全部読みきるまでわからなかったのである。
この本が「Ⅱ」であること。
というわけで、Ⅰを読まずしてⅡを読んだ。
といっても、旅行記・エッセイという形のものであるから、前巻がどうであれ迷うことなく読むことができる。
今回は副題にあるように、徳川家康に関する城を巡る。
城を巡るということは「往時に思いを馳せる」ということだと思う。
当時と現代では、城そのもの、そしてそこから見える風景もぜんぜん違うと思う。
しかし、城には「雰囲気」がある。
この雰囲気をどう感じるかが、城廻の面白さではないか。
著者の城めぐりは、著者自身の知識と勉強に加えて同行者の知識も深いことから、より一層の「感慨」がある。
その「感慨」が読んでいるこちらとしては非常に興味深く面白い。
そのあたりは、著者が昔、作家の白石一郎から受けた話がよい。
「その地の空気を吸うだけでよいのです」と白石一郎は言った、という。
小説を書く者にとって、つまらない城址はひとつもない、という所以である。
また、同行者の原田さんは
「歩かなければわかりませんよ」という。
その地の空気を吸い歩くことが、その城を良く知ることになる。
同感である。
いつか、そして歩けるうちに城めぐりをしてみたいものである。
問題は同行者である。
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この本が「Ⅱ」であること。
というわけで、Ⅰを読まずしてⅡを読んだ。
といっても、旅行記・エッセイという形のものであるから、前巻がどうであれ迷うことなく読むことができる。
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城を巡るということは「往時に思いを馳せる」ということだと思う。
当時と現代では、城そのもの、そしてそこから見える風景もぜんぜん違うと思う。
しかし、城には「雰囲気」がある。
この雰囲気をどう感じるかが、城廻の面白さではないか。
著者の城めぐりは、著者自身の知識と勉強に加えて同行者の知識も深いことから、より一層の「感慨」がある。
その「感慨」が読んでいるこちらとしては非常に興味深く面白い。
そのあたりは、著者が昔、作家の白石一郎から受けた話がよい。
「その地の空気を吸うだけでよいのです」と白石一郎は言った、という。
小説を書く者にとって、つまらない城址はひとつもない、という所以である。
また、同行者の原田さんは
「歩かなければわかりませんよ」という。
その地の空気を吸い歩くことが、その城を良く知ることになる。
同感である。
いつか、そして歩けるうちに城めぐりをしてみたいものである。
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