一点である。
なのに、物語はゆっくり進んでいる。

読み終えて、ただ思うことは
「次はいつ出るんだ?」
なのである。

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けっこん・せんか 檀ふみ・阿川佐和子 文春文庫

2007-06-19 22:34:12 | 読んだ
おなじみの「檀ふみと阿川佐和子モノ」である。
すでに私の中ではこの二人のものは一つのジャンルになっているのである。

さて、本書はこれまでの二人の対談を集め、更に、二人に誰かを加えた鼎談、座談が入っていて、なおかつ「22年目の春」という新たな対談も入っているという、なんというか「豪華版」「愛蔵版」なのである。

勿論文庫本なのでちょっと古いのではあるが、彼女たちの年齢はある時期からほとんど変わっていないともいえるので、それほど問題ではない。

それにしても、まあ、よく、これほど同じような話題で盛り上がるものである。
そして、自分の役割を自覚していて、ぼけるときはぼけ、突っ込むところはちゃんと突っ込む、すばらしい、のである。

また、他の人たちを巻き込んでの鼎談・座談も二人だけのものとはちょっと違うが、ちゃんとこちらの期待に沿った「芸」を見せてくれる。
そう、この二人の対談、あるいは往復エッセイはすでに「芸」の域に達しており、従って私のなかでは、一つのジャンルとして認識をしているのである。

男と女の間の話、食べることの話、話題はそれぞれ違っていても、実は確立されている檀ふみとしての生き方、阿川佐和子としての生き方が語られており、その生き方が「潔い」というのか「風変わり」というのか、つまりは我々凡人とは違っていることが、明らかにされているから、面白いのだと思う。

お二方は私より年長であることから、今後どのような話題で語られていくのか楽しみであり、更なる「芸」の精進を望むのである。

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環境保護運動はどこが間違っているのか? 槌田敦 宝島新書

2007-06-18 21:49:19 | 読んだ
どうしてこういう本を選び読むのかというと、環境保護には興味を持っているし、環境保護にはつとめなければならないと思っているのだが、今の環境保護運動にはなんとなく疑問を感じているからである。

リデュース(Reduce)、リユース(Reuse)、リサイクル(Recycle)、というう3R運動とか、関心を持っているのだが、なんだかどこか「アヤシイ」という思いがある。

そんなときに、週刊誌か新聞の書評欄かなんかでこの本が取り上げられていたので、読んでみようと思ったのである。

この本の帯には
「ウソを信じていては、あなたの善意がムダになる」
だとか
「牛乳パックは焼却場で燃やそう」
「リサイクルも環境を汚染する」
とか
「分別収集運動でゴミの捨て場が枯渇する」
などという<挑発的>な文が並んでいる。

筆者は「槌田エントロピー理論」で世界的に有名、なのだそうである。
その「エントロピー」とは、
『簡単に言ってしまえば、汚染の量』
だそうで、エントロピーの法則というのは
『何かが変化したり、何かが活動したりすると、エントロピーができてしまう』ことだそうである。
つまり、何かをしたら必ず汚染が発生する。ということらしい。

その根本的なことをわかっていないと、本当のリサイクルやエコロジー運動はできないというのが、筆者の主張である。

確かに、根源的な問題を避けて、これをやっていれば地球は救われるという運動が行われ、その活動家たちの中には「狂信的」とも思われる人がいるのは確かである。だから「ひいて」しまうのである。

あなたのできることから少しだけでいいからやってみませんか?
なんてことはあまりなく、
絶対これだけのことをしないと、あなたは地球を汚している、地球に優しくない!
といわれると、
「いいもんね」
とすねてしまいたくなる。

それから、リサイクル運動と経済とのつながりを、筆者は説いている。
非常に大雑把に意訳すると、
現代は「金」の世の中であり、「金」のことを考えずに「善意」だけで何かをしようとしても成功はしないというものである。

私思うのだが、筆者のエントロピーの法則を引用すれは、善意という行動を起こせはそこに汚染が発生する、と思うのである。
ならば人間社会の最も汚染されたもの「金」を使い、エコロジーを行おうと、筆者は言っているのではないだろうか。

つまり、たとえばゴミが発生するからリサイクルをリユースを徹底させるのではなくて、ゴミ(汚染)を発生させないためにその源や経路に「税」をかけて値段を高くしよう、というのである。

もっともな一面がある。現実的である。
今まで読んだ環境対策の中では、最も具体性のある効果的な手法であると思う。

しかし、それでは人の「善」という部分が置き去りにされているのではないか、とも思うのである。

環境問題は、避けて通れぬ問題であり、環境について何も思わずに生きている人が多いなかで、環境運動を進めるのはある意味「狂信的」でなければならないと思うのであるが、革命者が革命の理論を追い詰めるあまり社会から逸脱していくようなことになったり、現実だけに目を向けて、人を法と欲だけで動かそうとするのもナンだと思うのである。

この本は、ある程度私を満足させてくれた。
つまり、環境保護運動というのは、

地球が持っている自然の循環に従うことが肝心であること、人の善意と欲をうまく利用しなければならないこと、つまり、人が生きていくうえでの経済活動にも反映するような活動でなければならないこと

なんだろうと思うのである。

ネットで検索すると本書は「トンデモ本」筆者は「トンデモナイ人」という説もあるようだ。
しかし、読んだ限り、そんなに興奮して反論するものでもなく、わりと常識的であると思う。


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東北楽天ゴールデンイーグルス-横浜ベイスターズ フルキャストスタジアム

2007-06-17 22:05:53 | イーグルス
今年2回目の楽天イーグルスの試合観戦です。

今回は、車屋さんのクラブによる団体観戦。バス2台の団体の1員であります。
ちなみに、今回は、バックネット裏ゴールデンシート(1塁寄り)、地元から球場までの往復バス、昼食弁当付で一人1000円という、とんでもない企画であります。(毎年会費を払っているとはいえたいしたもんです)

イーグルス朝井、ベイスターズ土肥の先発で始まった試合。
1回表、4球、送りバント、ヒットであっさり先制され、1回表から「ああ、今日はもう駄目だ」という暗雲が・・・
しかし、その後朝井は何とか立ち直り、1点にとどめる。

2回ウラ、イーグルスの攻撃。
1死1・2塁からフェルナンデスが相当粘り、これはいける、と思いきや最後は見逃し三振。続くは今日1軍登録されスタメンに名を連ねた「中島」、このチャンスは生かせないのか、という思いをかき消すいい音。左翼線へタイムリー2ベースで逆転!
その写真をうまくとることができました。


続く9番嶋の打球は2塁審判に当たって、一人ホームインと思われたら、内野手の前にいる審判に打球が当たればその時点でボールデッド、ということで、2死1・2塁で再開。(ちょいと珍しいプレーであった)
そして1番渡辺がタイムリーヒットで3点目。
結局この3点目が決勝点となった。

朝井は、なんやかやでランナーを出すものの好守備にも助けられて9回1死から4球を与えて、福盛に交代。ここまで楽天は9人で野球をしていたが、ここで投手交代と野手も交代する。2点に押さえ、ナイスピッチングである。



福盛は例によって福盛劇場(パスボールと4級)で2死1・2塁とするが、最後の打者をなんとか遊ゴロにしてゲームセット。
やれやれ。
今日は1瞬も見逃せない接戦で、食べたり飲んだりすることも最小限であったが、ともかくも勝ったので、バンザーイである。

今回は山崎のホームランを写真に撮ろうとずっと狙っていたが残念であった。


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鳩のできちゃった婚?

2007-06-16 21:07:13 | 日々雑感
我が家の茶の間のすぐ目の前の木に、先週の日曜日に鳩が巣を作り、卵を抱えている。

写真の箱で囲んだあたりに巣を作ったのである。

   

以来、毎朝、確認をしているが、メスのハトはじっとしている。
オスのハトはきたり来なかったりである。
先週の巣作りの時には、せっせとオスが枝を運び餌を運んできていた。
何しろ、茶の間からその様子が見えるので、非常に気なるのである。

          

こんなカンジでずっと卵を抱えている。

                

先週の日曜日にあわただしく巣を作り、早速卵を抱えたことと、こんなに人に近いところでもかまわないということから、私は、卵を産んでそれから本格的に巣を作り始めたのではないだろうか、つまり「できちゃった」のでまあ仕方なくこんなところでも巣を作っちゃえ!となったのではないだろうか、と推測をしているのである。
つまり、できちゃった婚だろうと・・・・

追伸
 オール読物を読んでいる。そして本日は「環境保護運動はどこが間違っているのか?」槌田敦(宝島新書)を読み終えた。

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昭和史の名将たち 半藤一利&保坂正康 オール読物連載

2007-06-15 20:38:37 | 読んだ
近頃は「オール読物」シリーズのようで申し訳ないのだが、オール読物を片付けるために読んでいるのだから仕方ないのである。

「昭和史の名将たち」は2007年3月号から始まっている。
半藤一利と保坂正康の対談である。

①栗林忠道      3月号
②石原莞爾と永田鉄山 4月号
③米内光政と山口多聞 5月号
④山下奉文と武藤章  6月号

まず「名将」というのはどういう人なのか?
つまり、名将の定義、というのが気にかかる。

保坂、半藤両氏ともに名将の条件を挙げているが、ここでは半藤氏の条件を掲げておこう。

1.決断を自分で下すことができた人
2.任務の目的を部下に明確に伝えられる人
3.情報を自らの目や耳でつかむ人
4.過去の成功体験にとらわれない人
5.常に焦点の場所に身を置いた人
6.部下に最大限の任務の遂行を求められる人

非常にきびしい条件であると思える。

また、半藤氏は
「太平洋戦争のときは、権限も駆使せず責任もとらなかった人、権限ばかり駆使して最後に責任をとらなかった人が多い、逆に部下に一切お任せで負けたときに腹だけは切った人もいる」
といっている。

これも現代では多くあることである。(最も最後の腹を切った人というのは少ないが)

こうしてみると、名将の条件とは、リーダーの条件とも言えるのである。

そういうことで、第4回まで挙げられた人が必ずしも名将といえるのかは疑問である。

僕は、第2次世界大戦中の責任のある軍人(将以上の人)は二つの大きな責任があると思っている。
一つは、戦争を始めた責任
二つは、戦争に負けた責任
である。

だから、東京裁判で勝った国が負けた国を裁くのはおかしい、という意見には、全ての軍人は「負けた」責任があると思っている。
そこには一切の言い訳も許されない、とも思っている。
勝つために、国民に多くの我慢と犠牲を強いた挙句負けたのだから。
つまり、東京裁判では、戦争を始めた責任、が大きく問われているが、戦争に負けた責任を問うという、日本人がおこなわなければならないものが置き去りにされているのではないかと、思っているのである。

もっとも、この戦争に負けなければ、今の平和な日本はなかったわけで、そういう意味では、負けたこともそう悪いことではないのであるが・・・

という、考え方を持ちながら、この連載を読もうと思っているのである。
そして、そろそろ第2次世界大戦における日本の戦略、戦術について、第3者的視点をもった評価が現れてもいいのではないかと思っている。

「戦争は駄目」なことはわかっている。
人が人を殺しあう、とうのは「やってはいけないこと」だというのもわかっている。
しかし、人の歴史は戦争の歴史でもある。
また、戦争のない今の日本がまったくの平和な世の中でもないことも、なんとなく感じている。

ヒステリックな非戦争論ではなくて、国とはなんなのか、何故国は戦争をしなければならないのか、あるいは戦争をしなければならない国の尊厳とはなんなのか、そんなことをジックリ研究したものを読みたいと思っているのである。

そういう意味を込めて、この連載に期待しているのである。


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青春のうた 第36巻 1970年代中期⑪

2007-06-14 23:22:02 | 読んだ
1.シクラメンのかほり/小椋佳 1975年11月

いい歌だなあ、と本当に感心する。
いい歌過ぎる気配もある。

当時、布施章が歌いレコード大賞ほかほとんどの音楽賞を総なめしすごかった。
その布施章のシクラメンのかほりから7ヵ月後に小椋佳のレコードが出たという。

布施章の歌うシクラメンのかほりは「歌」で、すごくきらびやかな印象であるが、小椋佳のは「つぶやき」のようで風情がある。

2.水色の街/三輪車 1974年7月

この歌はなんだか一生懸命練習した記憶がある。
丁度この頃(1974年=昭和49年)から、いわゆる「軟弱ソング」みたいなものが出始めて、この歌も舌足らずのような歌い方であって、僕は「けっ!」みたいな顔をしながら、そのわりには好んでいたりしたのである。

♪去年の夏は一人ぼっちで 喫茶店 レモンスカッシュ♪のところの
♪喫茶店 レモンスカッシュ♪の部分が僕のグループのボーカルがナカナカうたえなくて、何度も練習をしていた記憶がある。
なので、難しい歌、というイメージもこの歌にはある。

今では、この歌詞のような出来事は、遠い昔の恋人たちのようで、きれいきれいだけのようで「なんだかなあ」と思うのだが、いざ聞いてみると、それはそれでいけると思うのであった。

3.ウィスキーの小瓶/みなみらんぼう 1973年12月

こういう歌があると知っていたし、みなみらんぼうの「酔いどれの女の流れ唄」も知っている、が、好んでは聞かなかったし、今でもあまり好みではない。

僕好みの歌のようであるが、なんだかピッタリこないのである。
朴訥な歌唱、とあるのだが、朴訥というのがたぶんピッタリこない部分なんだろうと思うのである。

ちなみに、みなみらんぼうは隣の市の出身なのである、が・・・
もうひとつ、ちなみにいえば、隣の市は高橋ジョージも出ているのであるが、それもピッタリこないのである。

4.人は少しづつ変わる/中山ラビ 1974年7月

この歌ははじめて聞いた。
第34巻のところにも書いたのであるが、中山ラビと僕の出会いは、もう少しあとなのである。

その出会いで、さかのぼることをしなかった。
当時は本当に情報が少ない、というか、相当の努力をしないと情報を得ることができなかったので、本来ものぐさな僕は、中山ラビの過去を探ることをしなかったのである。

中山ラビの歌い方は独特である。
その独特さを好むか好まないかはそれぞれだろうが、僕は好むのである。
その「けだるさ」がいいと思うのである。

5.今はもうだれも/アリス 1975年9月

まだアリスが大爆発する前の歌である。

そして、この歌はリメイクされた歌である。
このことは知っていたが、誰の歌なのかは今回読んで知った。

いい歌だと思うし好きな歌である。
なんだか「つきぬけている」感があると思うのだ。

♪何もかもなくした♪ のだけれど

♪さびしさだけがじっとしている♪ のだけれど

そして
♪今はもうだれも 愛したくないの♪ だけれど

やせ我慢をしているようだけれど、
これは乗り切ることはできるんだ!
という気持ちがあるように思えるのである。

6.池上線/西島三重子 1976年4月

この歌も好きな歌なのである、が、よく歌えないのである。
ジックリ聞いた、ということがなかったのかもしれない。

さびの部分
♪池上線に揺られながら 今日も帰る私なの♪
という部分だけが、やけに耳に残るのである。

当時、東京にいたことがあるのだが五反田の駅になると、なんだかソワソワして、一回乗ってみようかな、なんて思ったりした。

当時は濃い緑色の電車だと思ったが・・・
その入り口付近にたたずむ女性、
というのがこの歌の印象なのである。

というわけで、相当たってから、西島三重子の復刻版のCDを買い、この歌を繰り返し聴いたのである。
でも、まだ今でもよく歌えないのである。


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