小説新潮に連載されている小説で8月号で最終回を迎えた。
熊谷達也の長編小説は初めてである。
以前に読んだのは終戦直後の女たち主人公で舞台は仙台の連作だった。
今回の物語も「仙台」が舞台である。題名となっている「X橋」は仙台駅のすぐ近くにあるというかあったというか・・・
この橋は川にかかっているものではない。
東北本線の跨線橋であり、現在はXの形とはなっていない。(詳しく知りたい人ははウィキペディア等でお調べください)
兎も角「X橋」といえば仙台に住む人たちには『ああ、あそこね』とすぐに思い浮かべることができる場所である。そして若干「いかがわしい」或いは「淫靡」なにおいのする言葉でもあった。(今はそういうことはない)
物語は、昭和20年7月10日の仙台大空襲から始まる。
主人公の「裕輔」は空襲で最愛の母と妹を失い、天涯孤独の身の上となる。
母と妹を火葬するために行った火葬場で働いているうちに終戦となり、今度は靴磨きとなる。
そこで、彰太と出会う。そして次には「Louisiana」というバーのマスター徳さんと出会い、徐々に心と生活の落ち着きを取り戻すようになる。
彰太はいわゆる「ヤクザ」の道を歩み始めるが、裕輔は火葬場で出会った女子高校生『淑子』と再会し、淑子をパンパンの道から抜け出させ結婚をすることとし、二人で屋台の店を出すことにし、いよいよ明日は明るくなってきた。
というところが6月号くらいか。
しかし、7月号あたりから物語りは急転し、最終回ではいわゆるハッピーエンドではない終わり方をしている。
戦後のある青春を描いた小説であるが、ところどころに「希望」とか「ほのぼの」が感じられるが、全体を貫いているのは「凄惨」な人生である。
「生きる」ということはどういうことなのか、筆者の問いかけが聞こえてくるような小説である。
身体的な「生きる」ということを何とか確保して、次には少し心の安らぎを得ようとする「生きる」を目指す。
心の安らぎを得るためには一時の苦しさを耐える。
しかし、人が目指す「生きる」ことへの欲望は限りがない。
限りない欲望と現実をどう折り合っていくのか。
この小説では、最後の最後で折り合いがつかなかった。
我慢に我慢を重ねてきたのに・・・
それもまた人生なのか、と思うのである。
全ての人がハッピーエンドで人生を終えているのではないことを、我々はもう少し肝に銘じておかなければならないのではないだろうか。
この物語は連載されていたから読んだが、本として一冊となった場合手に取っていたかというと、はなはだ疑問である。
それは「好み」というのものなのだが、それゆえに連載小説としてであったことに感謝である。
「好み」以外のものが読めるということは、なんだか得をした気分である。
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熊谷達也の長編小説は初めてである。
以前に読んだのは終戦直後の女たち主人公で舞台は仙台の連作だった。
今回の物語も「仙台」が舞台である。題名となっている「X橋」は仙台駅のすぐ近くにあるというかあったというか・・・
この橋は川にかかっているものではない。
東北本線の跨線橋であり、現在はXの形とはなっていない。(詳しく知りたい人ははウィキペディア等でお調べください)
兎も角「X橋」といえば仙台に住む人たちには『ああ、あそこね』とすぐに思い浮かべることができる場所である。そして若干「いかがわしい」或いは「淫靡」なにおいのする言葉でもあった。(今はそういうことはない)
物語は、昭和20年7月10日の仙台大空襲から始まる。
主人公の「裕輔」は空襲で最愛の母と妹を失い、天涯孤独の身の上となる。
母と妹を火葬するために行った火葬場で働いているうちに終戦となり、今度は靴磨きとなる。
そこで、彰太と出会う。そして次には「Louisiana」というバーのマスター徳さんと出会い、徐々に心と生活の落ち着きを取り戻すようになる。
彰太はいわゆる「ヤクザ」の道を歩み始めるが、裕輔は火葬場で出会った女子高校生『淑子』と再会し、淑子をパンパンの道から抜け出させ結婚をすることとし、二人で屋台の店を出すことにし、いよいよ明日は明るくなってきた。
というところが6月号くらいか。
しかし、7月号あたりから物語りは急転し、最終回ではいわゆるハッピーエンドではない終わり方をしている。
戦後のある青春を描いた小説であるが、ところどころに「希望」とか「ほのぼの」が感じられるが、全体を貫いているのは「凄惨」な人生である。
「生きる」ということはどういうことなのか、筆者の問いかけが聞こえてくるような小説である。
身体的な「生きる」ということを何とか確保して、次には少し心の安らぎを得ようとする「生きる」を目指す。
心の安らぎを得るためには一時の苦しさを耐える。
しかし、人が目指す「生きる」ことへの欲望は限りがない。
限りない欲望と現実をどう折り合っていくのか。
この小説では、最後の最後で折り合いがつかなかった。
我慢に我慢を重ねてきたのに・・・
それもまた人生なのか、と思うのである。
全ての人がハッピーエンドで人生を終えているのではないことを、我々はもう少し肝に銘じておかなければならないのではないだろうか。
この物語は連載されていたから読んだが、本として一冊となった場合手に取っていたかというと、はなはだ疑問である。
それは「好み」というのものなのだが、それゆえに連載小説としてであったことに感謝である。
「好み」以外のものが読めるということは、なんだか得をした気分である。
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